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47リポーターズ

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許しは自由のために     グアンタナモからの生還

2018.2.27 15:42
 モーリタニアの首都ヌアクショット郊外の砂丘で、夕日を背にたたずむモハメドゥ・スラヒ。砂漠に座り、思いにふける平和な時間が好きだという(撮影・中野智明、共同)
 モーリタニアの首都ヌアクショット郊外の砂丘で、夕日を背にたたずむモハメドゥ・スラヒ。砂漠に座り、思いにふける平和な時間が好きだという(撮影・中野智明、共同)

 

 祈りを唱える母の姿と自宅の青い門が、小さくなっていく。警察へ向かう車のドアミラーに映るその光景は、モハメドゥ・スラヒの脳裏に今も深く刻まれている。

 2001年9月に起きた米中枢同時テロの後、中東やアフリカで拘束された数百人が、キューバのグアンタナモ米軍基地にあるテロ容疑者収容施設に送られた。その一人、モーリタニア人のモハメドゥは、米中央情報局(CIA)に国際テロ組織アルカイダ関係者と決めつけられ、15年もの間、拷問と監禁に耐えた。

 昨年10月に解放された時、母は病死していた。「全てを許します。神がわれわれを許されますよう」。生還後の第一声だった。

 ▽神童

 46歳のモハメドゥは、サハラ砂漠の国モーリタニアで、遊牧民の家系に生まれた。12人きょうだいの9番目。600ページ余りのコーランを暗唱する神童だった。奨学金を得て17歳でドイツの大学に留学。電気工学を学び12年後の00年に帰国し、技師となった。

 米国が人生を変えた。モハメドゥには、CIAが目を付ける条件がそろっていた。アラブ人、高学歴。米ソの代理戦争が続いたアフガニスタンで、まだ米国と協力関係にあったアルカイダから戦闘訓練を受けていた。米中枢テロの2カ月後、地元警察の要請で出頭し、CIAに引き渡された。02年8月、グアンタナモにひそかに移送された。

モハメドゥ・スラヒのユーモアあふれる語り口と笑顔からは、心身の後遺症と闘っていることは分からない=モーリタニア・ヌアクショット(撮影・中野智明、共同)
 モハメドゥ・スラヒのユーモアあふれる語り口と笑顔からは、心身の後遺症と闘っていることは分からない=モーリタニア・ヌアクショット(撮影・中野智明、共同)

 「テロとは無関係だ」と裁判で主張できる―。米国への期待は夢にすぎなかった。抵抗の意志をくじき「自白」させる手段に、鎖と拷問、屈辱が使われた。ハンストであらがう者、精神に異常を来す者。収容者の大半は非戦闘員で、12歳の少年や80代の老人もいた。モハメドゥは、証拠もないのに身柄を渡した自国政府を憎んだ。生きている、と母に伝えたかった。

 ▽「認めろ」

 03年5月ごろ、モハメドゥへの拷問が激化した。ラムズフェルド国防長官(当時)が「特殊尋問」を承認したのだ。

 「アルカイダの勧誘者と認めろ」。昼夜の尋問が70日間。長時間の殴打、低温の部屋への放置。女性兵士2人に性的暴行をさせ、祈りを唱えるモハメドゥをあざ笑った。だが兵士は命令を拒否できず、嫌々やっていることに気付いた。「この経験に一生、苦しむだろう」と同情した。

 心身が限界だった。家族の声が聞こえ、指先に血がにじむまで髪を抜いた。海水を飲ませ殴る拷問と、母を連行するという脅迫で全てに同意した。04年が終わる頃だ。

 待遇が変わった。隔離監禁だが、新たな看守の米兵らは人間的だった。在米で36歳の元看守スティーブン・ウッドは、モハメドゥに初めて会った日の驚きを覚えている。「極悪人」という情報を一瞬で否定した笑み。二人の間の境界が消えた。人生や宗教を議論し「初めての女性」を明かし、散髪し合った。うなされるモハメドゥを慰めた時に、拷問の事実を知った。自分が命じられていたら? 「ぞっとする」とウッドは言う。

