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47リポーターズ

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【為末大の視点】東京五輪で何を伝えるか

2019.5.24 12:01 為末 大
セイコー・ゴールデングランプリ大阪の男子100メートル。優勝したジャスティン・ガトリン(手前右)と競り合う2位の桐生祥秀(同左)=5月19日、ヤンマースタジアム長居
セイコー・ゴールデングランプリ大阪の男子100メートル。優勝したジャスティン・ガトリン(手前右)と競り合う2位の桐生祥秀(同左)=5月19日、ヤンマースタジアム長居

 

 忘れられない光景がある。2008年の北京五輪。400メートル障害予選で敗退した私は試合が終わってからの数日、夜になるといつも選手村の食堂でぼんやりと風景を眺めていた。最終的には12年ロンドン五輪を目指すことになるが、「これが最後だ」と思って挑んだ五輪だった。選手村の食堂は1万人近くを一度に収容でき、24時間空いている。深夜になるとさすがに、ぽつりぽつりと選手がいるだけだったが…。

 2列ぐらい向こうにいたのは韓国と北朝鮮の選手だった。斜めに座っていて、何も言わずに食べていた。北朝鮮の選手が斜め前にあったこしょうか何かを取ろうとした時、韓国の選手がそれを手渡した。何気ない場面だったが、私にとって五輪の忘れられない風景の一つだ。選手村に入れる人間は選手とスポーツ関係者だけだ。そのような状態では、一人のアスリートとしてのアイデンティティーの方が強く表に出る。

 スポーツ選手は国の代表として戦う。国際オリンピック委員会(IOC)は個人へのメダルであり、国への授与を認めていないとはいえ、各国は「国別メダル数」を争う。そのために選手は国費をかけて強化される。一方、選手は国籍と同時に、同じアスリートであるというアイデンティティーを持つ。私は日本人であると同時に、ハードル選手でもあった。選手のアイデンティティーは「国家という縦糸」と「アスリートという横糸」でなされている。

 英国の欧州連合(EU)離脱問題や米中貿易摩擦など、各国の分断が強まっている。おそらくこの流れは2020年まで止まらないだろう。その中でスポーツはどのような立ち位置を取るべきか。国際卓球連盟会長だった故荻村伊智朗さんは「ピンポン外交」を進め、スポーツで各国の関係を良くすることに尽力した。スポーツは直接外交に影響を与えることはできないかもしれないが、間接的に世の中の心を動かすことがある。スポーツにはメッセージを伝える力があり、大切なのはそのメッセージを何にするかだ。

 来年の東京五輪男子100メートル決勝で、私たちはおそらく固唾をのんでレースを見守るだろう。誰が勝つのかと同時に、人類はどこまで到達したのかという興味を持って。日本が、東京五輪が果たせる役割は大きい。大事なことは五輪そのものではなく、五輪を通じてどんなメッセージを伝えるかだと私は考えている。=26回=

為末 大

名前 :為末 大

プロフィール:ためすえ・だい 1978年、広島市生まれ。法政大卒。陸上男子400メートル障害で2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。著書に「諦める力」「逃げる自由」など。