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【第24回 フランス】認知症高齢者からの贈り物 「人間回復」奇跡の介護 

2017.10.19 11:28
施設のアトリエでジネスト(右)の訪問を受ける入居者の女性。ダンスに誘われ、とびきりの笑顔になった=パリ郊外(撮影・澤田博之、共同)
施設のアトリエでジネスト(右)の訪問を受ける入居者の女性。ダンスに誘われ、とびきりの笑顔になった=パリ郊外(撮影・澤田博之、共同)

 後ろから呼ばれたような気がするが、はっきりしない。そもそも周りを飛び交う言葉が、理解不能な外国語に聞こえる。ここはどこなのかも分からない。不安だ。突然、手首を誰かにつかまれた。驚いて悲鳴を上げる。怖くて両腕を振り回すと、体全体をさらに強く拘束されてしまった―。

 「これが、認知症高齢者の側から見た、一般的な介護の風景です。極端に奇妙で、極端に不安な世界」。パリの南、マッシー市の高齢者養護施設レジダンス・マッシービルモラン。イブ・ジネスト(64)が、もじゃもじゃの髪を振り乱しながら熱弁をふるった。

 
 

 ▽15歳のおばあさん

 ジネストは、認知症や高齢者の新たな介護法として、日本を含む各国で注目される「ユマニチュード」の考案者の一人。記憶を失い、攻撃的になったり、ふさぎ込んだりするお年寄りが、介護士や家族との間にコミュニケーションを復活する。「人間らしさ」「人間回復」を意味するユマニチュードは「奇跡」とも呼ばれるが、ジネストはこう述べる。

 「奇跡ではない。不安を除けば、ほほえみを取り戻せる。人間は人に見つめてもらうこと、言葉を掛けてもらうこと、優しく触れてもらうことを常に望んでいるのです」

 施設の集会室でオデット・サビニャックに出会った。実際は82歳だが、認知症で自分は36歳だと思っている。ジネストは36歳の女性として遇する。額を寄せ語り掛けると、オデットはにっこり笑った。次に会った87歳のドニーズが打ち明けた。「実は私、妊娠しているの」。「それはおめでとう」とジネストが返す。

 「自分を15歳と思い込んでいるおばあさんもいる。子どもが訪ねてきても分からない。家族にはつらいけど、それを否定しないこと。15歳の自分に彼女は満足している。それが大切なの」。介護士の女性が説明した。

 この施設には消灯時間がない。入居者が望めばビールが飲め、中庭でならたばこも吸える。新たにカップルになった入居者もいる。

 ジネストが語る。「あらゆる人が自由を望んでいるのに、施設に入ると制限される。真夜中にならないと眠れない方は、その習慣を続ければいい。ユマニチュードは、そうした価値を実現する介護法なのです」

施設の入居者が作成した粘土細工。失われゆく記憶を頼りに人の形を作り上げた=パリ郊外(撮影・澤田博之、共同)
施設の入居者が作成した粘土細工。失われゆく記憶を頼りに人の形を作り上げた=パリ郊外(撮影・澤田博之、共同)

 ▽第3の誕生

 見る、話す、触れる、と同様に、ユマニチュードが重視するのは「立つ」だ。日本で撮影したビデオを見せてもらった。

 3年間寝たきりの男性。言葉をほとんど発することがなかったのに、ユマニチュードを学んだ介護士がゆっくり顔を近づけ視線を捉えると、顔に生気が戻る。話し掛けると返事をする。優しく触れながら、補助をすると立ち上がり、ゆっくり歩き始める。周囲から驚きの声と歓声が上がる。

 「立ってこそ人間。赤ん坊は生後3カ月で座り、垂直の姿勢と視点を獲得する。寝たきりでは脳が機能しないのです」

 ジネストは、赤ん坊が生まれ出た瞬間を第1の誕生、母親や家族に迎え入れられ、社会的な存在になった瞬間を第2の誕生と呼ぶ。

 ただ生まれただけでは、ヒトは人にならない。周りに声を掛けられ、優しく触れられて、人間であることを認識する。不安に沈む認知症患者も、触れられ、支えられて立ち上がることで人間の、自分自身の世界に戻ってくる。ユマニチュードはこれを「第3の誕生」と呼ぶ。マッシー市の施設には105人の入居者がいるが、身体機能の衰えなどで寝たきりで過ごすのは、わずか2人という。

高齢者養護施設「レジダンス・マッシービルモラン」=パリ郊外(撮影・澤田博之、共同)
高齢者養護施設「レジダンス・マッシービルモラン」=パリ郊外(撮影・澤田博之、共同)

 ▽チンチン!

 ジネストはフランス領アルジェリアのオランで生まれた。大学で体育学を修め、1979年に看護師の腰痛対策に関わったことから介護の世界に入った。

 当時は暴れる認知症患者の体を拘束するのが当たり前。疑問を覚え、どうすれば患者と良好な関係を結べるか試行錯誤する。ユマニチュードはこの実践から生まれた。

 「家族が認知症になるのはつらい。でもね、介護する側はより深く、人間的になる。それが大事なんだ。認知症高齢者は介護する人を変える贈り物をくれるんだよ」

 「父は私に『愛している』とは言わない人だった。でもパーキンソン病になって、88歳の時に言ってくれた。病とは素晴らしいじゃないか」

 施設の食堂に、おばあさんたちが15人ほど集合した。入居者の一人、メラニーの95歳の誕生会だ。小さなグラスに白ワインが満たされ、フランス式に「チンチン!」と乾杯する。

 日本をよく知るジネストが「日本では乾杯でチンチンと言ってはいけない」と語り掛けた。「なぜなら日本語でチンチンとは、男性の―」。おばあさんたちの笑い声がはじけた。95歳が顔を赤らめて笑っている。「36歳」も。「15歳」も。(敬称略、共同通信・軍司泰史)

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