手記「グアンタナモ収容所」の原稿コピー。弁護士の請求で公開されるまで「機密」扱いだった。7年間の検閲で、数千カ所が黒塗りされた(撮影・中野智明、共同)
 手記「グアンタナモ収容所」の原稿コピー。弁護士の請求で公開されるまで「機密」扱いだった。7年間の検閲で、数千カ所が黒塗りされた(撮影・中野智明、共同)

 05年6月、米国人弁護士が面会に来た。モハメドゥが人身保護請求を申し立てた後だった。「叫びが通じた」。看守らから学んだ英語で、弁護士宛てに手記を書いた。
 5年後、連邦地方裁判所は釈放を命じた。だが米政権が控訴。モハメドゥは絶望し、誰とも話さなくなった。中国の老子や禅の本を読み、自身と対話した。グアンタナモで非人間的な行為が横行している、との批判が米国で起きていることは、知る由もなかった。

 ▽解放の日

 弁護士らが15年に出版にこぎ着けたモハメドゥの手記は、波紋を広げた。収容所の実態、著者のユーモアや人間への好奇心、内なる善と悪の攻防。検閲による数千カ所の黒塗りが衝撃を深め、ニューヨークでは朗読会も開かれた。元主任検事は「拷問による自白」と無実を証言した。

 解放の日は突然来た。米軍機が降りたモーリタニアの首都ヌアクショットの空港には米国大使もいた。青い門をくぐり、自宅で報道陣と歓喜する家族に囲まれ、モハメドゥはぼうぜんとしていた。

 それから約10カ月後の今年8月。首都で会ったモハメドゥは朗らかだった。看守に人気だったヒップホップを歌い、冗談を言い、ミント茶のお代わりを気遣う。ふと「頭痛がひどい」とつぶやく。拘禁の後遺症で、何種類もの薬が欠かせない。なぜ、それでも許すのか。

 モーリタニアの首都ヌアクショット郊外の砂漠に立つモハメドゥ・スラヒ。強い風で民族衣装がはためき、夕日が砂地を赤く染める。足跡は翌朝までには消えるという。ラクダと砂漠はモハメドゥの子ども時代の思い出でもある(撮影・中野智明、共同)
 モーリタニアの首都ヌアクショット郊外の砂漠に立つモハメドゥ・スラヒ。強い風で民族衣装がはためき、夕日が砂地を赤く染める。足跡は翌朝までには消えるという。ラクダと砂漠はモハメドゥの子ども時代の思い出でもある(撮影・中野智明、共同)

 「憎しみに支配されたくないから」。憎しみは頭の中で「敵」に力を与え、自分を奴隷にする。「許すのは自由になるためだ」。まっすぐな目でそう答えた。

 「神のご加護を」。郊外の砂丘で、モハメドゥは砂に書く。風が少しずつ砂丘の形を変えながら、アラビア文字も足跡も消していく。辺りが夕日に染まる。「砂漠の平和が好きだ」。「敵」の善意も引き出したあの笑みで、モハメドゥは言う。(敬称略、共同・舟越美夏)

 

◎エピローグ/復元された言葉

 米軍は、世界各地に秘密の軍事施設を持つ。英国の人権団体によると、グアンタナモには、約780人が送られたが、有罪判決を受けたのは9人だけ。同数が死亡した。「米国人にも良くない。多額の税金で復讐(ふくしゅう)者をつくりだしている」とモハメドゥ。拷問には同盟国兵士も従事したという。

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 手記「グアンタナモ収容所」(邦題)は日本など30カ国近くで出版され、米国ではベストセラーとなった。消された文言を復元した英語の版も10月に出版。モハメドゥは女子教育のための基金設立や「人間の矛盾」がテーマの小説執筆で忙しい。今も出国許可が出ていないが、欧米のシンポジウムにネット電話で参加し、体験を語っている。

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