登山のピーク、20代の陛下 周囲も驚く圧倒的脚力 【陛下の峰々②】


学習院大を卒業した天皇陛下は、23歳で英国・オックスフォード大に留学された。街に出ても、自分を知らない人がたくさんいる。自転車で買い物に出掛け、パブでビールを飲んだ。日本とは比較にならないほど自由な生活を楽しむと同時に、山への憧れも消えることはなかった。
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24歳だった1984年、イギリス諸島の最高峰ベンネビス(1343㍍)に登った。登山道は整備されているが、高さ700㍍もの北壁が、多くのクライマーや登山家を引きつける山だという。
翌年にはウェールズ最高峰スノードン(1085㍍)、イングランド最高峰スカッフェルパイク(978㍍)にも足を運んだ。後に山岳雑誌で「山頂付近まで羊にたびたび会いながらの登山であった」と、日本とは全く違う山の風景を書いている。
留学中にスイスを旅行したこともあり、グリンデルワルトから眺める冬のアイガー北壁やユングフラウなど、本場アルプスの迫力に圧倒された。
帰国後の1986年以降、陛下の登山は急激に増えた。登山歴のピークを迎えたと言ってもいいのではないか。

26歳の陛下は8月、初めてのテント泊を経験。南アルプスの荒川岳(標高3141㍍)から赤石岳(3121㍍)へ2泊3日で縦走した。同行した男性によると、陛下は「東宮御所の庭で妹と一緒にテントを張る練習をしてきましたよ」と話して周囲を笑わせた。
登山の際は大抵学校の友人と一緒で、不公平にならないよう、毎回違う友人を誘った。自分の荷物は必ず自分で背負う。この時はテントがあるため、陛下は20㌔ほどもある荷物を担いでいた。同行の警察や宮内庁関係者らは70人にも及んだという。

山上で記者団に「南アルプス南部の山はぜひ登りたかった。10年間憧れていました」と語り、「なぜ登山をされるんですか」と記者に問われると、「山に登っている時は雑念がありません。登ることと景色を見ることに没頭しています。それが僕にとって魅力の一つでもありますね」と答えた。南アルプスは山容が大きく、アップダウンも激しいが、陛下は通常合計20時間以上はかかる道のりを歩き通した。
「白根三山はぜひ登りたい。穂高は時期をみて行きたい。上信越国境ならどこがいいですか。平ケ岳なんかどうでしょう」。記者を相手に言葉が止まらず、「山ばっかり登っているからお妃が遅れるんです」と突っ込まれて「すみません」と苦笑した。
この頃の山行はほぼ毎週続く。同じ8月に北海道の利尻山(1721㍍)、翌週は八ケ岳連峰(長野・山梨県)を歩き、最高峰・赤岳(2899㍍)に立った。

八ケ岳を案内した硫黄岳山荘の浦野栄作さん(86)は「見える山々を説明したが、言われなくてもご存じの様子でした」と振り返る。夜はコケモモ酒やウイスキーを飲んだ。酒には強いと誰もが認める。小屋から望遠鏡を持ち出して、一緒に星空を眺めた。「おとなしい、素直な方でした」

87年はネパールを訪問する機会があり、ヒマラヤのアンナプルナ(8091㍍)を見た印象を「神々の峰」「想像する以上に遥かな高みから私を見下ろしていた」と表現した。

同じ年の夏には日本第二の高峰・南アルプスの北岳(3193㍍)を含む「白根三山」(山梨・静岡県)を歩いた。さらには、鹿児島県・薩摩半島の最南端で、海に突き出るようにそびえる「薩摩富士」開聞岳(924㍍)へも。
88年8月には長野・富山県境の唐松岳(2696㍍)と五竜岳(2814㍍)へ。「山が大きく、どっしりしているところがいいですね」と話した。陛下は堂々とした山がお好きなのだろう。

天皇家に生まれ歴史を研究した者として山岳信仰にも詳しく、鳥取県の大山(1729㍍)や奈良県の大峰山(1915㍍)では並び立つ石碑などにも興味を示した。これら信仰の山への旅を「山々の歴史のぬくもりを肌で感じることができたように思う」と語っている。
南アルプスの甲斐駒ケ岳(2967㍍)も信仰の山だ。山頂付近は花こう岩で白く、ごつごつした独特の姿をしている。「黒戸尾根」は「日本三大急登」の一つで、頂上までの標高差は2200㍍。10時間近い登りがひたすら続く。
同行経験者は口をそろえるが、この山を案内した仙水小屋の矢葺敬造(さん(72)も、30歳だった陛下の脚力に驚愕した。「自分たちの方がついていくのに大変なほどでした。でも、陛下は同行者に気を配って平等に声を掛け、ペースを調整して歩かれた」。包み込むようなおおらかさで人を導く人柄に、将来の天皇としての器を感じた。
夜は山小屋でともに酒を飲んだ。つがれるままに杯を進めるが、相手に合わせ、少しも乱れることがない。矢葺さんは中国・崑崙山脈の7千㍍峰登頂者だ。陛下は話を聞き「私でもそういう高い山に登れますか」と尋ねた。即座に「登れます。この尾根をこれだけの体力で登ってきて、登れないところなんかありません」と答えると、目を輝かせ、心からうれしそうな表情を見せた。

「甲斐駒」と呼ばれるこの山は、中央線の車窓から見ると、一種異様とも言える堂々とした山容が眼前に迫ってくる。陛下はその後、移動中にこの山を目にする度に思い出すらしく、矢葺さんは侍従から何度も電話をもらった。
「日本中の山の中で、最も陛下に似合うのは甲斐駒だ」。矢葺さんはそう思っている。「凜として堂々として純粋無垢で」。陛下の山。それが甲斐駒だという。(共同通信社会部編集委員=大木賢一)
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