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【為末大の視点】賢さでなく勇気の問題 自己責任を伴う行動

2018.11.26 14:30 為末 大
ラグビーW杯の南アフリカ戦で劇的な逆転勝利を収め、試合後記念撮影する日本選手=2015年9月19日、英国南部ブライトン(共同)
ラグビーW杯の南アフリカ戦で劇的な逆転勝利を収め、試合後記念撮影する日本選手=2015年9月19日、英国南部ブライトン(共同)

 

 フリージャーナリストの安田純平さんが解放された。一つの命が救われたことに喜びを感じている。一方で、自己責任についての議論が沸き起こっている。今回は、安田さんのケースから少し離れて「自己責任」について考察してみたい。

 自己責任に関する行動を次の二つが伴うものだと定義したい。

 (1)組織が強く推奨していないことや組織の戦略に従わない中での行動。

 (2)誰の指示でもなく自らの意思で行った行動。

 組織には常に戦略や計画というものがある。命令があり、推奨される行動というものがある一方で、推奨されない行動というものもまたある。よく統制された組織はこの全体に従う行動が徹底されている。

 今年のサッカー・ワールドカップ(W杯)のポーランド戦で日本は試合終盤、パス回しに徹して観客席からはブーイングも飛んだ。だが、監督の指示を忠実にこなした日本は決勝トーナメントの切符を手にした。

 反対に、2015年のラグビーW杯の南アフリカ戦で日本は試合終了直前、選手たちが自らの意思でリスクはあっても逆転トライの可能性のあるスクラムを選択。それが日本の大金星につながった。逆の結果に終わったかもしれない。そうなれば千載一遇のチャンスを、プレーヤーの勝手な判断で逃したということになる。責任を追及されてもおかしくない。

 このようにスポーツの現場において、自己責任を伴う行動が良いかどうかは「結果論」で語られることがほとんどだ。それでも、スポーツはまだ分かりやすい結果があるから理解しやすい。社会においては、自己責任を伴う行動が良いことなのかどうかは極めて分かりにくい。

 ▽組織の有益

 自己責任については次のような観点がある。自己責任で行動した個人に対し何も対処しなければ、いずれモラルハザード(倫理観の欠如)が起き、全体の統制が取れなくなる。また、組織で戦う場合、二流の作戦だが全体が一致して動く場合と、一流の作戦だが全体が一致しない場合では、前者が勝ってしまう場合がある。自己責任で行動する人間を許容すれば組織としての強さを損なう恐れがある。

 ただ、私はそれらを踏まえた上でも「自己責任を一定量、認めた方が組織にとって有益だ」と考える。まず、組織の上部で行われる意思決定が本当に正しいのかどうか分からない。正しいのであれば、組織が作った戦略に沿って全体が動くやり方がよいことになる。

 けれども、組織の意思決定が正しくない、または昨今のように変化の激しい時代でいくら努力しても正しい答えを見つけるのが困難だという場合においては、自己責任を伴う行動を誰もしない組織は不利になる。

 人間は「慣れる生き物」で、常に組織の戦略に沿うことを繰り返していれば、そのうちにリスクの取り方が分からなくなる。つまり全体を逸脱して自分の意思で行動しなければならない時、過去に一度もそのような経験がなければ、過剰に恐怖心を抱き行動できない恐れがある。

 組織にとってもそれはリスクで、全員が疑問を抱かないフォロワーなら、組織の命令に従うトップダウンから、自分たちで考えて動くボトムアップ型へ変更することが難しくなる。

 ▽自分の人生

 アクティブ・ラーニングや副業解禁など、私たちはいま自分で考え自分の人生を自分で設計する時代を生きている。いや、そういう方向が強く推奨されていると言ってもいいかもしれない。

 また、組織の寿命が個人の寿命よりも短くなるといわれる中、どこかのタイミングでは自分の意思で逸脱しなければならない可能性も高い。誰も未来が予測できず、正しい戦略が何か分からない中で、個人は自分の意思で自分の人生を切り開かなければならない。

 私がこの考察で一番重要だと思う点は、自己責任を伴う行動を取った方がいいのか、そうではないのかではない。必要な時にちゃんと自己責任を伴う行動をちゅうちょなく取れる状態で日々生きていくということではないか。それは賢さではなく、勇気の問題だろうとも思う。(元陸上選手)=21回=

為末 大

名前 :為末 大

プロフィール:ためすえ・だい 1978年、広島市生まれ。法政大卒。陸上男子400メートル障害で2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。著書に「諦める力」「逃げる自由」など。