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日本国憲法施行から70年。「個人の尊重」に代表される憲法の価値に関わる生きざまや個性を通して、憲法について、あらためて考えてみたい。

【第35回】自ら情報取りに行く 夫婦漫才師が「兼業記者」 原発事故の報道契機

2017.9.2 0:00
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東京電力の記者会見で質問するおしどりマコさん(右)とおしどりケンさん。「舞台の帰りに衣装のまま、かつらを外しながら駆けつけたこともあった。毎日だった会見は今は週2日。記者も減った」とマコさん=7月3日、東京都千代田区(撮影・堀誠)
東京電力の記者会見で質問するおしどりマコさん(右)とおしどりケンさん。「舞台の帰りに衣装のまま、かつらを外しながら駆けつけたこともあった。毎日だった会見は今は週2日。記者も減った」とマコさん=7月3日、東京都千代田区(撮影・堀誠)

 8月22日午後、東京・上野の鈴本演芸場。おしどりマコさんのアコーディオンに合わせ、おしどりケンさんが針金で作ったトランプ米大統領や金正恩朝鮮労働党委員長の顔などを披露すると、満員の客席が沸く。針金の作品は、欲しいと手を挙げた客に進呈された。
 「貧乏でお金がない」「おいしい仕事もない」「でも針金代は高い」と掛け合い、なるようになるという意味の「ケ・セラ・セラ」をマコさんが弾きながら、2人は次の落語家に舞台を譲った。
 

 

 ▽東電会見へ

 吉本興業に所属する夫婦漫才の2人は大阪で活躍し、もっと売れたいと考え、2010年の暮れに東京へ。3カ月余りたった11年3月、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に遭う。
 子どもが集まる春休みのイベントに連日出演する予定があり、マコさんは放射性物質の影響が心配だった。1日に何度も開かれていた東電の記者会見をインターネットで見て、書き起こしてホームページ(HP)にアップした。「みんな、気を付けて生活した方がいいと言いたかったから」
 会見では、オレンジの上着の小柄な男性が質問すると、東電の担当者は「持ち帰って検討する」と言って答えず、そのうち男性が何度手を挙げても、当ててもらえなくなった。1~3号機が次々に炉心溶融(メルトダウン)しても「炉心損傷」と言い張っていた頃だ。
 2人は「オレンジ、頑張れ」という気持ちになった。原発から立ち上る白い煙がすごく気になっていたが、誰も会見で聞いてくれない。会見に行ってみようと考えた。
 翌4月19日、初めての会見場。マコさんが白い煙について尋ねると、担当者は「(放射性物質は)完全にゼロというわけではなく、含まれていると思う」。その後、白煙には、大量の放射性物質が含まれていたことが明らかになる。
 

 ▽内部告発も次々

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 「オレンジ」は産経新聞記者から弁護士に転じた日隅一雄さんだった。
 マコさんは「日隅さんから『同じ兼業記者として頑張ろう』と声を掛けられた。日隅さんを応援するはずが、逆に励まされた」と振り返る。
 東電がフリー記者の会見参加に「直近半年間に発表記事2本以上」という条件を付け、入れなくなったときも、日隅さんから「サイトや雑誌に書いてみては」と助言された。週刊誌に芸能ネタの記事を2回載せてもらい、会見復帰を伝えると「がんになった。入院する」と日隅さん。舞台から入院先、そして会見場へと回る日々が続いた。
 「新聞やテレビはベストの情報を伝えてくれると思っていたが、原発事故の報道は違った。できる限り、自分で情報を取りに行こうと決めた。メディアと受け手の関係はネットの普及で大きく変わっていると思う」
 マコさんはケンさんと会見に通い、福島の人の取材も続け、HPだけでなく、月刊誌「DAYS JAPAN」に連載記事も書いてきた。今年9月号で63回。原子力などの専門書も含めて「読んだ本の厚さは15メートル以上」と話す。平和・協同ジャーナリスト基金の奨励賞も昨年受賞した。
 今年7月3日の会見。「(福島県)いわき市議のところへ、被ばく線量が半年で50ミリシーベルトを超えた原発の作業員が相談に来たが、半年で50ミリシーベルトの作業員はどのくらいいるか把握しているか」と尋ねるマコさんに「していない」と東電。マコさんは「被ばくや労災などの内部告発も次々来る。会見中に『今の発表は事実と違う』とメールが届いたことも」と明かす。
 

 ▽日隅さん逝く

「同志は倒れたが、最後の最後まで闘った。主権者は誰だと訴え続けた。見事だった」。東京都内で開かれた「日隅一雄さんを偲(しの)ぶ会」で、遺影に向かって話し掛ける作家の沢地久枝さん=2012年7月22日(小峰晃さん提供)
「同志は倒れたが、最後の最後まで闘った。主権者は誰だと訴え続けた。見事だった」。東京都内で開かれた「日隅一雄さんを偲(しの)ぶ会」で、遺影に向かって話し掛ける作家の沢地久枝さん=2012年7月22日(小峰晃さん提供)

 マコさんの故郷は神戸。阪神大震災では、同級生を亡くし、父を失って「死にたい」と言う友人には何と声を掛ければいいかも分からなかった。
 そんなとき、ソウル・フラワー・ユニオンというバンドが電気を使わず、ちんどん屋のように、アコーディオンや太鼓などで演奏するのを見た。「これだ。元気に生きよう、人を励まそう」と考え、鳥取大医学部をやめて、ちんどん屋に弟子入りした。これが芸人への一歩となった。
 大阪出身のケンさんは芸人を目指すも、しゃべりが不得意なので、パントマイムをやっていた。
 2人は01年に仕事先で出会い、結婚と同時にコンビで活動。順調だった仕事は原発事故の取材を始めてから、目に見えて減ったが、喜味こいしさんから生前教わった「国のためにしゃべるな。目の前の客のためにしゃべりなさい」という言葉をかみしめている。
 日隅さんは12年6月に逝った。49歳。同年4月刊の著書「『主権者』は誰か」では、憲法に定められたように、私たちが主権者として振る舞うための五つの条件を挙げている。その1番目は「自分たちのことについて判断するため、必要な情報を得られること」だった。(共同=竹田昌弘)

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