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金継ぎ、それは人の心をもつなぐもの

2018.1.18 14:41 洞口依子(どうぐち・よりこ)
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出来栄えに満足
出来栄えに満足

 

 金継ぎ(きんつぎ)。

 

 茶道の心得がある方ならご存知だろうが、現代ではあまり知られていないかもしれない。

 欠けた茶碗などを修復し、新たな価値を見いだす、茶の湯が盛んだった室町時代頃からある技法だそうだ。 

 天然接着剤の漆(うるし)で、欠けた部分を修復。その接着跡を金、銀などの粉で装飾し、〝景色〟という美を見いだす。

 

 修理した傷を〝景色〟に見立てるのは、日本人独特の感性だろう。

 最近、国内外でブームの兆し、ワークショップも各地で開催されている。

 

 若い頃から器との出会いに恵まれた私。

 京都で出会った鳥獣戯画の小皿。

 療養の際に出会った沖縄の器など、日々の暮らしの中で愛用している器たち。

 

 決して高価なものではないが、ひとつひとつの出会いは私にとって美しい思い出であり、日常使いで愛着もある。

パテ練り

 

 

 ある日、湯飲み茶碗のふちがあちこち欠けているのが気になりはじめた。

 それは、沖縄の読谷村にある大嶺實清先生の工房で出会った湯飲み茶碗で、夫婦そろいで求めたものだった。

 

 私のは欠けていないのだが、夫の湯飲みがあちこち欠けはじめた。

 そのうちそこから亀裂が生じ、割れてしまうのではとちょいと心配になった。

 さらに、お気に入りの片口の先も欠けてしまったではないか。

 しかも、欠片が見当たらない。

 

 「カタチあるものいつかはなくなるさー」などと呑気な夫の横で、どうにかこれを修繕できないかと悩んでいたところへ、荻窪のブックカフェ「6次元」の店主クニオさんによる『金継ぎ手帖』(玄光社 )なる本に出会った。

 

 クニオさんの『金継ぎ手帖』は、写真や図解も満載。サイズ感といい、手元に置いておきたい一冊だ。

 金継ぎの手法や金継ぎに対する思い、傷の名称や欠片のコレクション、そして世界の金継ぎに至るまで、わかりやすく丁寧に書かれている。

 

金継ぎを語るクニオさん
金継ぎを語るクニオさん

 

 クニオさんこと、ナカムラクニオさんは映像ディレクターで夫の仕事仲間だった。  

 2008年、唐突に荻窪で喫茶店を始めたというちょっと面白い経歴の人。

 

 店の名前は「6次元」。

 時空の裂け目に入ってゆくような、どこか不思議な佇まい。

 30年以上続く昭和のジャズバーをリノベーションした、趣ある佇まいのブックカフェである。

 そして、なぜか村上春樹ファンの聖地として有名。

 

 毎年、ノーベル文学賞の発表の時期、「6次元」に集うハルキストとクニオさんの映像がニュースで流れる。

 クニオさんの「6次元」は、出会いの中継地点のような場所だった。

 実際、私は「6次元」を通していろいろなひとびととも出会った。

 

 拙著『子宮会議』(2007年  小学館)を片手に、あちこちで朗読をしながら「のら猫集会」と称するイベントを開催していた頃。

 ある日、小さな会場を探していたところ、夫の紹介でクニオさんと出会い、「6次元」で「のら猫集会」を開催した。

本に囲まれた「6次元」
本に囲まれた「6次元」

 

 

 ハルキストが集まる店ということで、ビートルズの『ノルウェーの森』を歌ったり、子宮がんで悩んでいる人たちの声を聞いたり、初対面の方たちと温かく交流できたのは、クニオさんのあの店が醸し出す空気感かもしれない。

 人や文化や言葉や音が交わって対流する空間。敵も味方も、病人もそうでない人も、自然とそこで交流できる。

 

 そんなクニオさんが『金継ぎ手帖』を上梓した。

 なんと「6次元」にて「金継ぎワークショップ」を開催しているとのこと。

 誰でも簡単に金継ぎの体験ができるというので、早速申し込んでみた。

 

 参加費2500円。2回目以降は1000円。

 持参するものは、欠けた器たち。(初回は3点、2回目以降は5点まで)

 

 欠けた器がなくても参加でき、簡単に直せて覚えたてでも自宅でできる「簡単金継ぎキット」も販売している。

 

 ワークショップ初体験のやや緊張気味の私。

 十数名の参加者に混じって、夫の湯飲み茶碗と片口と大皿(全て私の大嶺實清コレクション)と鳥獣戯画の小皿をそっと机に置いた。

 

 

パテ練り
パテ練り

 

 早速、クニオさんが合成樹脂でできたパテを配る。

 パテを手でよく練ったら、欠けた部分を埋めてゆく。

 傷よりもやや大きく埋めてゆく。フチなどの輪郭をなるべく綺麗に埋めてゆくことがコツらしい。

 

