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現場取材貫いたジャーナリスト 3年4カ月ぶり解放の安田純平さん

2018.10.24 19:10 共同通信
2015年6月、シリアに越境する直前に、安田純平さんがトルコから共同通信記者に送ってきた写真
2015年6月、シリアに越境する直前に、安田純平さんがトルコから共同通信記者に送ってきた写真

 2015年6月、トルコからシリアに越境して以来、消息が途絶えたままだったジャーナリスト安田純平さん(44)の解放が24日、確認された。安田さんを巡っては武装勢力に拘束された安田さんとみられる人物が「助けて」と日本語で書いた紙を示す画像が公開されるなど、安否が気遣われていた。安田さんも僕自身もアフガニスタンやイラクなど紛争地域を取材してきた。紛争地域で取材を続け、当局が発表しない人権侵害の悲惨な現状などを伝え続けてきたジャーナリスト仲間の生還は本当にうれしい。(共同通信=元バグダッド支局長・及川仁)

 

 安田さんと僕が最初に出会ったのはバグダッドだった。しかし直接の対面ではない。僕がバグダッド支局に勤務していたのはイラク戦争開戦から約5カ月後の03年8月から04年8月までの1年間。安田さんは非政府組織(NGO)メンバーの日本人男性とともにバグダッド近郊のアブグレイブで武装集団に拘束され、その3日後、バグダッド市内のモスク(イスラム教礼拝所)で解放された。事前に解放場所となる可能性が高いとにらみこのモスクに張り込ませていたイラク人助手が、解放直後の安田さんに私とつながっていた携帯電話を渡したのだ。

トルコ・ハタイ県、アンタキヤ、シリア・イドリブ県、アレッポ、カタール
トルコ・ハタイ県、アンタキヤ、シリア・イドリブ県、アレッポ、カタール

 この2日前にはイラク南部に駐留していた自衛隊の撤退を日本政府に要求する武装勢力に拘束されていたボランティアの高遠菜穂子さんら3人が無事解放されたばかり。安田さんらの安否にも注目が高まる中での安田さんの解放第一声だ。人質になっていた高遠さんらのことが念頭にあり、安田さんにも「人質」となっていた間の生活環境や心境についてまず尋ねた。「自分たちは拘束されてはいたが、なんの要求も突きつけられていない。人質ではありません」。きっぱりとした返事が返ってきた。突然、安田さんと電話がつながり、慌てていたのは自分の方だった。

 3年前、ジャーナリストの後藤健二さんがシリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に拘束され、インターネットなどを通じた声明で日本政府に高額の身代金が要求され、殺害されたとみられる映像が公開された。シリアのような紛争地域、危険な場所で取材をするジャーナリストの活動を批判する意見も出た。

 後藤さんの事件から2カ月後、中東など危険地域で取材を続けてきたジャーナリスト約10人が都内に集まり、危険地取材の重要性をどう伝えていくべきかを話し合った。フリーランス、組織メディアの枠組みを超えたメンバーだ。その中に僕と安田さんもいた。「危険地取材をすることによって何が得られるのか。外国メディア任せではなく、なぜ日本のメディア、ジャーナリストが行かねばならないのかを伝えなければならない」。安田さんは「危険」の2文字で取材が自粛され、知られるべき事実が伝えられなくなることに強い危機感を抱いていた。

 バグダッドでの取材だけでも、米軍が「正義の実現」と称し、反米武装勢力が潜んでいるとされる市街に激しい空爆を加え殺害した「反逆者」の中に多数の子どもたちがいたことを僕自身も知っている。こうした場所は危険であるが故に取材が難しく、ジャーナリストが伝えなければ、こんな悲惨な実態を世界の人は知ることができない。

2004年4月下旬、イラク中部ファルージャで米軍が実施した掃討作戦で負傷し、ファルージャ総合病院に担ぎ込まれ、治療を受ける少女(モハマド・ジュマイリ氏撮影)
2004年4月下旬、イラク中部ファルージャで米軍が実施した掃討作戦で負傷し、ファルージャ総合病院に担ぎ込まれ、治療を受ける少女(モハマド・ジュマイリ氏撮影)

 日本人ジャーナリストが日本人の視点で伝えることで日本の人々の知りたいこと、関心に応えることもできる。

 今回解放された安田さんを巡ってはネット空間が早くもざわついている。混迷と流血が続くシリアで安田さんが何を取材し、伝えたかったのか。安田さん自身がやがて語る言葉に、静かに耳を傾けたい。

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