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枯れ葉剤被害者の施設造る  ドクちゃん育てた女性医師 ベトナム

2020.3.6 17:32 共同通信

 子どもたちが歓声を上げながら、女性医師グエン・ティ・フオン・タン(60)の元に集まって来た。駆け寄るのではない。手足に障害のある男の子、女の子が、車いすを動かし、松葉づえを使って懸命に歩いてくる。
 ベトナム南部ホーチミンのトゥーズー病院。「平和村」と呼ばれるリハビリ施設に35人の障害児らが暮らす。タンは2015年まで平和村の責任者を務め、今も子どもたちに慕われている。
 障害児の親や祖父母らは、ベトナム戦争中に米軍が散布した枯れ葉剤を浴びたり、散布地域で活動したりしていた。枯れ葉剤に含まれた猛毒のダイオキシンが、子や孫たちにも先天的な重い障害をもたらしたのだ。

 ▽母のように
 ホーチミンの医科大を卒業したタンは1989年、トゥーズー病院に配属された。前年10月、結合双生児として生まれたグエン・ベト、ドク(39)兄弟の分離手術が同病院で成功。兄弟は手術前、日本赤十字社の支援により東京で入院していたので、日本では「ベトちゃん、ドクちゃん」の愛称で親しまれていた。

トゥーズー病院のリハビリ施設「平和村」。枯れ葉剤の影響による障害児たちが、女性医師グエン・ティ・フオン・タン(中央)の元に集まって来た。右端は病院職員として働くグエン・ドク=19年9月、ベトナム・ホーチミン(撮影・石川文洋、共同)
トゥーズー病院のリハビリ施設「平和村」。枯れ葉剤の影響による障害児たちが、女性医師グエン・ティ・フオン・タン(中央)の元に集まって来た。右端は病院職員として働くグエン・ドク=19年9月、ベトナム・ホーチミン(撮影・石川文洋、共同)
 

 タンは、2人の看護を病院に命じられる。兄のベトは脳症の後遺症で意識がなかった。「もしミスをしたら命に関わるので、すごいプレッシャーを感じました」
 兄弟が生まれたのは、枯れ葉剤が大量にまかれたベトナム中部の高原地帯だった。この看護経験をきっかけに、タンは枯れ葉剤の被害に関心を持ち、医学的に調べるようになった。トゥーズー病院に平和村が開設されると専属医師となり、ベト、ドク兄弟のほか多くの障害児たちの治療やリハビリに貢献した。
 ベトは26歳で死亡したが、ドクはパソコンを学び、同病院の事務員として働くようになる。2006年には結婚。男女の双子が生まれた。
 タンは「ドクちゃんが小さい頃から面倒をみてきたので、仕事をして家庭を持てたのはとてもうれしい」と笑顔で話す。
 ドクは平和村での日々を振り返った。「タン先生は母親のような存在。私が悩んでいる時、さまざまなことを教え、励ましてくれた」

 ▽上空の白い煙
 米軍は1961年から71年にかけて、南ベトナム解放民族戦線の拠点や補給路のある密林を破壊するため、枯れ葉剤約8千万リットルを散布。60%を占めた「エージェント・オレンジ」という種類には多量のダイオキシンが含まれていた。ダイオキシンには強い発がん性や催奇形性があり、散布地域で先天性異常児やがん患者が多発した。被害者は300万人以上になる。
 「ドンナイ省には、米軍が枯れ葉剤の貯蔵、積み込みに使ったビエンホア軍用空港があるので汚染も被害もひどい」。ベトナム枯れ葉剤被害者協会ドンナイ支部の女性会長ダオ・グエン(62)が顔を曇らせる。「多くの人が重い障害のため働けず、困窮しています」
 ビエンホアに住むホー・クアン・タイ(24)は両脚が動かず、手にも力が入らない。自宅で介護する母親ブー・ティ・キム・リー(58)が嘆く。「息子がこんな姿で生まれて来たのは、とても悲しい。いろんな病院に連れて行ったが、治らなかった…」。リーは10歳の頃、米軍機が白い煙のようなものを上空からまくのを見た。「すごく嫌な臭いがして、目が痛くなった。あの時の光景が原因で、自分の子に障害が出るようになるとは思ってもみなかった」

枯れ葉剤の影響で、生まれた時から両脚が動かせないホー・クアン・タイ。日中は幼いめい(左)の面倒を見て過ごすことが多い。母ブー・ティ・キム・リー(右)は10歳の頃、米軍機が枯れ葉剤をまくのを目撃した=19年9月、ベトナム・ビエンホア(撮影・石川文洋、共同) 
枯れ葉剤の影響で、生まれた時から両脚が動かせないホー・クアン・タイ。日中は幼いめい(左)の面倒を見て過ごすことが多い。母ブー・ティ・キム・リー(右)は10歳の頃、米軍機が枯れ葉剤をまくのを目撃した=19年9月、ベトナム・ビエンホア(撮影・石川文洋、共同)
 

 ビエンホア空港で4月、ダイオキシンに汚染された土壌の除染が始まった。ベトナムと米国が10年間、共同作業する。米国は当初5年間に約1億8千万ドルを拠出するが、「枯れ葉剤と健康被害との因果関係は証明されていない」として責任は認めていない。

 ▽果実と化学兵器
 タンは、枯れ葉剤被害者のための新たな総合施設をホーチミン郊外に建設する計画を進めている。名称は「オレンジ村」。医療やリハビリだけでなく、障害児の自立と就労支援を重視している。
 「平和村では、子どもたちが大きくなってから、仕事を見つけるのにとても苦労した」とタンは話す。これまでに職業訓練を受けた障害児はわずか3~4%で、約30%が未就労だとみられる。「オレンジ村には農場を造る。子どもたちと農作物を育て、他の仕事についても教えていきたい」
 ベト、ドク兄弟の分離手術は日本赤十字社が支援したが、オレンジ村については、ベトナムで障害児教育に関わった日本人有志でつくる「オレンジ村支援日本委員会」(京都市)が募金活動などをしている。17年、同委員会の招待でタンは来日。障害者福祉工場や共同作業所を見学した。
 新施設の名称は果実から取ったのではない。「猛毒の枯れ葉剤、つまりエージェント・オレンジから名付けたのです」。史上最大の被害を生み出した化学兵器を忘れまい、という強い意志を感じた。(敬称略、文・藤原聡、写真・石川文洋)

取材後記

才能生かし活躍

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 枯れ葉剤の被害者の中には、重い障害がありながら才能を生かして活躍している人も多い。
 レ・バン・オー(26)は生まれつき両目が見えないが、音感が素晴らしく、聞き覚えた曲をすぐにシンセサイザーで演奏する。所属する授産施設のメンバーと一緒に、イベント会場などでライブ活動を続けている。
 4歳からトゥーズー病院の平和村で暮らすグエン・ホン・ロイ(32)は、両手足の一部が欠損しているが、小さい頃から水泳や民族衣装アオザイの絵付けを習った。
 デザイン関係の仕事をする一方、ベトナムの障害者競泳大会で好記録を出している。自由形の100、200、400メートルのトレーニングを続けており、「東京で2020年に開催されるパラリンピックに出場したい」と話している。

 

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