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47リポーターズ

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【為末大の視点】「観客ファースト」の視点 東京五輪後の競技発展に

2018.8.16 12:37 為末 大
リオ五輪開会式でもり上がる観客=2016年8月、リオデジャネイロ(共同)
リオ五輪開会式でもり上がる観客=2016年8月、リオデジャネイロ(共同)

 

 2020年東京五輪開幕まで2年を切った。「アスリートファースト」は東京五輪でも重要視されている。この言葉を聞くときに二つの意味があると感じる。アスリートのパフォーマンスを第一に考えるのか、アスリートの望みを第一に考えるのかだ。

 現役時代にスポーツ界の友人たちとよく話したことがある。もし自分の競技力以外で、スポーツを変えられるとしたら何を変えたいか。多くの選手は「競技自体を人気にしたい」と答えた。頑張って五輪選手になってみたが、普段の試合の観客席はガラガラだし、街で話題に上がることもない。強いだけではなく、競技自体が人気にならないとヒーローは生まれないし、競技も続かないとよく議論した。

 4年に1回、五輪のたびに注目を浴びるスポーツは華やかに見えるが、五輪の前後数カ月以外で注目を浴びることは少ない。私自身、数万人が入ったシドニー五輪の直後に、千人程度の日本選手権に出場してがくぜんとした覚えがある。

 ▽観戦環境

 よく言われるのはスター選手が出れば競技が人気になるだろうということだが、これは経験則では成り立たないと感じている。競技自体のファンではなく選手のファンであれば、選手が引退したときに去っていってしまうからだ。もちろん選手のファンから競技のファンになることもあるだろうが、競技の観戦体験に魅力がなければ、いずれその人も離れていってしまう。義務感で人は観戦しない。楽しいものを見に行くだけだ。

 日本のスポーツは他国と比べても教育と強い結び付きがある。部活動などでスポーツを通じた人間育成を行うという点で大きな役割を果たしたが、一方でスポーツ産業を育てることには弊害となった。

 誤解を恐れずに言えば、日本のスポーツはこれまで「問題なく運営する」ということを中心に考えられてきた。選手は競技をしやすかったかもしれないが、観客が楽しむという視点はほとんどなかった。むしろ選手を中心とした競技環境を優先しすぎて、観戦環境が発展せず観客が増えなくなっている。

 例えば試合時間一つ取っても、ヨーロッパではスポーツは観客の娯楽であるという認識が強いから、会社が終わる午後5時よりも前に始まることはほとんどなかった。競技場にはだいたいカフェやバーが併設され、ビールを飲みながら試合を見ていた。対照的に日本の競技場ではカフェやバーが併設されていることはまれだし、試合も昼間に行われることが多い。

 試合の演出のために選手が待たされることもよくあったが「観客やファンがいてこそ、われわれの職業が成り立っている」という意識が選手にも強いため、それに文句が出ることもなかった。興行的に成り立てばスポンサーが付き、選手の待遇も良くなり、競技自体が発展するからだ。

 ▽ボーナス期間

 ヨーロッパで「アスリートファースト」という言葉が出るのは、エンターテインメントとして習熟した結果、観客や放映するメディアが優先され、むしろ選手がないがしろにされる局面が増えたからだ。日本は、反対に競技を優先しすぎて観客が楽しめていない。選手の望みを最優先することがもし「アスリートファースト」であるなら、「観客ファースト」で運営してほしいというのが選手の本音ではないか。

 スポーツにさほど興味のない人は東京五輪で祭りを終えるが、選手たちの日常はそれ以降も続いていく。せっかくのチャンスにスポーツを好きになってもらい、日常の試合を見に来てくれるようになることを望んでいる選手は多いはずだ。

 スポーツに関わる人は皆、東京五輪以降にこんな恵まれた環境があるとは思っていない。少子高齢化で、社会保障費が重くのしかかる日本の財政に、さらにスポーツへの支出を求めるのも限界があるだろう。他の国と同様、競技ごとに自主運営が求められる。今は東京五輪に向けての「ボーナス期間」で、マイナー競技でもサポートはあるが五輪が終わればそれも終わる。そのときにどれだけの人が競技のファンになってくれているか。それが20年以降の各競技の未来を決めていくと考えている。(元陸上選手)=19回=

工事が進む新国立競技場(中央)。手前の円形屋根の建物は卓球会場の東京体育館。上は競技会場が集まる臨海部=7月、東京都内
工事が進む新国立競技場(中央)。手前の円形屋根の建物は卓球会場の東京体育館。上は競技会場が集まる臨海部=7月、東京都内

 

為末 大

名前 :為末 大

プロフィール:ためすえ・だい 1978年、広島市生まれ。法政大卒。陸上男子400メートル障害で2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。著書に「諦める力」「逃げる自由」など。