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47リポーターズ

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結婚後、増した親しみ 続けられるか、今後の登山 【陛下の峰々③】

2019.9.19 14:02 共同通信

お二人での初めての登山を楽しまれる天皇、皇后両陛下=1994年6月、東京都青梅市の高水山

お二人での初めての登山を楽しまれる天皇、皇后両陛下=1994年6月、東京都青梅市の高水山

 

 天皇陛下は1993年6月、皇后雅子さまと結婚された。皇后さまもソフトボールやテニスが好きで、スポーツはお得意だ。子どもの頃に家族で北アルプスの白馬岳(2932㍍)に登ったこともある。

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 170回を超える陛下の登山だが、結婚の前後から「山ファッション」が急激におしゃれになったように感じられてほほえましい。

 94年6月、東京・奥多摩の高水三山(793㍍)で初めての二人での登山が実現した。皇后さまは「木漏れ日の中、さわやかな風を受けながら二人で歩けて、心地よい気持ちでした」と話した。

 94年9月には北海道・知床の羅臼岳(1661㍍)へ。地元博物館の元学芸員村田良介さん(65)は「普通のカップルの新婚旅行のような雰囲気でした」と話す。当初緊張していた村田さんは、ごく普通の登山者のような二人の様子にすっかり引き込まれてしまったという。

羅臼岳から知床半島を望む=2013年7月(自然公園財団知床支部提供)
羅臼岳から知床半島を望む=2013年7月(自然公園財団知床支部提供)

 

 二人はずっとおしゃべりしながら村田さんの後ろを歩いた。北海道弁の「こわい」に「疲れた」の意味もあると話すと、岩場で皇后さまが「ここのこわいは怖いですね」と言って笑わせた。

 陛下の歩き方は登山の基本とされる「小股でそろりそろり」とはほど遠く、「ノッシノッシ」という感じだったことが村田さんの印象に残っている。また、陛下は非常な汗かきだったという。

 報道陣の手前では陛下の髪を皇后さまが整えた。休憩場所で村田さんがそばを離れると、全くの2人きりに。ハイマツに隠れるように並んで腰掛ける後ろ姿が、本当に幸せそうな新婚夫婦に見えたという。

 陛下は若い頃、道ですれ違う登山者に自分から話し掛けることはあまりなかったらしい。しかし皇后さまと2人になったからなのか、この頃から様子が変わってきた。村田さんは「特に子ども連れには必ずといっていいぐらい『お年は?』『元気ですね!』と声を掛けていましたよ」と証言する。

 この時の登山は地方公務のついでではなく、静養の一環だった。エゾシマリスやキタキツネにも遭遇した山旅を、陛下は後に「私たちに大自然の懐に抱かれて山に登ることの面白みを十分に味わわせてくれた」と振り返っている。

東京・奥多摩の雲取山山頂で、眺望を楽しむ天皇、皇后両陛下=1995年11月9日
東京・奥多摩の雲取山山頂で、眺望を楽しむ天皇、皇后両陛下=1995年11月9日

 

 95年の雲取山(東京、埼玉、山梨県境、2017㍍)、2002年の大菩薩嶺(山梨県、2057㍍)など二人の登山は続き、那須の山々は毎夏のように登った。

大菩薩嶺に登られ、草むらで足を止める天皇、皇后両陛下=2002年9月
大菩薩嶺に登られ、草むらで足を止める天皇、皇后両陛下=2002年9月

 

 やがて愛子さまを含めた3人で歩くようになった。小学生の愛子さまは、那須山岳救助隊元隊長の大高登さん(90)が手を貸そうとしても、「いいです」と自分の力で歩いた。でも、友達と一緒の時はきゃっきゃとはしゃいで楽しそうにしていた。陛下は後に日本山岳会の会報で「複数の鎖場があるが、愛子は足元に気をつけながらその一つ一つの通過をとても楽しんでいるようだった」と書いている。

