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【伝える 訴える】第5回(中国・チベット) 「究極の抗議」(下)

2016.7.7 10:13

届かぬ叫び、動かぬ世界 他者のため、焼身続く

 中国・四川省で、僧院近くにある丘を歩く僧侶。雪のように見えるのは、人びとが祈りと願いをこめてまく紙のお札。空を駆け上がり仏神に願いを届けると信じられている「ルンタ(風の馬)」が描かれている(撮影・高橋邦典、共同)
 中国・四川省で、僧院近くにある丘を歩く僧侶。雪のように見えるのは、人びとが祈りと願いをこめてまく紙のお札。空を駆け上がり仏神に願いを届けると信じられている「ルンタ(風の馬)」が描かれている(撮影・高橋邦典、共同)

  タシ(仮名)は運転の間ずっと、お経を唱えている。運転席の日よけの裏には、中国当局に見つかると危険なチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世の写真。晩秋の草原に遊牧民の黒テントが並び、どこまでも延びる道で仏教の礼拝、五体投地をする人がいる。「カメラを隠して」。検問が近づくとタシの友人、建築家の中原一博が言う。焼身抗議が相次ぐ中国のチベット高原を旅した。

 四川省ゾルゲ県。町を歩く人の大半はチュバ(チベットの民族衣装)姿だ。携帯電話販売店は若い僧侶たちでひしめく。だが通りに並ぶ店の看板は中国語だ。

 この町の寺院で2012年と13年、20代の3人の僧侶が相次いで焼身抗議死を遂げた。チベット民族にとって、慈悲を象徴する観音 菩薩 (ぼさつ) の化身ダライ・ラマ14世の否定や「愛国教育」の強制など、中国当局の圧政への抗議だった。「僧侶たちが囲み、炎が消えるまでお経を唱えていた」。焼身現場となった本堂横の広場で中原が静かに語る。

 
 

 ▽私をよすがに

 大学で建築を学んだ中原は30年前、請われてチベット亡命政府があるインド北部ダラムサラに家族で移住、庁舎や寺院、ダライ・ラマ14世のベッドまで設計した。その傍ら、心身に傷を抱える尼僧ら中国から逃れた元政治犯を支援した。09年2月、初の焼身抗議が四川省の僧院で起こる。以来、現場から命懸けで届く「究極の非暴力抗議」をブログで発信してきた。

 「チベット人的な行為だ」と63歳の中原は言う。強大な武力で抑え込まれた人々が取る焼身という最も苦しい抗議手段は、他者の幸せのための自己犠牲を尊ぶ「菩薩思想」に基づくからだ。「真理と慈悲を愛する小さな人々が味わう拷問と苦しみについて、人々が考えるよすがとならん」。22歳で焼身した僧侶は遺書にこう記している。

 焼身者らは寺院や町中で「チベットに自由を」「ダライ・ラマ法王の帰還を」と叫び火を放つ。数メートルに達する炎の中で立ち尽くす尼僧。最後まで手を合わせたままの僧侶。激しい行為とは裏腹に、焼身者の生前の顔写真はあどけない。

 中原は、彼らの願いが簡単には実現しないことを分かっている。国際社会は中国が主張する「内政問題」の壁を越えない。焼身者が150人近くになっても、世界は動かない。そのことが中原を涙させる。
 焼身者一人一人の人生をたどりたい。中原の願いでもある。

 ▽憎しみではなく

 焼身をどう思う。あるときタシに尋ねると、考えながらゆっくりと答えた。「最も訴える力がある抗議方法だ」。だが条件がある。「誰かを憎んでの行為ではなく、他者の幸せのためでなければならない。僕にはできないことだ」

 40代のタシは遊牧民生まれ。話している時以外は口の中でお経を唱えている。怒りをあらわにすることがない。時折、子供のように笑う。学校には行かなかったが、チベット語の読み書きに不自由はない。「法王(ダライ・ラマ14世)がチベットに帰還すれば、命あるものに良いことが訪れ、僕たちは人としてのレベルが上がるんだ」と諭すように言う。

 中華人民共和国建国の指導者、毛沢東の肖像ポスターが食堂や民家の軒先に張られている。「魔よけになるから張れって役人が持って来るんだ」ととぼけたようにタシは説明し、ポスターのせいで違法伐採が増えた、と笑う。「伐採しても木の精の怒りを避けられるってね」

 タシはもちろん毛沢東時代の1950年代、人民解放軍がチベットに侵攻し、寺院を破壊し僧侶ら大勢を虐殺した歴史を知っている。共産党が言う「平等」を信じ、軍を歓迎したチベットの人々がいたことも。淡々とした口調に非難めいたものはない。一方で、タシは警戒を怠らない。携帯電話は当局の盗聴を覚悟し、時にはカメラをバッグに隠すようにやんわりと私たちに指示する。

携帯電話の販売店で商品に見入る若い僧侶たち。厳しい勉強の日々の中で唯一の娯楽のようだ=中国・四川省(撮影・高橋邦典、共同)
携帯電話の販売店で商品に見入る若い僧侶たち。厳しい勉強の日々の中で唯一の娯楽のようだ=中国・四川省(撮影・高橋邦典、共同)

 ▽有刺鉄線

 甘粛省の小さな町。「食べていって」。子どもを抱いた若い女性に促されて小さな住宅に入り、ぎょっとした。読経が音楽のように流れ、ダライ・ラマ14世の写真が堂々と掲げられている。
 差し出されたテントゥク(平たい麺の煮込み)が、高地の薄い空気と寒さで疲れた体を温めた。タシも中原も私も夢中で食べた。「法王の帰還まで焼身は続くでしょう」。女性は言った。

 文化大革命の際に破壊された僧院跡がある丘にのぼり、町を見下ろした。大草原に不釣り合いなコンクリート群の端に遊牧民の定住化政策用の長屋がずらりと並ぶ。草原を区切る有刺鉄線が遊牧民の移動を制限していた。この町でも若者が焼身抗議した。その叫びに世界が耳を傾け、焼身がやむ時が来るだろうか。

 まぶしい 陽 (ひ) と冷たい空気が、群青の空をさらに高くしていた。

◎抵抗手段なく

 「焼身抗議」に電話や電子メールで触れてはいけない。当局が最も神経をとがらせている問題のひとつだから―。出発前にそう警告された。

 実際、焼身者の家族や所属する寺院の僧侶らはしばしば拘束され、死刑の判決が出たこともある。焼身の目撃者は危険を覚悟で携帯電話などを使い、情報を外国に送る。

 国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は、遊牧民を含む200万人以上のチベット民族が転居や移住を強いられ、伝統文化や生活様式が損なわれていると警告。またそうした政策に抵抗し救済を求める手段がないと指摘している。

 ダライ・ラマ14世は焼身抗議は「とても悲しいこと」として抑圧的政策の中止を呼び掛けた。しかし中国政府は昨年、宗教弾圧強化の方針をあらためて明確にしている。

 (文 舟越美夏、写真 高橋邦典、敬称略)=2016年02月10日

 (共同通信)

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