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47リポーターズ

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分かり合うことの難しさ    「死の棘」に異なる反応

2018.2.27 14:00

 

映画「死の棘」の一場面(ⓒ松竹、DVD―Book「死の棘」駒草出版)
 映画「死の棘」の一場面(ⓒ松竹、DVD―Book「死の棘」駒草出版)

 

 今年で55回目を迎えるニューヨーク映画祭(NYFF)は、9月28日、マンハッタンのリンカーンセンターで幕を開けた。映画芸術の振興を目的に、コンペティションは行わず、世界の優れた作品を一挙に上映するユニークな映画祭だ。

 27年前、日本映画「死の棘(とげ)」も、この映画祭で上映された。島尾敏雄の同名の小説が原作。「浮気を知った妻が、夫を延々と責め、次第に精神のバランスを崩していく」というあらすじだ。1990年5月にフランスのカンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞、その4カ月後に米国に招かれた。

 「死の棘」の監督、小栗康平(72)はニューヨークで、その年4月に公開された日本でも、カンヌでも体験しなかった観客の反応に驚く。それは「大笑い」だった。

 「初めから大笑いなんだ。おまえら笑い過ぎだよ、と腹が立つほどだった」。いったい、何がおかしかったのか? 四半世紀以上の時がたった今、答えを探ってみた。

 ▽居心地の悪さ

 「小栗さんが言うような大笑いは、記憶していません。でも確かに、くすくす笑っていた観客がいました。米国人は『アンコンフォタブル』(居心地が悪い)と感じたときに、笑うことがあるからかもしれません」

 NYFFの名誉ディレクターで、コロンビア大教授のリチャード・ペーニャは二十数年ぶりに「死の棘」を見直した。「現実と幻想、現在と過去が入り混じった複雑な作品で、米国の観客には理解が難しいところがあります。似た事例と言えるのが、『シンドラーのリスト』を巡る大騒ぎかもしれませんね」(64)は語る。90年にNYFFの作品選定委員長として「死の棘」を事前に見て、とてもいい作品だと感動し、映画祭への招待を決めた。

 「アメリカ的な物語理解の中で『死の棘』が見られたことについては、異議を唱え続けるしかない」と語る小栗康平=東京都内(撮影・相沢彩花)
 「アメリカ的な物語理解の中で『死の棘』が見られたことについては、異議を唱え続けるしかない」と語る小栗康平=東京都内(撮影・相沢彩花)

 ペーニャが言うのは、94年の1月にカリフォルニア州オークランドであった出来事だ。スティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」は、ホロコーストをテーマにした映画だ。教師に引率されて見に行った高校生の集団が、ナチの兵士がユダヤ人の女性を射殺する場面で大笑いし、怒った映画館主に追い出された。

 報道されると、高校生を「怪物だ」などと非難する声が上がり、大騒ぎになった。数カ月後にスピルバーグ自身が問題の高校を訪れ、「僕も子供のころ『ベン・ハー』の上映中におしゃべりしていて、映画館を追い出された。今回も、若者の特権と考えるべきだ」と弁護して収まった。

 ペーニャは、高校生たちは殺人に共感して笑ったのではなく、アンコンフォタブルな気持ちが笑いになって現れたのではないか、とみる。「それが『死の棘』を見た観客の笑いとも、共通するのではないでしょうか」

 ▽考える前に反応

 「米国では映画館の観客の反応が、日本と全く違う。特にニューヨークでは、登場人物のちょっとしたしぐさで笑う。反応がすごく速い」。93年からニューヨークで暮らし、「選挙」「精神」などのドキュメンタリー映画を監督している想田和弘(47)は言う。

 同様に、日米の文化の違いが「笑い」の背景にあると指摘するのは、日本映画に詳しい映画配給会社経営、デニス・ドロス(59)だ。「日本人は礼儀正しさを重んじ、反応するより前に考える。米国人は考えるより前に反応し、礼儀正しさや正しい理解などには配慮しない傾向がある」は、登場人物のちょっとしたしぐさで笑う。反応がすごく速い」。93年からニューヨークで暮らし、「選挙」「精神」などのドキュメンタリー映画を監督している想田和弘(47)は言う。

ニューヨーク映画祭の開幕日、映画関係者や映画好きのニューヨーカーたちでにぎわう会場のリンカーンセンター(撮影・中島悠、共同)
 ニューヨーク映画祭の開幕日、映画関係者や映画好きのニューヨーカーたちでにぎわう会場のリンカーンセンター(撮影・中島悠、共同)

 観客の資質の違いが笑いを呼んだという見方に、小栗監督も同意する。「米国の観客は、表面的なストーリー中心のハリウッド映画に慣れている。だから、作品が内面的になったりすると、ついていけない。それが、あの薄っぺらな笑いにつながっていると思う。でも『死の棘』は、そんな映画じゃない。表面で進む夫婦げんかのいきさつは重要じゃなく、その過程で潜在的に隠れているものがせり出してくる。それを撮りたかった」

 ▽日本人の沈黙

 一方で小栗は「死の棘」に笑わなかった日本の観客の反応も「非常に残念だった」と明かす。

 「本質的には笑ってほしい映画なんだ。実は原作も、単純なリアリズムの底が抜けて、滑稽な地点までいっている。それが島尾さんの意図であり、あの小説の良さだと思う。映画もそうした滑稽味を出そうとした。真っすぐ向き合えば、当然笑いが起きる場面があるはずなんだ。でも、日本では笑いが起きなかった。深刻な作品だという余計な先入観があったからだと思う」

 ニューヨークの笑いは、小栗を傷つけた。だが、日本人の沈黙に満足したわけでもない。浮かび上がってくるのは「死の棘」の夫婦が向き合った、人と人とが分かり合うことの難しさだ。(敬称略、共同通信・立花珠樹)

 ◎エピローグ/あなたさま

映画「死の棘」は、妻が夫を責める場面から始まる。「おまえなどと言ってもらいたくありません」。「あなたさま、と言いなさい」

 英語の字幕では「おまえ」は「Hey」。「あなたさま」は「My dear」だ。

 日本語が堪能な米国人は「映画を通して見た。英語字幕はシンプルで、間違ってはいないが、映画の深みを表現できていない」と言う。異文化を理解するのは、本当に難しい。

 実は初めて見たときは、冒頭の場面が怖かった。でも今回見直して、クスッと笑ってしまった。二十数年の時間が、観客の映画への向き合い方を変えることもあるのだ。

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