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「ときを結ぶ」(23) 「春画」

2019.10.26 14:29 共同通信

200年を経てよみがえる 
  最高の技法、後世に 版元、現代に挑む  

 あでやかな女性が描かれた版木に彫師(ほりし)、菅香世子(43)が小刀を当て、刃先を小刻みに動かす。何を彫っているのだろう。目を近づけると、わずか1ミリほどの間に3本の毛が彫り込まれていた。
 江戸天明期に活躍した浮世絵師、鳥居清長(1752~1815)の最高傑作とされる春画組物「袖の巻」12図の1図、「揚帽子(あげぼうし)の奥女中」の最も繊細な部分だ。
 時の権力者による取り締まりで、公には制作・販売が禁止されてきた春画。その代表作の一つが、清長の死後約200年を経てよみがえる。
 「春画は最高の彫摺(ちょうしゅう)技術を駆使した木版画の傑作。世界に類を見ない日本の木版技術をなんとか後世に残したかった」
 プロジェクトを立ち上げた高橋由貴子(75)がその思いを語る。
 ▽女がつくる
 安政年間から続く江戸の摺師(すりし)、高橋工房の六代目として育った。父、春正から「版元がいなければ1枚の絵も世に出ない」と版元になることを勧められ、彫り、摺り、表具をひと通り学んだ。
 日本画、茶華道に親しみ、幼い頃からよく母に連れられ歌舞伎に行った。帰ると「舞台の背景はどんなだった?」「着物は?」「話し言葉は?」と父。版元にするための教育だったのだろう。
 壁の花にも壁の染みにもなるな―。「目立ってもいけない、嫌がられてもいけない、そんな生き方をしろということだったんでしょうね」。父の言葉を振り返る。
 身近に浮世絵があり、春画も特別なものという意識はなかった。長じて「いま手掛けなければ、この素晴らしい技法が廃れてしまう」という危機感が芽生え、理事長を務める彫師、摺師らの組合で春画復刻を提案した。
 だが、組合の男性理事たちは春画を扱うことに及び腰。高橋は、大英博物館の春画展を担当した国際日本文化研究センター(京都)特任助教の石上阿希(39)に相談、組合と同センターの共同で復刻に取り組むことに。

京都市東山区の工房で、「お嬢さんと手代」を摺り上げた平井恭子(右)と石上亜希
京都市東山区の工房で、「お嬢さんと手代」を摺り上げた平井恭子(右)と石上亜希

 「春画は浮世絵の大きな位置を占めながらご法度だったし、現在もタブー視される。でも女の私がやれば世間の見方も変わるんじゃないかしら」
 品があってモダンな清長なら現代でも受けるはず。版元の直感だった。彫師6人、摺師9人を集めてプロジェクトをスタート。3図を終え、来年中に全図完成を目指す。
 ▽非合法の魅力
 菅は、高校卒業後この世界に入り25年。「春画を彫れるだけの技量を持つ彫師を探していた」高橋の目に留まった。
 春画を彫るのは初めてで「毛が重なる部分は繊細で欠けやすく、顔料がたまらない彫りをする。貴重な経験」と東京都内の仕事場で語る。版木4~5枚の表裏に彫り、1図を仕上げるのに約1カ月かかる。
 京都市東山区の工房では平井恭子(46)が「お嬢さんと手代」を摺っていた。仕事台の前にブラシ、はけが立てられ、脇に顔料が並ぶ。1枚の紙に15度ほど摺りを繰り返すがほんのわずかなズレもない。「季節やその日のお天気で微妙に加減が異なる。経験と皮膚感覚で覚える」作業が続く。
 大学で木版画を専攻、色の世界に憧れ摺師の門をたたいた。今年22年目になるが「こんなに緻密さを要求される仕事は初めて。一生に一度の経験かもしれない」と平井。
 高橋も石上も「春画で最も難しいのは髪の生え際と陰毛。太いのや細いのが絡み合う状態を彫り、摺るのはまさに超絶技巧」と口をそろえる。
 「非合法だったから題材の面白さがある。好事家のために時間をかけて最高の技術を駆使し、ぜいたくな素材を使うことができた」。石上が春画の魅力の一端を語る。
 ▽ウルトラマン

「カネゴンが好きなんです」。ウルトラマンと怪獣の3枚組み短冊を前に話す高橋由貴子。後方は復刻された鳥居清長「袖の巻」の一図=東京都文京区
「カネゴンが好きなんです」。ウルトラマンと怪獣の3枚組み短冊を前に話す高橋由貴子。後方は復刻された鳥居清長「袖の巻」の一図=東京都文京区

 長く伝わってきた技術で、いま何が、どこまでできるのか―。
 高橋はアニメキャラやTVヒーローと木版画をコラボさせたシリーズにも挑む。伝統技法で浮世絵風につくった「ガールズ&パンツァー最終章 大洗美人姉妹図」は15分で100枚を完売した。
 お気に入りはウルトラマンと怪獣の3枚組みの短冊だ。光線の具合で色合いの異なる「雲母摺(きらずり)」、立体感をつける「きめ出し」などの伝統的手法が駆使されている。
 どうしてアニメやウルトラマンを? 「江戸時代の浮世絵は『旬』を扱った。いまの旬はさしずめアニメやTVのキャラよね」と笑い、「先人が生み出し、引き継がれてきた技法も使わなければ廃れる。仕事を創るのも版元の役目」と続けた。
 手元に「江戸百景之内傑作三十撰」と銘打った木版画集がある。1964年の東京五輪の際、父を含む彫師、摺師が歌川広重の「名所江戸百景」を復刻したものだ。
 高橋は来年の東京五輪に向けて建築家、隅研吾が「梼原 木橋ミュージアム」(高知県)、「ティファニー銀座」(東京都)を設計した際のデッサンの木版画を制作中だ。先人と亡き父へのオマージュでもある。(敬称略、文・遠藤一弥、写真・藤井保政)

奇妙なねじれ

高橋工房、国際日本文化研究センター
高橋工房、国際日本文化研究センター

  春画は欧米では高く評価されながら、“故郷”日本ではタブー視されるという奇妙なねじれを生じてきた。2013年に大英博物館で開催された展覧会は、男女の営みをおおらかに表現しつつ、社会背景や思想を描いた高度な芸術作品として大好評を博した。
 日本でも巡回展が期待されたが、主要美術館・博物館は軒並み開催を拒否。国内での大規模な春画展は15年の永青文庫(東京都文京区)まで待つしかなかった。
 石上は「春画を一つの日本文化として認めることは、多様性を認める成熟社会への足がかりとなるはず。春画をどう見るかに、その人の生き方が表れる」と語る。

 

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