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47リポーターズ

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信念が生んだ「奇跡」  「テロリストの弁護士」

2018.2.27 15:59
 小さな体に驚くほどの力を秘めるナンシー・ホランダー。「弁護士は人の人生を変えられる仕事」と語る。多忙な日々の合間に、地域の子どもたちと柔術を練習するのが楽しみという=米アルバカーキ(撮影・バーバラ・デビッドソン、共同)
 小さな体に驚くほどの力を秘めるナンシー・ホランダー。「弁護士は人の人生を変えられる仕事」と語る。多忙な日々の合間に、地域の子どもたちと柔術を練習するのが楽しみという=米アルバカーキ(撮影・バーバラ・デビッドソン、共同)

 

 殺人やレイプの罪に問われた人を弁護しても「あなたもやったのか」とは聞かれない。だがテロ容疑者を弁護すると人々は言う。「あなたはテロの支持者か」

 米国アルバカーキに住む弁護士、ナンシー・ホランダーが2010年、ニューヨーク・タイムズ紙に書いたエッセー「テロリストの弁護士 それは誇り」の冒頭だ。政府が「反テロ」の名目で、違法監禁と拷問を容認し、憲法と法を危険にさらしていると警告。「米国の司法制度を守る」ため、どんな被告人も弁護する決意を述べた文章は、賛同と非難を呼んだ。

 それから6年後の昨年10月、キューバのグアンタナモ米軍基地にあるテロ容疑者収容施設で監禁されていたモーリタニア人モハメドゥ・スラヒが、15年ぶりに解放された。ナンシーの揺るぎない信念と戦略がもたらした「奇跡」だった。

 ▽恐れ知らず

 内部告発者やスパイ容疑者ら、リスクが伴う被告の弁護をしてきた。「緻密で恐れを知らない」と評される73歳。洗練された装いと柔らかな感性を今も保っているのは、大会社の経営者として激務をこなしながらもエレガントだった母の影響だ。「何をしてもいいが、男になってはいけない」という忠告を、反戦運動などで3度逮捕された学生時代も忘れなかった。

 モハメドゥ・スラヒとの出会いを振り返るラリー・シームズ。モーリタニアで初めて会った時「旧友と再会したような気がした」。モハメドゥは彼を「兄」と呼ぶ=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)
 モハメドゥ・スラヒとの出会いを振り返るラリー・シームズ。モーリタニアで初めて会った時「旧友と再会したような気がした」。モハメドゥは彼を「兄」と呼ぶ=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)

 モハメドゥの解放は、百戦錬磨のナンシーにとってもひときわ困難な仕事だった。05年6月、モハメドゥの家族の依頼で拘束を確認し、面会のためグアンタナモを訪れた。イスラム教徒の彼が、女性弁護士を受け入れるかどうか不安だった。

 面会室に入ると、モハメドゥが立ち上がった。喜びに満ちた笑顔が、心を打った。だが手を差し出したまま一歩も動かない。奴隷のように足かせをされていたのだ。ナンシーが近づき差し出した手を、モハメドゥは固く握った。

 弁護団を結成し、ナンシーは年に数回、グアンタナモを訪れ、モハメドゥの独房で彼の話に耳を傾けた。証拠もないのに米側の求めるままに自国政府が身柄を渡したこと、拷問、自由だったころの人生と家族。人間的な触れあいを長年絶たれていたのに、好奇心や他者への思いやりを失っていないことに感銘を受けた。彼を独房に残して帰るのがつらく、涙がこぼれた。「泣かないで」とモハメドゥは慰めた。

 法的手続きなしで多数の外国人を長期監禁している「米国法でも国際法でも違法な場所」。グアンタナモは、タフなナンシーをも疲労させた。
 ナンシーの求めでモハメドゥが書いた手記は、400枚を超えた。「機密扱い」だったが「出版すれば解放に有利に働くはず」。7年かけ「公開」にこぎつけた。

 ▽知られざる米国

 「ナンシーに原稿を見せられた時、他の人に絶対に渡さないで、と言った」。15年に出版されたモハメドゥの手記「グアンタナモ収容所」(邦題)を編集したニューヨーク在住の作家、ラリー・シームズは58歳。当局の検閲で2500カ所以上が黒塗りされていたが「最高の監獄文学だ、と分かった」。

 キューバのグアンタナモ米軍基地にある施設で、礼拝する収容者ら。環境は改善されたと、当局は強調している。約40人が現在も拘禁されている=2009年10月(ゲッティ=共同)
 キューバのグアンタナモ米軍基地にある施設で、礼拝する収容者ら。環境は改善されたと、当局は強調している。約40人が現在も拘禁されている=2009年10月(ゲッティ=共同)

 ラリーは、米自由人権協会などが起こした訴訟により公開された文書で、モハメドゥの記録を読んでいた。それと一致する凄惨(せいさん)な体験が、ユーモアを交え軽やかに描かれていた。

 尋問官や兵士らを個人として観察し、育ってきた社会や組織の圧力などを理解しようと試みていた。拷問を命じられた兵士にも人間性を見いだしていた。強大な力を持つ米国の、米国人が知らない姿が伝わった。

 「歴史は、その時代に必要な言葉を生む」。人間に絶望せず、異質なものをつなごうとするモハメドゥは、分断を深める今の世界で「その役割を担っている」とラリーは言う。編集に2年。手記は欧米メディアがこぞって取り上げ、米国でベストセラーとなった。

 ▽自由の身で

 「自分の政府が、違法に人々を監禁する時代が来るとは思わなかった」。ナンシーは語った。今は「反テロ」の名の下で、一般社会の現実になる恐れがある。政府は秘密主義を強め、電話の盗聴やメールの監視をひそかに行う。トランプ大統領はグアンタナモの存続を公言し、その陰で極右や白人至上主義が台頭する。

   地図
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 だが「絶望する必要は全くない」とナンシーはきっぱりと言う。民族間の対立が常に渦巻く米国だが、民主主義と自由を求め立ち上がる人々が常に存在するのも事実だ。モハメドゥの手記は人々を触発し、解放への力となった。「奇跡は起こるものよ」

 16年10月。米軍機がモハメドゥを故郷に運んだ2日後、ナンシーはモーリタニアの首都の空港に到着した。イスラムの習慣に従いスカーフで髪を覆っていた。モハメドゥが向かってきた。「この国にドレスコードはないんですよ」。自由な身同士として初めて、心から笑い合った。(敬称略、共同通信・舟越美夏)

 ◎エピローグ/拷問の実態を追う

 2001年9月の米中枢同時テロ以降に監禁した者に、米国はどんな拷問をしたのか。ラリー・シームズはその実態を追い続けている。

 政府が09年に公開した機密文書は約13万ページ。グアンタナモで「特殊尋問」を受けたのは、モハメドゥら2人だった。文書を基にした著書「拷問リポート」で、ラリーは「拷問はホワイトハウスからの指示だった」と指摘した。

 米中央情報局は、心理学者2人に「効果的な拷問」プログラムの策定を依頼。犠牲者の遺族らが2人に賠償を求めた初の訴訟は今年9月、公判前手続きで和解した。その過程で明らかになった拷問の詳細も、ラリーが報告している。

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