メニュー 閉じる メニュー

【為末大の視点】社会の期待と向き合う 東京五輪まで1年の課題

2019.7.17 11:32 為末 大
男子シンクロ板飛び込みで東京五輪日本代表に決まり、日の丸を手に笑顔の寺内健(右)、坂井丞組=13日、韓国・光州(共同)
男子シンクロ板飛び込みで東京五輪日本代表に決まり、日の丸を手に笑顔の寺内健(右)、坂井丞組=13日、韓国・光州(共同)

 

 47都道府県を巡る聖火リレーのルートの概要が発表され、日本の中に徐々に2020年東京五輪を迎える空気ができつつある。

 五輪が近づくにつれ、アスリートは自分の心と向き合わざるを得なくなる。私が3度出場した五輪は全て海外だったが、それでもプレッシャーを強く感じ、どれもうまくいかなかった。地元で開催される五輪の重圧はそれに比べて随分大きいだろう。これからの1年間、選手はプレッシャーに対し、どう取り組んでいくのだろうか。

 ▽重圧の正体

 プレッシャーとは何か。それを感じるアスリートはどんな世界を生きているのか。プレッシャーの正体は「社会」と「期待」だと考えていた。

 一人だけで誰にも見られず行っている行動にプレッシャーは感じない。また「こうなりたい」「こうなってほしい」という思いがなければプレッシャーも生まれない。五輪は社会の注目が大きくなり期待も高まる。選手が自分に対して期待する気持ちも大きくなる。結果として、選手が感じるプレッシャーがとても大きくなる。

 よく「社会の側が期待をしすぎだ」という批判があるが、五輪というシステムがメディアを通じてたくさんの人の応援で成立しているために、社会と競技を切り離すことはできない。だから選手はこれから次第に熱を帯びていく社会や、自分の内外から生まれる期待と向き合い、うまく対処しなければならない。

 プレッシャーを感じることは自覚的でなく始まる。自分では通常通り過ごしているつもりだし、今までと変わらないつもりでいても、ほんの少し情緒が不安定になり、力みが出てくる。「あれ、何かおかしいな」と感じるが、最初はそれがよく分からない。そして次第に自分がプレッシャーを感じているのだと自覚していく。

 イメージで一番近いのは高地でのトレーニングだ。調子のいい時や元気な時は息苦しさを忘れて何事もなかったように過ごすことができる。だが寝る前や一人になったふとした時に思い出したように息苦しくなる。

 大会が近くなると、重圧はピークに達する。眠れない時もある。本番数日前「このまま気がついたら、五輪が終わっていてくれないか」とよく考えた。プレッシャーにもう耐えられないと思ったからだ。プレッシャーは自分の心が生み出しているが、直接触れないので対処が難しい。

 ▽試行錯誤

 社会の期待と向き合う上で一番重要だと考えていたのは距離感だ。初めての五輪の時はこの距離感が分からず、一喜一憂して崩れてしまった。

 年齢を重ねて、社会が盛り上がる中で海外に行くなど物理的な距離を取ったり、情報を制限して精神的な距離を取ったり、工夫して次第に安定するようになった。現役選手の最後の方は、花火大会で花火が上がって盛り上がる人々を、遠く離れた神社の境内から眺める心境だった。

 よく「心には限界がない」と言われるが、極度のプレッシャーと厳しい競争にさらされているアスリートの心はかなり消費している。しかし、体と違い心は疲れていることを自覚しにくい。自覚してもスポーツ界ではそれをオープンに語りにくいところがある。

 経験上、いい結果というのは心身が充実した状態で挑んだ時だった。負けてはならない試合が続いたり、激しいトレーニングが続いたりすると、体が元気だったとしても「グラウンドに行きたい、走りたい」という気持ちが湧いてこなかった。競泳の金メダリスト萩野公介選手など試合から遠ざかっているアスリートを心配する声があるが、いい状況で東京五輪の準備に入れるのではないかと思っている。

 選手はそれぞれ、競技も性格も置かれた状況も違うので、対処の仕方も違う。自分なりのやり方で自分の心と向き合っていく。試行錯誤する中で学べるものは大きい。

 通常の人生を生きているだけでは経験できないようなプレッシャーに対し、どのように立ち向かい、来る日を目指すのか。五輪本番も楽しみだが、その後、アスリートたちが1年間の心象風景と実際に悩みながら取り組んだことを語ってくれる日を楽しみにしている。(元陸上選手)=27回

為末 大

名前 :為末 大

プロフィール:ためすえ・だい 1978年、広島市生まれ。法政大卒。陸上男子400メートル障害で2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。著書に「諦める力」「逃げる自由」など。

関連記事 一覧へ