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「素敵なダイナマイトスキャンダル」と80年代

2018.3.20 17:57 洞口依子(どうぐち・よりこ)
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飛び出す冨永監督と私
飛び出す冨永監督と私

 

 かつて、某出版社から「生涯の映画ベストテン」の選定を依頼された時、私が迷わず1位に選んだのは『気狂いピエロ』(1965年・ゴダール監督)だった。

 主人公のジャン・ポール・ベルモンドが、ダイナマイトを幾重にも顔に巻きつけて吹っ飛ぶ圧巻のラスト。爆発のあと、穏やかな海の映像にかぶさるランボーの詩。

 

 「見つかった。何が、永遠が、海と溶け合う太陽が……」

 スクリーンから漂うはずもない硝煙の匂いが鼻をつき、思わず涙目になるほどの衝撃。

 10代であの映画を見た私は、「ここではない、どこか」へ吹っ飛ばされたまんま、現在に至っている。

 そして、現在公開中の『素敵なダイナマイトスキャンダル』(冨永昌敬監督)にも、ダイナマイトの爆発が登場するのだ。

公開中の「素敵なダイナマイトスキャンダル」の新聞広告
公開中の「素敵なダイナマイトスキャンダル」の新聞広告

 

 

 映画の背景は昭和。

 無垢と猥雑さが絡みつき、エロと情熱があふれた時代。

 「芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合お母さんが爆発だった」

 これは原作者・末井昭さんの文章からの引用だが、主人公の母親が不倫相手とダイナマイトで心中するところから物語は始まる。

 

 「ダイナマイト心中」。

 まるで流行歌のタイトルみたいだが、これは実話だ。

 主人公の末井さんが生きた昭和の長い導火線に着火して爆発させるように、見ている私も吹っ飛ばされる気がした。

 

 「末井昭って誰?」

 ご存知ない方も多いかもしれないが、末井さんは、1980年代に過激な雑誌『ウィークエンド・スーパー』『写真時代』で世間を騒がせ、後に『パチンコ必勝ガイド』の驚異的なヒットを生み出した伝説の編集長だ。

 『写真時代』はサブカル色が強い雑誌だった気がする。

 

 南伸坊さんの「顔真似」や、赤瀬川原平さんの路上観察学「トマソン」、美大生みうらじゅんさんの「牛作品」など、80年代のカオスが誌面にあふれていた。

 

 メインの写真ページでは、森山大道さんらの写真が強烈なインパクトを放っていた。でも、極め付きはやはり天才・アラーキーこと荒木経惟さんの写真だった。

 私的写真というジャンルがあるとしたら、現実なのか虚構なのかが惑わされるような不思議な世界観が多い荒木さんの写真は私も好きだった。

 でも、私はずっと篠山紀信さんにしか撮られてこなかった。それはそれで誇らしい過去だと私は思っている。

 

 末井さんが『写真時代』を始めた80年代。

 『写楽』『スコラ』などが書店に並ぶ中、奇しくも私も80年代に同じような男性誌でグラビアを飾った。

 小学館『GORO』。

ピンナップ付き表紙を飾った号
ピンナップ付き表紙を飾った号

 

 『GORO』といえば、篠山さんの激写が大人気だった。

 私は当時15歳で「脱がない激写モデル」としてグラビアデビューした。

 余談だが、当時撮影で使用したネグリジェをスタイリストの方から記念にいただいて、実はデビュー作『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のラストでも使用している。

 

 週刊朝日の表紙を飾ったことがきっかけで、篠山さんに気に入られ『GORO』の激写に出たわけだが、あの当時、激写のモデルを口説くのは至難の技だった。

撮影中は編集者も命がけで大奮闘
撮影中は編集者も命がけで大奮闘

 

 脱いでくれるはずの女の子が、当日撮影に来ないなんてことも当然あったと聞いたり、親が出てきたり(これは私も同じ。激怒した父親が編集者を自宅まで呼びつけたほど)いろいろな苦労話はあったと思う。

 

 ある時、私の友人が秘密で激写モデルになるということが発覚。

 18歳にもなれば大人への第一歩を踏み出したい年頃。

 自由への挑戦、自分の意思の主張、それもいいだろう。 

 しかし、付き合っていた彼氏が私のところへ怒鳴り込んできたことがあった。

 「ヨリちゃん、このこと知ってて、俺に黙ってたんだろう!」 

 何にも知らされてなかったことを知ると、彼氏はもっと複雑な表情になり悔しそうにつぶやいた。

 「おんなって、わかんねーなー……」

 

