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【第9回(カナダ)】 翼なきワシに人気沸騰 エリート五輪に警鐘 

2017.6.14 10:30
カルガリー冬季五輪からロンドンに戻り、大勢の報道陣に囲まれて空港で記者会見に臨むマイケル・エドワーズ。惨敗にもかかわらず超人気者になり、笑いを振りまいた=1988年3月(ゲッティ=共同)
カルガリー冬季五輪からロンドンに戻り、大勢の報道陣に囲まれて空港で記者会見に臨むマイケル・エドワーズ。惨敗にもかかわらず超人気者になり、笑いを振りまいた=1988年3月(ゲッティ=共同)

 1988年カルガリー冬季五輪閉会式。大会組織委員会のフランク・キング会長は異例のスピーチで総括した。「ある選手は金メダルを手にし、ある選手は新記録をつくった。そしてイーグル(ワシ)のように飛んだ選手がいた」。英国から初めて五輪スキー・ジャンプに出場したマイケル・エドワーズ=当時(24)=が選手団席で立ち上がり、大歓声に応えた。

 ニックネームは「エディー・ジ・イーグル(ワシのエディー)」。ジャンプで個人、団体戦の3冠を達成した「鳥人」マッチ・ニッカネン(フィンランド)とは対照的な超低空飛行。空中で両腕を2度、3度と回し、着地の転倒を必死にこらえる。翼を持たない「イーグル」は皮肉だ。「駄目ぶり」にスタンドは沸き、「もう一人」のヒーロー出現が、エリート化する五輪に警鐘を鳴らした。

 昨年、映画「エディー・ジ・イーグル」が公開された。抱腹絶倒の運動音痴ぶり。エンディングでクーベルタン男爵の言葉「五輪は参加することに意義がある」が紹介された。

 
 

 ▽病院に宿泊

 英国の人工スキー場で練習し、84年サラエボ五輪のアルペンスキー代表を目指したが落選した。それでも五輪の夢を捨てきれず、選手層の薄いジャンプに転向した。

 86年1月、米レークプラシッドで初めてジャンプ台に立った。同年12月にはオーベルストドルフ(ドイツ)のワールドカップ(W杯)で大胆にも世界デビューを果たす。110位の最下位だった。

 左官の仕事をしながら、海外に練習場所を求めた。スポンサーはない。体重は80キロを超え、分厚い眼鏡。細身でストイックなジャンプ選手のイメージにはほど遠かった。

 「お金がないから、フィンランドでは精神科病院で寝泊まりした。1泊5ドルだったよ」。53歳となったエドワーズは英国西部ストラウドの自宅で、昔を懐かしんだ。

 ジャンプを始めてわずか2年で五輪代表になった。カルガリー空港の到着ロビーに「ようこそ、ワシのエディー」の垂れ幕。「誰のことかと思ったら、私だったので驚いた」。カナダのテレビ局が危なっかしいジャンプを紹介し、ニックネームが付いた。

 五輪の70メートル級(現ノーマルヒル)は、ニッカネンが89・5メートルを2回そろえて圧勝し、エドワーズは2回とも55メートルで58位。90メートル級(現ラージヒル)もニッカネンが118・5メートル、107メートルで制し、エドワーズは71メートル、67メートルで55位だった。

 両種目とも大差の最下位。それでも転ばずに着地し、両腕を羽のようにヒラヒラさせながら、大喜びする姿に人気が沸騰した。ユニークな「敗者」は何度も記者会見に呼ばれ、質問が飛び交った。英国選手団宿舎はエドワーズと通話を求める電話が鳴り響き、ファンクラブができた。

左官の経験を生かし、自宅を改装中のマイケル・エドワーズ。「講演が忙しくて作業がはかどらない」とポーズをとった=英・ストラウド(撮影・原田寛、共同)
左官の経験を生かし、自宅を改装中のマイケル・エドワーズ。「講演が忙しくて作業がはかどらない」とポーズをとった=英・ストラウド(撮影・原田寛、共同)

 ▽ダチョウ

 「ワシではなく、ダチョウのジャンプ」を自覚していた。次の92年アルベールビル五輪を目指したものの「あまりにも注目され、反発を招いた」と残念がる。

 国際オリンピック委員会(IOC)は「五輪は世界で最高のアスリートの大会」と理念を掲げ、国際スキー連盟は参加資格を厳格化した。実績のない選手はW杯にも参加できず、エドワーズはトップ選手と競う機会を奪われる。出場規制は「エディー・ジ・イーグル・ルール」とも呼ばれた。

 英国オリンピック委員会はアルベールビル五輪へ向け「少数精鋭」の参加方針を打ち出す。エドワーズはIOC委員のアン王女に訴えたが、代表入りはかなわなかった。

 94年リレハンメル、98年長野の両五輪でも代表から漏れ、現役を引退した。「英国で1番のジャンプ選手が、英国代表として五輪に出場できないのはおかしい。五輪を侮辱するつもりはない。勝つのも大切だけど、チャンスを与えてほしかった」。当時を思い出し、エドワーズの怒りは収まらなかった。

カルガリー冬季五輪90㍍級ジャンプ、マイケル・エドワーズの2回目。大観衆の声援を受ける中、67㍍で最下位に終わった=1988年2月(ゲッティ=共同)
カルガリー冬季五輪90㍍級ジャンプ、マイケル・エドワーズの2回目。大観衆の声援を受ける中、67㍍で最下位に終わった=1988年2月(ゲッティ=共同)

 

▽28年後の映画化

 カルガリー五輪ではカリブ海の島国、ジャマイカのボブスレーチームも話題になり、実話を基に映画「クール・ランニング」が93年に公開された。エドワーズの物語は五輪から28年を要して、ようやく映画化された。

 俳優のタロン・エガートンが、太って気の弱いエディーを演じた。飲んだくれコーチとの師弟コンビで、五輪出場の夢を果たす。

 「五輪はエンターテインメント。世界のトップもいれば、私のような変わり者がいてもいい。今の選手はあまりにも超越した存在になってしまい、親近感や人間味を感じない」。エドワーズは雄弁だった。

 「参加することに意義」はクーベルタンが聖職者の言葉を引用したもの。自身は「重要なのは成功することではなく、努力すること」と述べた。エディーは成功しなかったが努力した。(敬称略、共同通信・原田寛)=2017年03月08日

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