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もがき苦しみ得た「成長」 テロ遺族2人の輝き 

2018.2.27 12:39

 「9・11家族会」のリー・イエルピ会長らが2012年に来日、交流した際の写真を贈られ、喜ぶ高橋シズヱ(右)=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)

 「9・11家族会」のリー・イエルピ会長らが2012年に来日、交流した際の写真を贈られ、喜ぶ高橋シズヱ(右)=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)

 

 米中枢同時テロで命を落とした消防士の夫は、私が涙に暮れる人生を送ってほしいなんて思っていないはず。「今あるものを一番生かす選択をしなきゃと思う。それは、与えられた贈り物だと思うの」。ペース大経営学部助教となったキャサリン・リチャードソン(45)は変わり続ける街ニューヨークで、次の自分を追い求めている。

 地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人の高橋シズヱ(たかはし・しずえ)(70)は、この街を13年ぶりに訪れた。愛する人を失った悲しみは決して消えない。それでも、もがき苦しむ中から獲得した「成長」。それは2人を輝かせる。


 キャサリンの夫ロバート・マクパデン=当時(30)=は、2001年9月11日、世界貿易センタービルに隣接するホテルで避難誘導中に行方不明になった。遺体発見は半年後だった。

 ▽経験の意味

 結婚3年目、ニューヨーク郊外に構えた新居へ引っ越す直前の悲劇。葬儀後、迷った末に1人での転居を決断した。実家に戻るのは「後退」にすぎないと感じたから。「自分だけのスペースを持てたこと、家族や友人のサポートを受けての職場復帰、そんな小さなステップから、日常を取り戻せました」

世界貿易センタービル跡地近くにできた交通ハブ「オキュラス」の前で晴れやかな表情を見せるテロ遺族のキャサリン・リチャードソン。悲しみをくぐり抜け、今ある人生を生きている=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)
 世界貿易センタービル跡地近くにできた交通ハブ「オキュラス」の前で晴れやかな表情を見せるテロ遺族のキャサリン・リチャードソン。悲しみをくぐり抜け、今ある人生を生きている=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)

 変化は徐々に訪れた。既に取得していた経営学修士(MBA)から一歩進み、大学院の博士課程へ。テロ遺族らでつくる「9・11家族会」が、世界貿易センタービル跡地近くに開設した展示施設「トリビュートセンター」でボランティアガイドも始め、再婚して子どもができるまで、見学者に自らの経験を語り続けた。やがて、そこに意味と希望を見いだせるようになったという。

 今の研究対象の一つは「心的外傷後の成長(PTG)」。心理学で「非常に困難な危機と苦しみの中から、心理的な成長が体験される結果とプロセス」と定義される分野の探求は、自らの経験が裏付けとなっている。

 ▽国を動かす  

 9月、秋めくニューヨークを高橋が訪れた最大の目的は、トリビュートセンターがリニューアル、6月にオープンした「9・11トリビュート博物館」の見学だった。

  目を奪われたのは、26歳の犠牲者の死亡証明書。遺体は未発見だが、「死に至る経緯」の欄で「HOMICIDE(殺人)」にチェックマークが入っていた。「忘れないでほしいと遺族が提供してくれました」。家族会メンバーの説明に、高橋の目から涙があふれた。

 1995年3月20日、地下鉄霞ケ関駅助役だった夫は、サリン入りの袋を片付けた後に倒れた。死亡診断書の「有機リン中毒」との記載は覚えていたが、「他殺」に○があるのは最近改めて見るまで知らなかった。

「9・11トリビュート博物館」でリー・イエルピ家族会会長の息子ジョナサンの遺品に言葉を失う高橋シズヱ(左)。消防服の背中は大きく裂けており、同時テロのビル倒壊の激しさを物語っていた=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)
 「9・11トリビュート博物館」でリー・イエルピ家族会会長の息子ジョナサンの遺品に言葉を失う高橋シズヱ(左)。消防服の背中は大きく裂けており、同時テロのビル倒壊の激しさを物語っていた=米ニューヨーク(撮影・ライアン・クリストファー・ジョーンズ、共同)

 「当時、きちんと説明してくれていたらよかったのに」。こうした高橋の訴えは、時に国を動かしてきた。被害者や遺族への給付金制度創設はその一つだ。

 きっかけは、地下鉄事件10年の2005年3月に開いた集会だった。高橋は前年のニューヨーク訪問で出会った家族会会長リー・イエルピ(73)を招待。リーは、遺族1家族当たり平均210万ドル(2億円超)が支給されるなど、米政府による手厚い補償の実態を報告した。

 地下鉄事件の遺族に当時出ていたのは、犯罪被害者給付などわずか。報告に突き動かされた高橋は、約3年かけて政府や国会に訴え掛け、オウム真理教による8事件の被害者・遺族に最高3千万円を国が給付する特措法成立という結果をつかみ取った。

 「経験のない世界に足を踏み入れて、新しい自分を切り開かなければなりませんでした」と振り返る高橋。「事件がなかったら、普通の主婦だったでしょうね」とも。PTGの考え方に触れ、事件後の自分の歩みにぴったり合うと断言する。

 ▽きっとうまくいく

 リーの持論は「遺族は忘れられてはならない」。ニューヨークから南部フロリダ州に移り住んだリーは、博物館を訪れた高橋にテレビ電話を通して語りかけた。

 「つらいこともあったけど、とにかく生きて、生き続けなければならなかったよね」。そして、給付金制度創設を勝ち取るまでの取り組みをたたえた。

 事件から22年、高橋が望むのは「事件をきちんと伝え続ける」こと。地下鉄事件でも展示施設は作れないか。若者たちはどうすれば関心を持ってくれるのか。常に考え、行動する。「私の人生、まんざらでもない。面白くなってきたなって思うんです」 

 キャサリンはボランティアガイドだったころ、母親から聞いた祖母の話をよく披露していた。祖母の弟は第2次世界大戦中、派兵先のドイツから妻に手紙を送った。

地図
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 「もし僕に何かあっても、君の命まで亡くさないで」

 同時テロでは、多くの命が失われた。でも自分は生きている―。「私は2人の子どもにも恵まれました。もっと今の環境に感謝して、世の中のすばらしいことにも目を向けなきゃと思うんです。きっと何もかも、うまくいくはずだから」(敬称略、共同・増永修平)

◎エピローグ/法廷でも堂々と

 高橋は2015年3月、東京地裁の法廷に被害者参加人として立ち、元オウム真理教幹部の被告に直接質問した。「被害者や遺族のことは考えていましたか」「後悔はありますか」。堂々としていた。

 「普通の主婦」から「被害者のリーダー」へ。講演をすると、よく「なぜ、そんなに強いのか」と聞かれる。高橋は「あんな死に方になってしまった主人のために行動してきたから」と答える。

 専門家によると、PTGは提唱されてからまだ20年ほどの新しい考え方。高橋を長く取材してきた私には「そうか、この人は成長していたのか」と、よく理解できた。一方で、悲しみから立ち直れない被害者が少なくないことも、心にとどめておきたいと思う。

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