 そう。18歳の男子にとって、同級生の女子の心はとても大人びていて理解に苦しむ存在。しかも、自分はヌードグラビアを見るくせに、彼女には出てほしくないという独占欲。私の三つ離れた弟などもそうだ。

 自分の青春時代を私に台無しにされたといまでも根に持たれている。

 私がヌードになったから、恥ずかしい青春時代を過ごさねばならなかったのだと、弟は結婚して姓名まで変えてしまったほどだ。

 

 80年代は、そんな新しいタイプのおんなが増える時代でもあったかもしれない。

 しかし、みんながそう簡単に脱いだわけでもない。

 私だって、はじめて脱いだ時に生理がきてしまい困惑したりしたこともある。

 スタイリストの女性から「ヒモ、切れるよね、自分で」と言われたときの衝撃。いまとなっては笑い話のひとつだが、生理用品のヒモを自分で切るというドキドキの初体験は、18歳の女の子をますます“無敵”にさせた。

無敵な80年代の女の子時代
無敵な80年代の女の子時代

 

  『素敵なダイナマイトスキャンダル』の中にも、ヌード撮影の描写がたくさん出てくる。

 女の子はみんな景気よくおっぱいをポロンポロン出して、屈託なく笑ったり困惑したり、あっけらかんとラーメンを啜っていたりする。

 

 私はなんだかそれがとっても嬉しくて、思わず「いいぞ、いいぞ、最高!」とスクリーンに向かって大声で声援を送りたくなった。

 しかも女の子の裸がめちゃくちゃ昭和の肌触りを放っているので、超絶懐かしくなってしまい、思わず古い昭和のヌード写真やポルノ映画も見たくなったほどだ。

 

 あの時代、男性だったら一度は開いたことがあるはずのヌード雑誌。

 書店のレジに持ってゆくのが恥ずかしかったり、夜中にぼんやり発光するエロ本自販機に買い求めに行ったりした経験があるはず。

 河原の土手になぜか落ちているビニ本や海外土産でもらった無修正版だって、きっと懐かしいだろう。

 

 そして、駅前の脇道にあったキャバレー。

 「お兄さん、いい娘いるよ、寄ってかない?」。揉み手ですり寄ってくるハッピを羽織った客引きのお兄さん。

 昭和の風俗店には、まだ大東亜戦争の軍隊を引きずっているような雰囲気があったらしい。

 

 ハッスルタイムに「敵機襲来!」と大声を上げながら、女の子の股座の中に隠れるおじさんも多かったはず。

 まあ、どれも経験したことがないので、見聞きした勝手なイメージもあるのだけれど、昭和のエロというものはなんだかとっても無垢で猥雑で、今よりもちょっと健全だったような気がしてならない。

 

 この『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、まさにそんな昭和が思いっきりスパークしている。

 個人的にはダサくてかっこ悪くてあまり好きじゃない時代だったのに、この映画を通じてみると、なぜか愛おしく感じてしまう。

 

 そんな映画をどうして作ったのか冨永監督に聞いてみた。

 憧れのいい時代のいい話ばかり聞かされて羨ましがってばかりだった冨永監督。もう羨ましがってばかりいてもしょうがないから、いっそ僕が撮ってしまおうという気持ちだったそうだ。

 

 昭和50年生まれの冨永監督は、あの時代を羨ましいと思う世代だったのだ。

 なんだか嬉しいような恥ずかしいような。

 実は最近の若い世代ほど、70年代や80年代、90年代に至るまで、当時に憧れを抱くのだという。

 そう思うとなんだかちょっと苦手だったあの時代をいま、受け入れられる気がする。冨永監督のおかげで、そんな気持ちにも駆られた。

 

 そして、もういつまでもこの時代にこだわっていることもないな、この時代をこんなに愛してくれる次世代がいるのだから、とも思えてくる。

 昭和40年生まれの私は「もう未来に向かって歩いていけばいいじゃん!」と、背中を押された気分だった。

映画「パンドラの匣」と相対性理論PV「地獄先生」にて 
映画「パンドラの匣」と相対性理論PV「地獄先生」にて 

 

 

 

 

 

洞口依子(どうぐち・よりこ)

名前 :洞口依子(どうぐち・よりこ)

プロフィール:女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。