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黒人の歴史刻むブルース 綿農園から世界へ広がる 米国 

2020.2.10 16:46 共同通信

 大地は濃い緑で覆い尽くされていた。米国南部のミシシッピ州。車でどれだけ走っても、夏の太陽に照りつけられた綿畑が地平線のかなたまで続いている。
 やがて未舗装の道の向こうに、トタン屋根と塗装のはげた板壁の小屋が並ぶ一角が見えてきた。ホテル「タハラチー・フラッツ」。綿花の大農園で働いていた黒人の住居を移築した宿泊施設だ。

 ▽奴隷から小作人へ
 「1920年代や30年代に建てられた小屋を各地の農園から集めたんだ」。住み込みの管理人ベン・ペイトン(72)が話す。室内には、摘み取った綿花を入れる布袋や糸を紡ぐ機械が置かれている。「シェアクロッパー(小作人)たちが、実際に使っていたものだ」
 ミシシッピ川とヤズー川に挟まれた肥沃な土地はデルタと呼ばれ、19世紀までにプランテーションが形成された。そこで綿摘み労働を担ったのがアフリカから連れてこられた黒人奴隷だった。
 南北戦争(1861~65年)で南軍が敗れ、奴隷は解放されたが、黒人たちは住居や農具を農園主から与えられて畑を耕し、収穫した綿花の約半分の収益を支払う小作人として働くことになる。
 「小作人は、衣類や食料を買うため生活費を農園主から前借りする。それが積み重なって農園に生涯、縛り付けられた」。米国黒人の歴史を学んだペイトンは、収穫を義務付けられたことで、小作人は奴隷より厳しい環境に置かれた、と言う。

かつての大農園の小作人小屋の前で「シェアクロッパーズ・ブルース」を歌うシンガー兼ギタリストのベン・ペイトン=19年8月、米ミシシッピ州グリーンウッド(共同)
かつての大農園の小作人小屋の前で「シェアクロッパーズ・ブルース」を歌うシンガー兼ギタリストのベン・ペイトン=19年8月、米ミシシッピ州グリーンウッド(共同)
 

 農園労働者らに歌い継がれてきたデルタ・ブルース。ミュージシャンとしても活躍するペイトンはギターを弾き「シェアクロッパーズ・ブルース」を歌った。
 夜眠ろうとする時、ベッドの陰でうなだれ、突っ伏すこともある/もうこれ以上綿を摘むことはできやしない…

 ▽公民権運動
 タハラチー・フラッツの近くに、史跡として保存された食料雑貨店がある。1955年8月、ここで悲劇が起きた。
 シカゴから親類を訪ねて来た14歳の黒人少年エメット・ティルが、白人店主の妻に口笛を吹いたと因縁をつけられ、店主の男らにリンチを受けて殺害された。
 ティルの母親は残忍な事件を世間に知らせるため、シカゴでの葬儀でひつぎを開けて遺体を公開。マスメディアが大きく報道したため、黒人の公民権運動を前進させるきっかけとなる。キング牧師のワシントン大行進は、ティルの命日の63年8月28日に行われた。
 ペイトンは「少年だった60年代初頭、レストランやトイレなどに『カラード』の表示があり、黒人は白人と分けられていた」と言う。米南部の州には人種分離法があり、差別を助長していた。
 ペイトンはこの頃、公民権運動の団体に参加した。集会を知らせるビラを黒人たちの家に配りに行くと大声で追い払われ、訪れたこと自体も口止めされた。「あの家は公民権運動をしていると告げ口され、白人に襲撃されるのを恐れていた」

 ▽白人音楽と融合
 ペイトンは16歳の時、母親と一緒にシカゴへ移住。バンドでエレキギターを担当、ロックやソウル、ジャズを演奏していたが、2003年にミシシッピに戻った後、ギター1本でブルースを歌うようになる。「昔のデルタ・ブルースを聴いて、素晴らしいと思ったんだ」
 ブルースの発展には、ジューク・ジョイントという街道や農園近くにある小さな酒場が関わっている。歌やギターのうまい小作人らが綿摘みの傍ら酒場で演奏。やがて各地の酒場を巡る放浪のブルースマンも生まれた。

営業中の最古のジューク・ジョイント「ブルー・フロント・カフェ」。1970年代になるまで、黒人はコカ・コーラを販売できなかったという=19年8月、米ミシシッピ州ベントニア(共同)
営業中の最古のジューク・ジョイント「ブルー・フロント・カフェ」。1970年代になるまで、黒人はコカ・コーラを販売できなかったという=19年8月、米ミシシッピ州ベントニア(共同)
 

 「ブルー・フロント・カフェ」は、ミシシッピで営業する最古のジューク・ジョイントだ。オーナーはミュージシャンのジミー・“ダック”・ホームズ(72)。両親が1948年に開店した。「綿花の収穫時期になると労働者が集まり、オールナイトで営業していた」
 店の表には「コカ・コーラ」の看板が掲げられている。かつてコカ・コーラは白人の飲み物とされ、販売できなかったという。「70年代から店で出すようになった。看板は契約時にコカ・コーラが作ってくれた」
 ブルースは60年代に英国の少年たちを魅了し、ローリング・ストーンズなど多くの有名ロックバンドが結成された。奴隷制から派生した音楽が白人音楽と融合して新たなカルチャーが誕生した。
 州北部にあるデルタ・ブルース博物館で、白人のリチャード・クリスマン(38)は10年間、ブルースギターを教えていた。「教室には毎年約40人が参加した。黒人も白人も、少年も少女もいた」
 トランプ米大統領は移民問題を巡り人種差別的な発言を繰り返しているが「政治がどうであろうと大きな問題ではない」とクリスマンは言う。「生い立ちはどうであれ、ここに来る人たちは皆一緒に、ブルースを演奏して楽しむんだ」(敬称略、文・藤原聡、写真・菊田俊介)

取材後記

「発祥の地」の大農園

地図
 

 米ミシシッピ州のデルタ中央部にある「ドッカリー農園」跡を見に行った。この大農園は「ブルース発祥の地」とも呼ばれ、世界中から観光客が訪れる。
 農園主は、小作人らが農閑期に旅行や音楽を楽しむことに寛容だった。1900年ごろから約30年間住んだチャーリー・パットンは綿摘みなどの農作業をしながら、近隣の酒場などで盛んにブルースを演奏した。
 初期のデルタ・ブルース奏者を代表するパットンは、多くのミュージシャンと交流し、年少者にギター奏法や歌を教えた。その中にはブルース界の巨星、ハウリン・ウルフやロバート・ジョンソンがいる。
 彼らは後に、英国のローリング・ストーンズやエリック・クラプトンらに大きな影響を与えたことで知られる。

 

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