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47リポーターズ

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キューバ 憂鬱な楽園(前編)

2016.5.13 14:05

 国交断絶から54年。


 アメリカのオバマ大統領がマニフェスト通り、キューバとの関係で雪解けをみせた。
 その急転回に乗ってキューバへの投資はヒートアップしているようだ。


 今月3日には、高級ブランドのシャネルがキューバ・ハバナ市内のプラド通りでファッションショーを開催。きらびやかな衣服に身を包んだモデルたちが、ヴィンテージカーに乗ってハバナの街を席巻した。その壮麗さといったら目がくらむほどだ。


 その裏で、平均月給25ドルのキューバの人々は、何百ドルもする決して買えない衣服のショーに首を傾げていた。
 「2ドルのパンツに何を合わせろというの?」と。


 イギリスのBBCニュースでこれを観て、白人資産家に体を売って暮らす貧しい娼婦の話で始まる『怒りのキューバ』(監督:ミハイル・カラトーゾフ 1968年公開)という映画を思い出した。
 「楽園」と謳われるキューバは、本当に「楽園」なのだろうか。
 

 この映画は、1950年代の革命直前のキューバの匂いがする。
 まだ「アメリカの裏庭」と呼ばれていた頃のキューバだ。


 バティスタ政権は、アメリカ政府、アメリカ企業、アメリカマフィアと結託して、キューバで生まれた富を独占し、アメリカに流れるという社会構造を作った。


 この傀儡政権は、フィデル・カストロと弟のラウル、チェ・ゲバラ、カミーロ・シエンフェゴスら反政府ゲリラが率いる革命運動組織「7月26日運動」との2年あまりに及ぶ内戦の末、幕を閉じる。


 そして、政府軍の敗北が決定的となった1958年の大晦日。
 新年祝賀パーティーの席でのバティスタの辞任演説で、革命軍の勝利が確定した。


 この場面は、映画『ゴッドファーザーPARTⅡ』(監督:フランシス・フォード・コッポラ 1975年公開)にも登場するので「ああ、あれか!」と、思い当たる方も多いだろう。


 1961年、フィデル・カストロは社会主義を宣言。
 アメリカの資本を徹底排除し、ソ連のミサイル基地建設を受け入れる。
 しかも核ミサイルだったということで、1962年のキューバ危機につながってゆく。


 冷戦の時代。キューバで、米ソ代理の核戦争が起こるかもしれなかったこの事件は世界を震撼させた。


 以降、ソ連からの援助はソ連崩壊まで続いた。
 ソ連崩壊後は、反米のベネズエラからも支援を受けていたキューバ。
 だが、ベネズエラのチャベス大統領が亡くなった現在、なぜか突然アメリカとの国交回復が伝えられた。
 キューバの雪解けにはどんな背景があったのだろうか。


 この舞台裏に何が潜んでいるかはともかく、オバマ大統領がラウル・カストロ国家評議会議長とキューバで野球観戦などしている報道写真を観るだけで、なぜか頭がクラクラする私であった。
 こんな場面を兄のフィデル・カストロが目撃したら心臓発作で亡くなってしまうのではないだろか。


 私は格別、カストロ贔屓なわけでもない。
 1997年に出版された『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』を読んで、ゲバラに熱くなったりしていたものの、キューバといえばやはり『老人と海』のノーベル文学賞作家・アーネスト・ヘミングウェイだろうか。


 野球と釣りの話に終始する物語。
 大ディマジオと呼ばれるジョー・ディマジオ選手の話が印象的だった。


 ジョー・ディマジオは、ヤンキース5番の永久欠番選手。大リーグのレジェンドであり、まさにアメリカのアイコンだ。
 1941年の「56試合連続安打」は今も伝説となっている。
 この記録を破る現役選手はイチローぐらいだろうか?
 (注釈・マリリン・モンローの2番目の夫。新婚旅行で1954年に来日)


 ともあれキューバといえば、野球。
 キューバの国技だそうだが、フィデル・カストロの野球への敬愛は深く、1959年、革命軍野球チームを作っていたことは有名な話。


 自身も「バルブドス」(ヒゲ面男たち)で、ピッチャーをしていた。
 キャッチャーは同じく革命軍のカミーロ・シエンフェゴス。
 一体どんなプレーをしていたのか、一度は観てみたかった。


