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「天に昇るような気持ち」 処刑の日々、少年兵の初恋 

2018.2.5 15:35
 ベトナム軍の侵攻によるポル・ポト政権崩壊後、タイ国境近くの森を拠点にゲリラ活動を繰り広げていたポト派少年兵たち。ポト派兵士の強さはベトナム軍も恐れた=1981年2月、カンボジア西部パイリン近郊(ゲッティ=共同)
 ベトナム軍の侵攻によるポル・ポト政権崩壊後、タイ国境近くの森を拠点にゲリラ活動を繰り広げていたポト派少年兵たち。ポト派兵士の強さはベトナム軍も恐れた=1981年2月、カンボジア西部パイリン近郊(ゲッティ=共同)

 

 1975年4月。急進的なカンボジア共産党ポル・ポト派が、米国が支援する政権を打倒したのは、ソパ(仮名)が7歳の時だった。私有財産や階級社会を否定するポト派は、農民を主体とする新たな国の建設を目指し、都市住民を農村に強制移住させ働かせた。敵とみなす者は処刑し、病気や飢餓で多数が死に追いやられた。

 ソパは少年兵となり、ベトナム軍の侵攻でポト政権が崩壊した後も闘い続けた。ポト派が99年に消滅すると西部パイリンで、元最高指導者ヌオン・チアらの身辺の世話や地雷除去に従事した。

 元指導者に約200万人の死の責任を問う特別法廷が終盤を迎える今、49歳になったソパは過去を語り始めた。

 ▽オンカーの子

 10歳の時、初めて人を処刑した。後ろ手に縛った「敵のスパイ」の男10人を僕ら6人で森に連れて行った。40歳くらいの男が無言で僕を見た。怖くはなかった。後ろから銃殺した。

 僕は西部バタンバン州の村で生まれ、両親と一つ違いの兄と暮らしていた。ポト派が政権を取る前から支配していた地域だ。ポト派政権になって2年ほどたった時、親と離され少年団での生活を命じられた。

 「オンカーの子」として国を愛し、集団の規律を守る―。厳しく教えられた。オンカーとは偉い指導者のことだろうと思ったが、一体誰なのか、知っている人はいなかった。

 インタビューに応じるポル・ポト派元ナンバー2のヌオン・チア=2001年、カンボジア・パイリン
 インタビューに応じる逮捕前のポル・ポト派元ナンバー2、ヌオン・チア=2001年、カンボジア・パイリン(撮影チャンユラ・コサル、共同)

 太陽が空のてっぺんに来るころに「気を付け」の姿勢で「イチ・ニ・サン…」と、みんなで百まで叫ぶのが日課だった。間もなく兵士になるよう命じられた。兵士はご飯がたくさん食べられるし銃を持てる。みんながなりたがった。 

 重要なのは「敵を抹殺する」こと。敵とは、カンボジアを支配しようとする隣国のベトナム人、米国の中央情報局(CIA)など外国のスパイ、腐った思想に犯された前政権のやつらだ。

 楽しくなんかないけど、悲しくもない。頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッ。銃声を消すためトラックのエンジンをふかし続けた。純粋なカンボジア人の独立国をつくるためだった。後悔はしていない。 

 僕の部隊は、北西部で数千人の敵を処刑した。大きな穴を掘り、その前に順番に立たせる。敵は「根絶やしにする」のがオンカーの方針だから、女や子どもも、だ。穴に積み重なる死体を見て、気を失ったり泣きだしたりするやつもいた。

 ▽人を愛する

 うれしかったこと? あったよ。長ズボンと長袖シャツをもらった時だ。短いものしか持ってなかったから、いつも欲しかった。79年1月、ベトナム軍の侵攻で政権が崩壊し、タイ国境近くの森まで逃げる途中、中国製のものを渡された。11歳になったばかりだった。

 僕らは森を拠点に、ベトナムとかいらい政権の軍と戦い続けた。10年近くたち、和平に向けた会議がジャカルタで開かれたころ、首都偵察を先輩と命じられた。

 驚いた。森で闘っている間に、街はきれいに整備されていた。先輩に連れられ、ある家に行った。女の子が次々とあいさつに来る。娘がたくさんいる家なんだな、と思っていたら「女を選べ」と言われた。売春宿だった。

 初めての体験だ。戸惑いながら指さした女の子に部屋に案内され、彼女が水浴びをしている間、ベッドに横になり両手で胸を抱えて震えていた。「大丈夫よ。あなたも水浴びをして」。胸まで布を巻いた彼女がそばに来て笑った。

 腰までの黒髪と明るい肌。初めて恋をした。オンカーは人を愛することは教えてくれなかったけど、天に昇るような気持ちなんだね。朝まで愛し合った。二人で笑いながら水浴びをし、キスをしてまた抱き合った。

 ▽森の歌声

 森に戻ると、仲間にこう言われた。「あそこの女たちはベトナム人だ」。なんてことだ、結婚したかったのに敵だったなんて。二度とそこには行かなかったけど、彼女のことは忘れられない。

 90年代終わりごろ、生まれ育った村に行ったら母さんがいた。20年ぶりの再会に母さんは泣いた。僕は泣かなかったけど、父さんが病死したと知り、寂しかったな。いつも膝の上で抱き締めてくれたから。少年団に入る前、配給がわずかで空腹でたまらなかった日、父さんが危険を冒して米を盗んできた。他の人に見つからないように夜、暗闇の中で家族で食べた。父さんが誇らしくてうれしくて、幸せだった。

開発が進むカンボジアの首都プノンペン。この10年で高級マンションやオフィス向けのビルなどが次々と建った(撮影チャンユラ・コサル、共同)
開発が進むカンボジアの首都プノンペン。この10年で高級マンションやオフィス向けのビルなどが次々と建った(撮影チャンユラ・コサル、共同)

 こうしてみると悲しい話ばかりだな。「カンボジア人であることは誇り」なんて歌があるけど、現実は違うよね。でも話したいことがたくさんある。ヌオン・チアが特別法廷に逮捕されパイリンを去る時、高らかに笑ったこととか、僕たちが森でどう闘ったかとか。森で歌うと、声は木に反響するんだよ。(敬称略、共同通信・舟越美夏)

  

 ◎エピローグ「闇の奥」

 オンカーとはカンボジア語で「組織」の意だ。ポル・ポト時代は、指導者の名は秘密だった。

 「汚れた思想に侵されていない」子どもは、新しい国の建設に重要な存在だった。オンカーの教育には「個人的な愛情の否定」も含まれていたが、ソパの柔らかな感性は消されなかった。

 ソパは朗らかだ。知り合った16年前も、結婚して父親となった今もそれは変わらない。兵士仲間とは時折、食事を共にし「楽しい思い出話」にふける。特別法廷の拘置所にいるヌオン・チアを「おじさん」と呼び、今も尊敬している。

 だが「国のための正義」を理由に、処刑役を担わされた過去を本当はどう感じているのか。心の闇の奥深くに入ることは、まだできていない。

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