 しかしこの作業、流暢にやっていると、パテがすぐに硬くなってしまうので、3分程度で見極めなければならない。

 パテ埋めが終わったら、次は耐水サンドペーパーで表面を研いでゆく。

 このヤスリ掛けの塩梅がイマイチつかめない。

 一体どこまで研いだらいいのだろうか。

 

 「あんまり研ぎすぎると、周りの表面に傷がついてしまうので気をつけてくださいね」とクニオさんがアドバイスしてくれる。

 ここまでの作業が案外早いので、隣席の人と互いの工程を見合いながら「これでいいのかしら?」「パテが外れちゃったわ」「これヤスリ掛け過ぎじゃないかしら」などと、戦々恐々としながら、どうにかクリア。

 

 そしていよいよ、新うるしと金粉を薄め液で混ぜたものが配布される。

 私の場合、器が青いものが多かったので金と銀を混ぜたプラチナ色にしてもらった。

 これを細い面相筆で傷の上を一気に載せてゆく。

 パテ埋めした傷の上をなぞるというよりも、一点一点筆を載せる感覚。

 まるで傷の上に新たな光を注ぐよう、集中して載せてゆく。 

 これで、完成。

 

 日頃、プラモデル作りなど細かい手作業とは無縁な私。

 しかも、思った以上に修復工程が早いので、冬なのに汗ばむほど精神的にも肉体的にも集中する。

 

 しかし、そこは金継ぎ初体験のワークショップ。

 全行程をちゃんとクニオさんがアテンドしてくださるので安心。

優しく教えてくれるクニオさん
優しく教えてくれるクニオさん

 

 

 全行程終了後、金継ぎ部分が多少乾くまでお茶をいただきながら、出来上がった器を見せたり感想を述べたり。

 皆さん、器にそれぞれ思い入れがあって、器との関係性が、まるで古き人生と新しい人生の示唆を感じさせるように感じられたりもした。

 

 帰宅後、修復した器のそれぞれを手に、満足顔の私。

 欠けた傷の上に、ぷっくりと雫を含んだようなそれ。

 あるいは月影のような、ちょっとしたアクセントにもなった金継ぎの部分。

 

 なんだか、遠い沖縄の地から東京にやってきた大嶺先生の器が、やっと私の家の一員となったような。

金継ぎ完了
金継ぎ完了

 

 欠けた鳥獣戯画の絵皿も、ふちにできた新たなる景色に浮かれているようなうさぎとカエル。その姿がなんとも愛らしい。

 

 壊れたものを愛でるという文化は、日本人独特のものだというが、たとえ壊れても大切なものを愛する気持ちはどこの国でも同じだと思う。

 

 映画『初恋のきた道』(チャン・イーモウ監督 1999年)には、陶器継ぎ屋が茶碗を修理する場面がある。

 

 娘が初恋の人のためにせっせと飯をこさえ弁当を差し入れする。

 その飯を入れる器は、盲目の母と娘が暮らす家の中で一番大きなお碗だった。

 

 ある日、初恋のひとは娘に黙って村から去ることに。

 その姿を必死に追いかけるうちに転んで、娘はお椀を割ってしまう。

 初恋を失った娘を思い、盲目の母が内緒で陶器継ぎに茶碗を直してもらうくだり。

 

 職人による器用な「かすがい継ぎ」の技術が素晴らしい。

 中国やヨーロッパでも、壊れた陶器を金具を用いてホッチキスで留めるような要領で「かすがい継ぎ」をするのだそうだ。

 

 あの場面、盲目の母と陶器継ぎ屋のやりとりがじんとくる。

 「そのお碗を使っていたひとは、娘の心を持っていってしまった。せめてもの思い出にお碗だけでも残してやろうと」

 「だったら、しっかり直しておこう、綺麗な思い出になるように」

 

 元どおりにならないのは壊れた物だけではなく、ひとの心もだった。

 それが、ひとの手によって、壊れた物もひとの心も修復されてゆく。 

 そんな描写に心打たれた。

 

 そんな映画のワンシーンを思い出しながら、金継ぎした器たちを眺めて私は思う。

 誰のためでもない、家族のために、直した器たち。

 

 きょうもあの湯飲み茶碗で美味しそうに茶をすする夫の横顔。

 そうか。

 大切なものって、こういうことか。

修復した湯飲み茶碗
修復した湯飲み茶碗

 

 

 新しい眺めになったのは、器だけじゃない。

 ひとの心をも繋げ、新しい眺めになったような。

 

 なんだかとってもシンプルなことに気付かされた気分だ。

洞口依子(どうぐち・よりこ)

名前 :洞口依子(どうぐち・よりこ)

プロフィール:女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。