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47リポーターズ

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のら猫ヨコハマへ行く~後編~

2017.11.20 10:59 洞口依子(どうぐち・よりこ)

 細野晴臣氏が作った『北京ダック』という曲がある。


 光る街・雨に濡れた横浜、迷い込んだ中華街は火の海。
 赤く燃える家鴨は北京ダック。
 赤い靴を履いた女の子が北京ダックを胸に抱えて逃げる。

 中華街が火事? なんてとんちんかんでシュールな歌詞にエキゾチカなサウンド。
 古い無声映画を見ているようでお気に入りのナンバーだ。

 横浜中華街。
 いつの時代もひとびとの胃袋を満たしてくれる身近な異国。

 中華街の歴史は横浜開港とともに動き出す。
 外国人の居留が始まると、その一角に広東から来た華僑の商人が住み始めたのがルーツ。
 その歴史は、150年以上になる。


 理髪、洋裁、料理という刃物商売を営む華僑たち。
 明治には中国料理店・聘珍楼が開店。
 大正の震災、横浜大空襲をくぐり、戦後食糧難の時代にもひとびとの胃袋を満たしてきた中華街。
 1972年の日中国交正常化以降、横浜を代表する観光地になっていった。
 私も両親に連れられて、日本の中の異国を堪能したものだ。


 そんな中華街の様変わりを最近ふと感じる。
 まず、ひとが変わった。

 甘栗や焼き小籠包、タピオカドリンク、買い食い立ち食い、道端に座り食い、占いに群がる観光客。
 あれはまるで祭りの出店で買い食いするノリだ。
 昔から、観光客をもてなす中華街だが、客層がこの数年でがらりと変わったのだ。
 

 ひとが街を作る。
 昔の中華街には、ちゃんと本場の味や食材を求め、楽しみにくる客がいたはずだ。
 しかし、現在は時間無制限の食べ放題やランチに群がる客ばかり。いくら社用接待族が消えたとはいえ。

 そうなると、老舗名店の明かりがどんどん消えていく。
 魅惑の建築様式の「安楽園」もなくなり、香港路にある「海員閣」のコークスの火も消えた。
 真夏に涼を求め駆け込んだ「喫茶ブラジル」も10月に店を閉じた。
 そういえばあの謎の宿「旅館オリエンタル」もなくなっていた。

 長年通っていた名店の味が変わってゆくのも切なかった。
 日本人の舌に合わせすぎたせいなのか、どこにでもあるような街の中華屋の味という塩梅。


 そんな中、自分の知らなかった名店に巡り会うほど、幸せな出来事はない。
 「南粤美食(なんえつ・びしょく)」というその小さな名店は、中華街守る東の玄関口・朝陽門をくぐって右手のローズホテル、つまり重慶飯店の向かい側にあった。

 狭い1階のカウンター内、調理場には料理長ひとり。
 ブルース・リー映画というよりは『Mr.Boo!』に出てくるような風貌。
 孫文と同じ広東省中山市出身の料理人・コウさんが営む広東料理店だ。

 「食は広州に在り」という諺があるが、南粤美食の「粤」とは「粤菜」つまり広東料理という意味らしい。
 広東は、珠江を挟んで広州、香港、深圳、澳門も近い世界最大の都市圏・珠江デルタ地帯。
 そんな土地柄、広州料理、順徳料理、客家料理、潮州料理などが交わり、豊かな食文化が形成されている。
  

 ほとんど日本語が通じない給仕さん。奥様は片言。日本生まれの看板娘は日本語と広東語がペラペラ。
 そのシチュエーションも、まるで広東の港町のどこかで食しているような異国情緒がある。
 中国本土や香港、台湾からの客が多いのも頷ける。
 窓際で広東の味に舌鼓を打っていると、目の前の通りがまるで香港の金巴利道に見えてくるのだから。
    

 看板料理は「丸鶏の塩蒸し」。食欲を刺激する黄色と香り、香港の味がするこれが絶妙にうまい。 
 聞けば料理長コウさんの地元の料理らしく、思い入れたっぷりの一品だ。
 ビール、紹興酒だけでなく白飯にも合う。一羽頼んで半身は持って帰ることもしばしばだ。

 そして、何と言っても絶品なのが「香港海老雲呑麺」。
 麺は香港から取り寄せており、スープには海老や干しガレイをふんだんに使っていて、その味は香港通をも唸らせる。
 関東でこれほど香港らしい香港麺が食べられる店は滅多にない。

