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47リポーターズ

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キューバ 憂鬱な楽園(後編)

2016.5.20 11:03

 1998年の夏、私は生まれて初めてキューバを旅した。
 バハマ・ナッソーに滞在中、ふと思い立ったのがきっかけだった。
 そんな行き当たりばったりの旅。


 ナッソーからハバナは約550キロ。
 ちょうど東京~大阪くらいの距離。
 キューバのナショナルフラッグ「クバーナ航空」が、ナッソーとハバナを1時間15分ほどで結んでいた。


 キューバには、ツーリストカードというものがないと入国できない。
 それを持って入国審査を通過するのだが、なんとパスポートに入国のスタンプが押されなかったのだ。


 アメリカとの国交断絶も影響しているのだろうか。
 ツーリストカードにスタンプが押されるだけで、パスポートにはキューバ入国の履歴は残らない。(ただし、スタンプを押してくれと頼めば押してもくれるらしい)


 入国審査を終え、キューバ初入国。
 個人旅行で社会主義国に足を踏み入れたのは初めて。
 私はちょっと緊張した。
 米ドルも使えたが、空港でキューバペソに換金。
 最初に買ったものは、市街地図だった。
 
 
 早速、タクシーに乗ってハバナ市内へ。
 タクシーは、50年代のヴィンテージカー。
 1961年の国交断絶まで、アメリカ人が乗っていた往年の名車が、そのままの姿で今も元気に走っている。


 資本主義アメリカの遺物としてのヴィンテージカー。
 1940~50年代はまさにアメ車の全盛期。
 流線型のおでこ顔の車たち。
 空を飛びそうなテールフィン。
 バスタブのように大きなパッカードやスチュードベイカー(レイモンド・ローウィによるデザイン)という、懐かしい名車の姿まで拝めるのだから、ヴィンテージカー好きにはたまらない。


 他には、ソ連製のラダという車もある。
 タクシーは四角ばったラダが目立った。
 ソ連車のラダと古いアメ車が仲良く寄り添って走る姿は、まるで数奇な運命に翻弄された異邦人兄弟のようにも見える。
 

 そこへ、ココナッツ型のイタリア産エンジン搭載スクーターのココタクシーがうろちょろする。
 常夏の島キューバの強い陽射しの下、それらが仲良く共存し、陽気なキューバ車としてしか見えなくなってくるのが、また面白い。


 新市街に入る。 
 革命広場には、チェ・ゲバラとカミーロ・シエンフェゴスの顔を模った壁画。そして、仏塔のようなホセ・マルティ記念博物館。
 ホセ・マルティはキューバ独立の英雄だ。
 それにしても、フィデル・カストロの銅像や壁画などは全く見かけない。
 これは不思議だった。死んだ者のみを讃えるという意図だろうか。


 革命博物館も見学。
 ここはかつてのバティスタ官邸。
 内装は、かのティファニーが手がけたという。
 そこには、革命の英雄たちにまつわる品々が展示され、中庭には戦闘機や戦車などもあった。


 カミーロとゲバラを模した人形によるゲリラ戦や、奇しくも1997年にボリビアで遺体が発見され、30年ぶりにキューバへ還ってきたチェ・ゲバラの棺の展示もあった。


 キューバ革命もチェ・ゲバラも、どこか遠い昔の歴史のように思っていたが、彼が亡くなったのは私が生まれた2年後だった。
 ゲバラの娘も、実は私と五つくらいしか歳の差がなかったのだ。
 そう考えると、なんだか生々しい気分に襲われた。


 革命博物館を出て、海岸線を車で走る。
 大西洋の紺碧の海の色。
 石垣に打ち寄せる荒々しい波は、真っ白な飛沫をあげて風に舞う。
 潮風で朽ちかけた建物と飛沫の合間を、オンボロ車が通り抜けてゆく。
 これぞハバナの風情。


 カリブ最強と言われる要塞に守られた旧市街中心部へ。
 オールドハバナと呼ばれるそこは、世界遺産になっている。
 19世紀スペインの植民地の風情が残る街並みに、時間を止めたまま停まっているようなヴィンテージカー。
 それだけで、タイムスリップしたような気分だ。
 

 街を歩いていると、観光客相手の葉巻売りがやってくる。
 有名ブランドの葉巻が1本1ドルからあった。
 闇葉巻か偽物だろうと思ったが、試しに買ってみた。
 巻きはゆるいが、紙巻タバコよりは断然うまい。


 灼熱の太陽の下、葉巻片手に、時が止まったままのような街並みを歩く。
 すると、一軒のコロニアル建築の趣あるホテルに辿り着く。
 あまりに暑いので、涼を求めてスルスルと入っていった。
 

 『死刑台のエレベーター』のような旧式エレベーターに乗り5階へ。
 案内されたのは、展望のよい部屋だった。


 小さなリュックを下ろし、一息ついて部屋を出ると、撮影隊がホテルの吹き抜けを囲む回廊に陣取っていた。
 よく見ると、ヘミングウェイのそっくりさんが、メイク中だった。
 「何を撮っているのですか?」と尋ねると、ヘミングウェイのドキュメンタリー番組の収録だという。


 「ほら、そこがヘミングウェイの部屋」と、そっくりさんが、指差す。
 「へ?」
 それは、しかも私たちの部屋の隣の隣。
 眺めのいい角部屋には、当時のまま置かれたタイプライターや釣り道具。
 小さいベッドが印象的だった。
 偶然飛び込んだホテルは、なんとヘミングウェイの常宿だったのだ。


