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フルシチョフ首相辞任 1964年10月15日 「再現日録 東京五輪の10月」(15)

2020.10.15 8:00 共同通信
 1964年10月15日、陸上男子100㍍決勝は米国のヘイズ選手(右端)が10秒0で優勝した
 1964年10月15日、陸上男子100㍍決勝は米国のヘイズ選手(右端)が10秒0で優勝した

 

 モスクワの権威筋が15日語ったところによると、ソ連のフルシチョフ首相が首相と共産党第1書記を辞任した。国営タス通信は16日未明、フルシチョフ氏が首相、第1書記、党幹部会員を辞任したことを正式発表した。

 タス通信によると、ソ連共産党は14日の中央委員会緊急総会で同氏の辞任を承認。「高齢と健康の悪化」が理由としている。首相の後任にはコスイギン第1副首相、共産党第1書記にはブレジネフ党書記兼幹部会員がそれぞれ任命された。

 フルシチョフ氏は1953年、スターリン書記長の死後に第1書記に就任。後に首相も兼任しソ連の最高指導者となった。56年、党大会で「スターリン批判」を行い粛清の実態を暴露、世界に衝撃を与えた。国内では自由化政策を推進する一方、対外的には西側との緊張緩和外交を展開した。

 東京五輪陸上男子100メートルは15日決勝が行われ、米国のヘイズ選手が10秒0の世界タイ記録で優勝した。ヘイズ選手は同日の準決勝で、9秒9の大記録を出したが、追い風が5メートルを超えていたため参考記録にとどまった。

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 フルシチョフ氏辞任は後に、農業政策の失敗や中ソ対立、対米譲歩を理由とする解任だったことが判明する。失脚後は年金生活者となり71年に死去。遺体は歴代指導者が眠る赤の広場脇ではなく修道院に埋葬された。(国名や組織・団体名、競技名、肩書などは当時の呼称に従っています。 共同通信=軍司泰史)

 

 モスクワの赤の広場で手を振るフルシチョフ氏(右)とブレジネフ氏(ゲッティ=共同)
 モスクワの赤の広場で手を振るフルシチョフ氏(右)とブレジネフ氏(ゲッティ=共同)