紅葉の那須連山・朝日岳=2013年10月(山岳図書編集者松倉一夫氏撮影)
紅葉の那須連山・朝日岳=2013年10月(山岳図書編集者松倉一夫氏撮影)

 

 陛下はかつて「日本百名山を目指す」と公言していたが、96年の山岳雑誌では「全てに登りたいとは思っていない」と書いた。雲取山での経験に触れて「妻とこのような登山の楽しみを見いだせたらと思う」と述べ、次第にあまり険しい山には向かわなくなった。

那須連山の山道を散策される天皇ご一家=2009年8月(那須山岳救助隊元隊長大高登さん提供)
那須連山の山道を散策される天皇ご一家=2009年8月(那須山岳救助隊元隊長大高登さん提供)

 

 目立つのは06年の鳥海山(山形、秋田県境、2236㍍)と08年の富士山(静岡、山梨県境、3776㍍)ぐらいだ。鳥海山では、雪解け水がブナ林を涵養し、伏流水となって田畑を潤し、日本海に注いで岩牡蠣を育んでいる、との説明に聞き入った。

山形、秋田県境にまたがる鳥海山=1998年6月(写真家大川清一氏撮影)
山形、秋田県境にまたがる鳥海山=1998年6月(写真家大川清一氏撮影)

 

 富士山には因縁があり、28歳の時に一度挑戦したが、風雨が強く、8合目で引き返した。風で砂が飛ばされて顔に当たるほどだったという。

 それから20年後、48歳となった陛下はようやく日本一の頂に立った。火口の様子から過去の噴火と今後の防災対策に思いをはせた。また、おがくずを使って汚物を処理する「バイオトイレ」を利用し、「富士山のみならず、他の山々、さらには水資源の限られるさまざまな場所で使われれば良いと思った」と山岳雑誌への寄稿で述べている。

上高地から見る梓川と夏の穂高連峰=撮影年月不明
上高地から見る梓川と夏の穂高連峰=撮影年月不明

 

 16年にできた祝日「山の日」の式典の後、長野県の上高地を散策する家族3人の姿は、自然な光景として山に溶け込んでいた。最近の陛下は、1人での登山でも、すれ違うほぼ全員に声を掛け「一緒に写真はどうですか」と自ら誘うほどの親しみやすさを見せるという。

 天皇となった今、登山を続けられるのだろうか。陛下自身諦めているような節もある。閣議のある火曜と金曜には皇居・宮殿で書類を決裁するのが基本で、御用邸での静養中でも、必要があれば職員が書類を届ける。地方訪問中も同じだ。

 天皇としてのそのような環境の下、人里離れた山の中で何日も過ごすことには、相当な困難が伴うだろう。

 警備の問題もある。天皇になったからには、これまで以上の厳重さが求められるのは必至だ。

 皇太子時代、通常3、4人グループで歩いていたが、数百メートル離れた前後を警察や宮内庁関係者ら約20人ずつが進み、茂みに警官が身を隠していた。道は補修し倒木は撤去。山小屋のトイレを丸ごと建て替えたこともある。就寝中は部屋の前で護衛が寝ずの番だ。

 登山中県警のヘリコプターが飛び回り「鳥のさえずりも聞こえない」とあきれる山小屋の人もいた。何かあったら即刻つり上げて救助するつもりなのだろう。乗ってきた車は故障を警戒してエンジンをかけっぱなしにしていたという。

 やりすぎではないか。こんなことを本人が望んでいるとは思えない。多くの山好きたちに話を聞いたが、全員が「これからも山に来てほしい」と口をそろえた。自然の中に身を置く素朴な人であり続けてほしい。17年の天狗岳(長野県、2646㍍)を最後にしてほしくない。その思いは誰も同じだろう。(共同通信社会部編集委員=大木賢一)

大菩薩嶺での天皇、皇后両陛下=2002年、9月
大菩薩嶺での天皇、皇后両陛下=2002年、9月