 ふと、大リーグ初のキューバ選手・ミスターホワイトソックスことミニー・ミソーノという黒人系選手のことを思い出した。
 映画『42〜世界を変えた男〜』のジャッキー・ロビンソン選手がドジャースでデビューした2年後の出来事だ。


 しかもドジャースがまだブルックリンに本拠地を構えていた頃。
 人種の壁を問われる時代、彼の存在なしに、ハンク・アーロンもバリー・ボンズもサミー・ソーサも、いなかったかもしれない。


 公民権運動が1964年。そして、アメリカとキューバの国交断絶の期間は54年もあったのだ。
 こうしてみると、大リーグの歴史は、いろんな社会的背景を合わせて考えると実に興味深い。野球大国と呼ばれるキューバと大リーグの関係性もしかりだ。


 昨年、キューバ国交回復の知らせを受けた長嶋茂雄さんのインタビュー記事の、キューバ野球に関するお話が面白かった。


 フィデル・カストロは学生時代、ピッチャーで鳴らしていた。彼のカーブには大リーグの数球団が目をつけていた。
 もしもカストロが弁護士から革命家にならず、野球選手の道を選んでいたら? もしも、どこかの大リーグと契約を結んでいたら? キューバ革命は起こらなかったかもしれない。歴史に〝もしも〟はないとはいえ、妄想するのは楽しい。


 長嶋さんは、現在のキューバからの亡命選手たちや国交回復後のインターナショナルドラフト導入についても触れていた。
 資金力ある球団でなくても、キューバ選手を獲得できる機会を均等に与えられるドラフトだそうだ。


 国交回復以降のキューバ。
 この勢いだと、アメリカがキューバに球団を作るなんてこともあり得ないわけでもない。


 筏でマイアミへ命懸けの亡命をしていた選手の時代を考えると、キューバ国交回復は、平均年収3万円と言われるキューバ国民にとって、明るい話しではないだろうか。と同時に、54年もの長い国交断絶は一体何だったのだろうかとも考える。


 そして、国交回復の勢いはどんどん加速する。
 マイアミから大型客船がフロリダ海峡を渡って来る。ローリングストーンズが野外無料コンサートを開催した。


 だが、実は今から15年前の2001年。
 イギリスのマニック・ストリート・プリーチャーズというバンドが、カール・マルクス劇場で西側国のバンドでは初の野外コンサートをやっていたのだった。


 彼らはフィデル・カストロに面会した際「大音量のコンサートになる」というと、「戦争よりも大音量になることはないだろう」とフィデル・カストロは返したそうだ。


 そして彼らがキューバでコンサートを行った理由のひとつに、1999年に起こったアメリカに亡命したキューバのエリアン・ゴンサレス少年(当時6歳)の帰属をめぐり外交問題にまで発展した事件に関する歌を作って歌っていたこともあるだろう。


 コンサート会場に姿を見せたフィデル・カストロは、この歌を聴いてスタンディングオベイションを送った。そして翌日、彼らをランチに招待までしたそうだ。
 ストーンズよりも、こっちの話の方が仰天した。


 2000年にはハバナ市内に「Parque Lennon」、ジョン・レノン公園なるものができた。
 ハバナ市章のオシャレなベンチに座っているジョン・レノンの銅像がある。(なぜか丸眼鏡が盗まれるらしく、眼鏡番人がいるらしい)


 うちのカッパ君(夫)は、キューバが生んだ偉大なる音楽家、コンパイ・セグンド氏の取材でキューバを訪れた際、ちゃっかりそのベンチに座って撮った写真を最近になって見つけた。


 没後20周年記念に建てられたそうだが、西側音楽としてビートルズはどのように聴かれてきたのだろうか? 
 キューバでは、ジョン・レノンは革命家のスーパースターらしい。
 だから、そこに銅像があるのだろう。
 

 そんなキューバは、一体これからどう変わってゆくのだろう。
 私は1961年から時が止まったようなキューバを知っているだけに、その変化が気になって仕方がないのだ。
 

 つづく

キューバにあるジョン・レノンの銅像とチェ・ゲバラ紙幣。レノンは「世界一格好良い男」とゲバラを称賛した
キューバにあるジョン・レノンの銅像とチェ・ゲバラ紙幣。レノンは「世界一格好良い男」とゲバラを称賛した