 高級ホテルのそれよりもなによりも、一番香港の味を再現しているといっても過言ではない南粤美食の香港海老雲呑麺。 
 「香港の味が恋しい!」というひとは是非、食べてみてはいかがだろうか。

 そして、これからの時期のオススメが香港の名物料理「ボウチャイファン」。
 日本で言うところの、土鍋飯の類だ。
 自家製干し魚・鹹魚(ハムユイ)肉餅が乗ったものや、干した腸詰、貝柱など。土鍋で炊いたこれらをスプーンで混ぜて食す冬の絶品香港飯だ。
 さらに事前予約すると、満漢全席的南粤美食スペシャル料理も楽しめるらしい。


 「冬オススメ、スッポンと名古屋コーチン鍋アルヨ! オイシ、オイシ! 元気デルデル! 肌ツルツルヨ!」と、小沢昭一的怪しい日本語でしきりに宣伝する満面の笑みのコウさん。忘年会でトライするのもありかもしれない。

 先日は、前日予約で特製粥とツバメの巣のデザートを頂いた。
 本場香港の味そのもので、口にした瞬間懐かしさが広がり、ほっぺたが落ちるほど美味しかった。
 たっぷりの貝柱、隠し味の皮蛋の塩漬け。この旨味は腕利料理人・コウさんが成せる深い味わいだ。

 ツバメの巣は、楊貴妃や西太后らが好んだ高級食材。
 最近話題の糖鎖(免疫力を正常化させる栄養素)がふんだんに含まれたパーフェクトフード。
 その威力はロイヤルゼリーの200倍とも言われている。

 コウさんのレシピは、他店では味わえないほどのツバメの巣の大盛りを、香港から輸入した氷砂糖と生姜のみで仕上げる。
 一つ5000円の超高級デザートではあるが、雲呑麺とこれだけを目当てに訪れる客もいるらしい。


 確かに、免疫が高まる気がする。実際私の場合、アレルギーなどによる口内炎が和らぐという即効性も得られた。
 医食同源とはよくいったものの、健康面を考えると案外良いのかもしれない。


 「好好食!(ホウホウセッ!)」広東語で「超旨い!」と香港映画の一場面みたいに言ってみる。
 カウンターにずらり並んだ高級食材の瓶詰めや干し肉の向こうで笑顔のコウさん。
 本場の味を求め、食いしん坊たちの胃袋を満たす路地裏の小さな名店「南粤美食」は、きょうも力いっぱい美食中だ。

 横浜中華街出身といえば、ゴールデン・カップスのギタリスト・エディ潘氏の存在も忘れてはなるまい。
 ご実家は中華街大通りにあった名店「鴻昌」。軒先のウィンドウに吊るされた叉焼や家鴨が懐かしい。


 斜め向かいの「有昌」の叉焼といい、軒先に吊るされた肉に胸躍ったのはこの2軒が生まれて初めてだった。 
 『横浜ホンキー・トンク・ブルース』の作曲者でも有名だが、彼の弾くギターは繊細かつ濃厚。まるで蜜が滴る叉焼のように濃厚で至福の音色だと私は思っている。


 中華街には映画館もあったらしい。
 1966年に閉館した「新光映画劇場」、場所は現在の同發新館。最近では映画祭や音楽ライブなども開催している。

 いろんなひとびとが交差し、文化的にも芸術的にも深いひとびとが交差する港町ヨコハマ。 
 それは港町ゆえ、至るところに隙間がある街だったのではないだろうか。
 遊びの中から生まれる文化。
 その隙間。


 ちょっとした隙間で遊んだり、隠れたり。
 隙間があるから、そこには影が出来、逃げ場にもなる。
 建物の間にも人間関係にも、隙間は大事な空間を作る。


 過去と未来の間に、裂け目があるように。
 記憶と忘却の間に、光と闇とが混在する港町ヨコハマ。


 だから私は辛い時、満たされたい時、ヨコハマに行きたくなる。
 私にとって、ヨコハマは心のダウンタウン。
 あそこに行くと、心も体も解放されてウキウキしてくる。
 私はあの港町になぜだかとっても救われるのだ。

横浜中華街は世界一のチャイナタウン。お気に入りのお店「南粤美食」
横浜中華街は世界一のチャイナタウン。お気に入りのお店「南粤美食」

 

洞口依子(どうぐち・よりこ)

名前 :洞口依子(どうぐち・よりこ)

プロフィール:女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。