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47リポーターズ

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あれから5年

2016.3.11 10:44

 あれから5年。
 2011年3月11日に起きた東日本大震災。
 あの日に「何かが終わり」そして「何かが始まった」と、私は思えてならない。


 5年前のこの日のことは、今でもよく覚えている。
 

 雑誌撮影の衣裳合わせのため、スタイリストの方のお宅にお邪魔していた。
 着物を着付けてもらっている途中に、あの地震に見舞われた。


 マンションの5階は激しく揺れ、物が床に落ちて割れる激しい音。パニック映画さながらの恐怖におののいた。


 テレビをつけると見たこともない映像が映し出されていた。
 「まさか……」目を疑うばかりだった。
 みるみる道路や田畑、家屋を飲み込んでいく津波。
 目の前の映像が現実なのか呑み込めず、テレビの前でひたすらただ茫然。


 奇しくもそれは両親の実家がある町の映像だった。


 車で帰宅する道すがら、黙々と歩くひとびとの姿は疲弊し、まるでゾンビみたいに見えた。


 安否を気遣う日々がしばらく続く中、私は親戚の悲報を受ける。


 津波の被害に遭った従弟の知らせに言葉を失った。


 母、妻、娘を亡くし、震災からほどなくしてお父さんも避難病院先で亡くなった。
 残されたのは、小学5年生になる末娘と従弟だけだった。


 2011年8月8日付の東京新聞「筆洗」の記事に、従弟の娘の言葉が載っていた。(以下抜粋)
 

 彼女の通う宮城県内でも早々に再開した女川の小学校。
 最初の朝礼で、校長先生は震災後の生徒を前に何を話せばいいのか悩んでいた。
 校門近くまで津波が押し寄せた小学校。その校門には津波にも流されなかったヒマラヤスギの巨木があった。なぜ木は倒れなかったのだろうか? その理由を生徒たちに質問してみようと、考えた。
 母と祖母、姉の行方がまだわからなかった彼女にその問いが向けられた。
 数十秒の沈黙の後、彼女が出した答えはこうだった。
 『何千人もの卒業生や多くの人たちに優しく、温かいまなざしで見つめられてきたから、負けなかったんだと思います』
 優しいから強いという発想に校長先生は感動し、言葉がなかったという。


 私はこの記事を読んで、なんとも言えぬ奇妙な気分になった。
 

 この記事をきっかけに、彼女はラジオの公開生放送にも出演することになる。
 大勢のひとびとの前で、ヒマラヤスギのことをはじめ、自分がこうして生き残っている、命があるということをどう思われますか? という問いにまでしっかり答えていた。


 自分は生かされていることなのかなと。姿はみえなくても、おばあちゃんもお母さんもお姉ちゃんもいないのはすごく悲しいことだけど、でもいつも一緒にいるのかな、と。


 その声、彼女の言葉が、あまりにも健気でもあり痛々しい。ラジオのボリュームのつまみを落としながら、私は涙が止まらなかった。
 これが11歳の幼い少女の本音だろうか? 知らぬ間に気持ちや記憶をすり替えてはいないだろうか? と懐疑する気持ちすら生まれたほどだった。


 あれから彼らは、どういう思いで暮らしているだろう。


 ふとしたきっかけに、従弟とその幼い娘のことを思い出す。
 それは3・11が訪れる時だけではない。
 たとえば、親より先に逝ってしまった子どもの話を耳にするたびに。
 津波の話を聞くたびに、思い出すのである。
 
  
 奇しくも、先日、篠崎誠監督から「3・11後の映像表現」というシンポジウムのお誘いを受け、参考作品として上映された新作『SHARING』(2014年 篠崎誠監督作品・4月公開予定)のツーバージョンあるうちのショート・バージョンを観た。


 震災を扱った映画はいろいろある。
 私も『ハルを探して』(2015年 尾関玄監督作品・4月いわき市先行公開)という自主映画に参加した。
 福島から東京へ自主避難してきた少女が飼っていた「ハル」という名の犬を探す4人の子どもたちによるひと夏の冒険物語だ。(昨年の「こども国際映画祭in沖縄」にノミネートされた)


 だが、今作の“3・11以降との対峙”の映像表現の大胆さには目が眩んだ。


 冒頭から語られる震災の予知夢。
 虚偽記憶、あるいは抑圧された記憶。
 時空を超えて混在する死者と生存者。
 他者の苦痛、経験を共有することは可能なのか? という問い。
 悲しみを共有したいという欲求、体験がもたらす“分身”というドッペルゲンガー現象。


 二人のヒロインが見る夢。
 ひとりは、震災で死んだ恋人。
 ひとりは、震災で死んだであろう見知らぬひと(赤ん坊)の記憶。


 震災の映像は出てこない。
 だが、登場人物のセリフから震災の様子を思い出さずにはいられない。
 3・11以降のひとびとの心の問題。
 絶望と希望の狭間で、予知夢やドッペルゲンガー、死者の声と不穏な風音(?)、さまざまな要素が組み込まれた、万華鏡のような「忘れない」映画体験だった。


 作品は異なる二つのバージョンがあるので、ロング・バージョンの公開が待ち遠しい。そちらはもっと過激でダークな内容の予感がする。
  

 作品の中で印象的だった風音のような、低く鳴り響く不穏な音。
 私はその音から、ある風景を想起した。


 福島県双葉町の子どもたちのいない公園の遊具。
 ひとのにぎわいのない2キロも続く浜通りの爛漫の桜並木。
 大熊町の剪定されずにひょろりと間延びした梨園の花の物哀しさ。
 人の気配が感じられない、まるで『サクリファイス』(1986年 アンドレイ・タルコフスキー監督)のような真実。


 3・11以降に「何かが終わり」「何かが始まった」その真実に改めて身震いした。


 小説家・高橋源一郎氏と矢作俊彦氏による対談(福島を遠く離れて 対談 特集ポスト「3・11」日本のカタチ kotoba 2011年10月号 集英社)からズドンと響いた言葉をここに引用させていただく。


 高橋氏「前の時代も今の時代も原子力で終わったんだ」
 矢作氏「しかも二発ともアメリカ製でね」

 
 そう。我々は、絶えずいつ開くかも知れぬ地獄の釜の蓋の上にいる、ということを「忘れない」ようにいなければならないのだ。

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