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47リポーターズ

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【特集】柔道ベイカー茉秋、松本薫の人生行路 東京五輪へ、復活は

2018.11.5 16:00 共同通信

 2020年東京五輪の柔道の日本代表争いは、これまでのどの大会よりもし烈になることが確実だ。そこに「復活」をキーワードに挑む2選手がいる。16年リオデジャネイロ五輪の男子90キロ級金メダルの後、右肩を手術した24歳のベイカー茉秋(日本中央競馬会=JRA)と、女子57キロ級で12年ロンドン五輪金、リオ五輪銅の後、結婚・出産のため約1年間休養した31歳の松本薫(ベネシード)。代表争い本格化を告げた講道館杯全日本体重別選手権(3、4日・千葉市)の戦いぶりにそれぞれの人生行路を見た。

 ▽ゼロパーセント

 “幕切れ”はあっけなく訪れた。松本は、1回戦延長5分5秒、ほぼ無名の学生選手に小外掛けで技ありを奪われ敗れた。動きには本来のキレや粘りは見られず、息も上がっていた。

 8月下旬に実業団の大会でリオ五輪以来となる個人戦復帰を果たした時、東京五輪について「講道館杯で結果が出てやっと1パーセントの可能性が見える」と語っていた。理論的帰結は明白だ。「今日負けたので、ゼロパーセント」。今後については、引退も視野にあると明かした。

 「あまり悔しくない」との言葉は本音だろう。大会に向けた練習で、自分には投げられまいと向かってくる若手の気迫を肌で感じ「若い子に責任と自覚が芽生えたんだと思い、うれしかった」という。心の奥底では、後進に道を譲る時期と悟っていたようだ。

 「自分から逃げ出すことはしたくなかった。どんな結果であれ、最後まで戦おうと思った」。それが畳に上がる心境だった。

 ▽どん底

 ベイカーは見事な「復活V」だった。決勝では中盤に技ありを取られたが、残り33秒で大内刈りの技ありで並び、延長49秒小外掛けで技ありを奪い勝利。「リオ五輪が終わってからは、つらいことの方が多かった。リオ以上にうれしい」と感慨を込めた。

 JRAに入った17年4月の大会で、以前から痛めていた右肩を脱臼し手術した。「日常生活も不自由になり、作り上げてきた筋力も全部、水の泡になった」。半年後に本格的な練習を再開。しかし試合に出るようになっても優勝には届かず、世界選手権は2年続けてテレビ観戦。仕事と柔道の両立の厳しさもあり「もう柔道をやめようかと思った自分もいた」と振り返った。

 乗り越えたのは原点回帰。3位に終わったジャカルタ・アジア大会から帰国後、母校である東海大浦安高、東海大に通い「土台」から体を鍛え直した。「リオの金メダルは捨てる気持ち。毎日道場に向かいながら『自分はチャレンジャー』と言い聞かせた」と話した。

 「一度どん底を見てからの優勝は格別。これでやっと(東京五輪に向けた)スタートラインに立てた」。五輪連覇を目指す若者は、もやもやが吹っ切れた表情で言った。

 ▽覚悟とやさしさ

 五輪の頂点を目指す戦いは、挑む者に全身全霊を懸けることを要求する。だからこそ戦いぶりは、その選手の生きざまや、今人生のどういうステージにいるのかを映し出す鏡にもなる。

 実はベイカーは、試合3日前に肩を痛め、欠場も考えた。最終判断は試合前日の3日午後。JRAの賀持道明総監督は「『先生、男として覚悟を決めて勝ちに行きます』と言ってきた」と、その時のベイカーの言葉を明かした。これが今この若者を長丁場の戦いに駆り立てる激情だ。

 一方むき出しの闘争心から「野獣」の異名をとった松本。子育てに時間を奪われる中での柔道への取り組みを「以前は『量』、その次は『量より質』、今は『質より考える』」と表現していた。

 ただ、日々の戦いの風景はどのようなものだったのだろう。ベネシードの津沢寿志監督は「子供もいるから…。周りのぼくらには分からんこともあるんでしょう」と話すと、一呼吸置いてつぶやいた。「やさしくなっとるもんねー」。(共同通信=松村圭)

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