 ヘミングウェイゆかりの宿だと知った私は、きっと近くに素敵な酒場があるに違いないと、のら猫アンテナをピンとさせ、辺りをのらのらとほっつき歩く。


 すると、あるある。
 まずは「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」というお店へ。
 ヘミングウェイはもちろん、マリーネ・デードリッヒやガルシア・マルケスまで来店しているという超老舗レストラン。


 1階にあるバーは、立ち飲み酒場状態。
 昼間から、みんなモヒートを煽っている。
 私もそこでモヒートなる飲み物を初めて飲んだ。


 なんという清涼感。
 ミントとライムの味の後に来る、ラム酒とソーダのシュワシュワとした喉越しが心地よい。あまりの旨さに、すぐ飲み干してしまったほどだ。


 猫のようにカウンターにしなだれかかって、レシピを探ってみる。
 野趣な味わいのミントの正体は、イエルバ・ブエナというキューバ産ミント。
 手慣れたバーテンダーが豪快に作る伝統のレシピ。 
 「我がモヒートはボデギータにて、ダイキリはフロディータにて」というヘミングウェイの言葉通り、ボデギータのモヒートは絶品だった。
 

 店内に鳴り響く、数名の楽団によるラテンのリズム。
 そこへ客らしきご婦人が唐突に歌い始める。 
 ひとりが歌うと次いで誰かが歌い踊り始める。
 店内に響き渡る陽気な歌声と踊り。


 チェ・ゲバラ関連の本を読んでから、ゲバラのトリビュートCDを買ってよく聴いていた。
 歌詞はわからないのだが、〝チェ・ゲバ~ラ~♪〟という歌がある。
 それをリクエストしてみると、キューバ人は満面の笑みで「娘、よくぞ知っているじゃないか!」と私を小突くと、「Hasta Siempre!」と声高に、歌い始めた。
 

 「アスタ・シエンプレ」という名のその歌は、キューバ革命に貢献したチェ・ゲバラをたたえる歌だった。
 「アスタ・シエンプレ」の意味は、「また会う日まで」というような、お別れの挨拶。
 キューバでは、最も有名な歌らしい。


 滞在中、どこのカフェやレストラン、酒場でも楽団たちがいて、この「アスタ・シエンプレ」が聴こえてくる。


 キューバで聴いたラテンの音楽は、なぜか耳に懐かしかった。
 東京キューバンボーイズやペレス・プラード楽団に代表されるラテン音楽を、親世代がよく聴いていた影響だろうか。
 
 
 ラテン音楽はのちに、キューバから再び世界的に大流行する。
 1997年、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という楽団の存在が、アメリカのミュージシャン、ライ・クーダーによって世に広められた。
 翌年には、ヴィム・ヴェンダース監督によるドキュメンタリー映画にもなり、世界中で大ヒットした。


 平均年齢70歳ほどの彼らによるキューバでのレコーディング風景や、 海外ツアーの様子が見られる本作。初のニューヨーク・カーネギーホールでの公演で、エンディングを迎えるロードムービーだ。
 映画の大ヒット以降、キューバを訪れる観光客は着実に増えたという。


 ある日、新市街で謎の行列に出くわした。
 行列の元を辿ってみると、なんとそこは巨大なアイスクリーム屋。
 アイスクリームに、長蛇の列を作るキューバ人ののどかさに驚いた。


 舗道のあちこちで見かけた、荷台に木箱が乗った自転車。
 それは私たちが使い捨てている100円ライターのガス入れ屋だった。


 ロシア語の看板が目立つオフィス街。
 旧市街で見かけた配給所では、石鹸や歯磨き粉を求めるひとびとの群れ。
 品物は豊富に陳列されているのに、客の姿がない新しいスーパー。


 灼熱の太陽の下、そんな時間が止まったような街をのらのら歩き、毎日モヒートを煽った。

 
 旅の終わり。
 私は、ハバナ湾を望むレストランの小さなバルコニーで夜風に吹かれていた。
 

 薄明かりの防波堤には、たくさんの人影。
 愛を語らう恋人たち。
 釣り糸を垂れる少年たち。
 その先に見えるモロ要塞。
 暗闇のフロリダ海峡のその向こうには、アメリカがある。
 

 ロマンと冒険が詰まった革命の国キューバ。
 「アメリカの裏庭」と言われた頃のアメリカ資本の歪んだ光と影。
 キューバの3世代を乗せたヴィンテージカー。
 自然に恵まれ、陽気でおおらかなキューバ人。
 そして、90年にソ連が崩壊し、貧しくても、アメリカにひれ伏すことなく反旗を翻してきた誇り高きフィデル・カストロ。


 しかし、実際この目に映ったこの国はあまりにも貧しい。
 旅人には「タイムスリップした楽園」に見える街の景観も、よく見れば朽ち果て今にも壊れそうな建物群にすぎない。


 あり合わせの部品を駆使して修理を重ねたヴィンテージカーも、
ヨボヨボの老人のようだ。
 そして、配給所に並ぶひとびとの群れ……。
 経済悪化に耐え切れず、アメリカへ亡命するキューバのひとびと。
 

 果たしてここは楽園と呼べるのだろうか?
 「憂鬱な楽園」であることに気付いてしまったであろうこの国は、これから一体どこへ向かうのだろう。

 私は、葉巻を燻らせながら、暗闇の彼方をぼんやりと見つめていた。

ハバナの街に似合う旧車 昼はボデギータのモヒートを煽り 夜はゆっくり葉巻を嗜む
ハバナの街に似合う旧車 昼はボデギータのモヒートを煽り 夜はゆっくり葉巻を嗜む