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47リポーターズ

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ヒロシマが変えた人生 毒ガスの悲運にあらがう 

2018.1.29 13:14
イラン北西部バネの自宅で娘のゲラレとくつろぐチマン・サイドプール。「この子が私の痛みを忘れさせてくれるの」(撮影・澤田博之、共同)
イラン北西部バネの自宅で娘のゲラレとくつろぐチマン・サイドプール。「この子が私の痛みを忘れさせてくれるの」(撮影・澤田博之、共同)

 

 夕日に染まる町に、イスラム教徒へ祈りの時を告げるアザーンが響いていた。家路を急ぐ少数民族クルド人の伝統衣装が鮮やかだ。周囲に険しい岩山が連なるイラン北西部バネ。国境の向こうはイラクだ。いつも速足で忍び寄る宵闇が、チマン・サイドプール(31)は少女の頃から憂鬱(ゆううつ)だった。

 激痛を伴うせきの発作は一晩中続いた。腫れた肌がかゆく、かきむしるたびに血がにじむ。薬や酸素吸入器も気休めだ。まどろむこともままならず、ベッドの上で涙が込み上げた。「どうして私はこんな体なの?」

 チマンは1980年代のイラン・イラク戦争下で使用された化学兵器の被害者だ。皮膚や呼吸器に重い後遺症を抱え、視覚障害が現れた左目に角膜移植手術を繰り返してきた。症状は悪化の一途をたどる。名医もさじを投げた。

               ▽罪なき被害者  

 雲一つない朝の春空が広がっていた。あの日の出来事を、叔母のアスマル(47)が振り返る。生家があったバネ西郊の村を、突然

イラン北西部サルダシュトで催された化学兵器の犠牲者を追悼する式典で、津谷静子(手前左)と念願の再会を果たしたチマン・サイドプール(同右)。笑顔には涙も浮かんでいた(撮影・澤田博之、共同)
イラン北西部サルダシュトで催された化学兵器の犠牲者を追悼する式典で、津谷静子(手前左)と念願の再会を果たしたチマン・サイドプール(同右)。笑顔には涙も浮かんでいた(撮影・澤田博之、共同)

の空爆が襲った。腐ったニンニクのような異臭。次第に吐き気やめまいに襲われた。逃げ惑う村人の悲鳴がこだましていた。

 「娘にキスがしたいの」。搬送された病院のベッドで、母は生後8カ月だったチマンを抱き寄せると息を引き取った。おなかに宿していた新たな命は死産だった。呼吸困難にあえぐ6歳の姉は、のどにチューブをつながれたまま絶命した。

 空爆には化学兵器の一種であるマスタードガスが使用された。人体の皮膚をただれさせる「毒ガス」だ。イラクのフセイン政権には、国境をまたいで住むクルド人が敵国イランと連携する事態を防ぐ意図があった。だが標的の多くは、チマンのような罪のない民間人だった。

 一命を取り留めたチマンだが、受難は始まったばかりだった。体が満足に動かず、仲良しの友達ができない。小学校は5年生で断念した。黒板の文字がかすみ、授業に迷惑が掛かるのが嫌だった。家では掃除を手伝おうにも、舞い上がるほこりで気管が痛んだ。いつもうつろな表情を崩さないチマンを、アスマルはふびんに思った。

               ▽「初めてうれしい」

 同じ大量破壊兵器の惨禍を味わった被害者として、チマンが被爆地・広島を訪問する代表団のメンバーに選ばれたのは18歳の時だ。約1週間の滞在は、家と病院を往復するだけの狭い世界で生きてきた少女の心を根底から揺さぶった。
 原爆資料館に焼け焦げたまま展示されていた三輪車の持ち主に、かつての自分の姿が重なった。面会した被爆者はこちらの体験に耳

 化学兵器攻撃があったイラン北西部サルダシュトの現場周辺。約8千人が被害に遭った当時の状況を横断幕が伝えている(撮影・澤田博之、共同)
 化学兵器攻撃があったイラン北西部サルダシュトの現場周辺。約8千人が被害に遭った当時の状況を横断幕が伝えている(撮影・澤田博之、共同)

を傾け、体に残るケロイドを見せてくれた。同じように後遺症を背負いながらも、核廃絶を願って活動を続ける姿は「奇跡」に映った。

 「死ぬのをただ待っていたけど、ヒロシマで変われた気がしたの。痛いのは私だけじゃない。頑張って生きる意味もきっとあるんだ、って」

 訪問プログラムを企画した地元のNPO法人「モースト」理事長の津谷静子(つや・しずこ)(62)は、別れ際にチマンがくれた言葉が忘れられない。「生まれて初めて、うれしい」。周囲がたじろぐほどの無表情が、みるみる笑顔に変化する。人的交流の活動に迷いも生じていたが、遠く離れた海外からも寄せられる共感の深さに救われる思いがした。

               ▽平凡な幸せ

 墓標や慰霊碑が並ぶ高台に、鎮魂の歌声が流れる。今年6月末、バネ北西の町サルダシュトで化学兵器の犠牲者を追悼する式典が催された。来賓の津谷を前に、チマンは十数年ぶりの再会を喜び、親族の紹介で恋に落ちた夫タヘル(41)と、まな娘のゲラレ(3)を紹介した。

地図
              地図

 高額の医療費や根強い差別。まともな社会生活も送れない被害者が置かれた現状は厳しい。なぜしゃがれ声なのかを問われると、チマンは「風邪なの」とうそをつく。看病に専念するため、タヘルは市場の仕事を辞めた。れんが造りの小さな家での毎日は、政府機関のささやかな補助金頼みだ。
 それでも、平凡な幸せこそがチマンにはいとおしい。「こんな私に大好きな家族ができるなんて」。どこか控えめな様子で相好を崩す。呼吸器の損傷で胸が痛み、腹の底から思い切り笑うことが困難なためだ。

 無邪気にまとわりついてくるゲラレとの手遊びが始まった。はしゃぎながら指を絡め、顔をぴたりと寄せ合う母子の姿を、実直なタヘルが静かに見つめている。こうした心安らぐ時間がなかったら、終わりのない闘病に耐え続けることができただろうか。

 「笑顔は私の命そのもの」。後遺症にうずく喉を懸命に震わせ、今日もチマンはほほ笑む。過酷な運命にあらがうために。(敬称略、共同通信・新冨哲男)

               【エピローグ】切なる願い

 「貧者の核」とも呼ばれる化学兵器は開発コストが安く、殺傷能力は極めて高い。最近ではシリア内戦で過激派組織「イスラム国」(IS)がマスタードガスを使用したほか、アサド政権が猛毒サリン系の物質を使って空爆したとの疑惑も浮上した。

 1997年に化学兵器禁止条約が発効し、今年は20年の節目だ。国際社会で「非人道性」は広く共有されるようになったが、新たな被害も後を絶たない。

 約30年間、困難に耐え抜いたチマンは「同じ苦しみを、もう誰にも味わってほしくない」と言う。切なる願いに、立ち止まって耳を傾けるべき時が訪れている。

 

 

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