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「ときを結ぶ」(6) 「潜伏キリシタン」

2019.9.16 13:51 共同通信

200年つなぐ信仰の糸

  3代、聖像制作に励む 凄惨な事件乗り越え

 坂の街を象徴するような風景が広がる。長崎市辻町の一角に、キリスト教の聖像を制作する中田ザビエル工房がある。玄関前の細い道の向こうには、キリスト教禁制下の秘密教会跡を示す「聖ヨゼフ堂の碑」が立つ。
 幕末から明治初めにかけての最後の大規模なキリシタン弾圧「浦上四番崩れ」。キリシタン潜伏の地として知られた浦上で、聖ヨゼフ堂などに長崎奉行所の捕り手が踏み込み、3千人以上の信者が流罪となった。
 工房を営む中田三穂(68)は浦上出身ではなく「ここにあるのはたまたま」と言う。が、中田もクリスチャンで、数奇な家族史を持つ潜伏キリシタンの末裔(まつえい)なのである。

 
聖ペトロ像を制作する中田三穂(右)と長男和宏=長崎市の中田ザビエル工房
聖ペトロ像を制作する中田三穂(右)と長男和宏=長崎市の中田ザビエル工房

 ▽六人斬り
五島列島の中通島にある旧鯛ノ浦教会(長崎県新上五島町)。明治時代に建設された教会堂の裏手を山側に少し上ると、木々が生い茂る目立たない場所がある。ここに鯛ノ浦の「六人斬り」と呼ばれる事件犠牲者の「墓碑」が立つ。風雨にさらされてきた石柱は、太平洋戦争前に建てられた。
 約250年間の禁教令が解かれ、キリスト教禁制の高札が撤去されたのは1873(明治6)年。その3年前の1月27日夜、4人の士族が民家に乱入し、新刀の試し切りと称して子どもや胎児を含む2家族6人を殺害した。口実はキリシタン征伐だったとされる。
 妻や子ども、近親者の命を奪われた一家の主は中田寅吉。中田の曽祖父に当たり、発生当日は外出していて難を逃れた。
 「これです」。中田が示した紙は手作りの家系図。樹木の枝葉が広がるように、寅吉や中田を含めて数百人の名前がびっしりと書き込まれている。中には神父や修道女といったカトリック関係者も。この凄惨な事件も乗り越えた中田家の過去と現在は、信仰の糸でより強く結ばれていた。
 遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となった長崎・外海地方。1800年前後、大村藩の迫害によって多くの潜伏キリシタンが五島列島へ渡った。人目を避け、山間部や往来の不便な海辺に住み、教えを守った。中田の先祖も移住者の中にいた。
 6人斬りで家族が殉教した寅吉の孫が、中田の父秀和。明治生まれの熱心なクリスチャンだが、芸術に深い関心を寄せて絵画の勉強のために上京した。秀和は画家として浦上天主堂の壁画も手がけ、中田ザビエル工房を創設した。「東京で空襲に遭い、戦争で生き残れたら神様のために働きたい、聖像を作りたいと父は思ったのではないか」
 戦後、秀和は長崎市で高校教師を務めたことがある。元長崎市長本島等が同僚だった。中田は「赤ちゃんの頃、本島さんにかわいがってもらったようです」。秀和と同じ島出身のクリスチャンで、信仰を理由に軍隊で抑圧された本島は、天皇の戦争責任発言で1990年に銃撃されている。

五島列島・中通島。鯛ノ浦にある「六人斬り」犠牲者の墓碑=長崎県新上五島町
五島列島・中通島。鯛ノ浦にある「六人斬り」犠牲者の墓碑=長崎県新上五島町

 ▽転身と天命
 潜伏キリシタンから続くクリスチャンの家に生まれた中田は一時、神父を志した。信仰と関係のない仕事も考えたが、秀和から工房を手伝うように頼まれて1年間だけのつもりが現在に至る。「天命だったと思います」
 その中田の工房に2013年から長男和宏(35)が入った。「子どもの頃は工房を継ぐと思っていた」という和宏は長崎大で音楽に没頭、上京してバンド活動を続けたが、5年をめどに帰郷を決断した。中田同様、いったん別の道を模索しながら転身、信仰に深く関わる仕事を選んだ。
 2人が聖ペトロ像を制作する現場を見た。「作業時はほとんど話しません。必要な指示を出すだけ」。光線の加減や見る場所で変化する像の姿。顔は特に入念にチェックしながら、根気よく作業を続ける。始める際、中田は十字を切る。「祈る心を持って作ることが大切」と考えるからだ。
 聖像の専門制作者は極めて少なく、工房には全国からキリスト像やマリア像などの依頼が舞い込む。「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を運営する熊本市の慈恵病院にも中田制作のマリア像がある。依頼主は教会だけでなく、学校や幼稚園、病院も多い。子ども関連の施設の場合、すこやかに育つようにとの思いを込める。
 ▽法王の訪日
 和宏は82年に亡くなった秀和を知らない。聖像制作の修業に励む今、「会いたかった。祖父に顔向けできるようにならないといけない」と語る。
 秀和の遺作は81年に訪日した法王ヨハネ・パウロ2世の胸像だ。浦上天主堂などに設置されている。体調が思わしくない時期だったが、夜遅くまで取り組んだ。「据え付けの指示をした後、病院に行ってそのまま。除幕式に出られなかった」。中田は声を落とした。
 40年近く前、父の手伝いで法王の胸像制作に携わった。それが「仕事を続けていく決心」となった。11月、ローマ法王フランシスコが長崎を訪れる。中田にとって原点を思い起こす大切なひとときが巡ってくる。(敬称略、文・西出勇志、写真・堀誠)

信教の自由と世界遺産

中田ザビエル工房、浦上天主堂、旧鯛ノ浦教会
中田ザビエル工房、浦上天主堂、旧鯛ノ浦教会

 昨年夏に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)が世界遺産に登録され、「潜伏キリシタン」という言葉が広く知られるようになった。
 キリスト教禁制下、権力者の目をかいくぐって先祖からの信仰を受け継いできた信仰形態は、世界的にも非常に珍しい。ただ、脚光を浴びる潜伏キリシタンにせよ、禁教令が解かれた後も代々の教えを保持する「かくれキリシタン」にせよ、もともとは弾圧によってもたらされた。
 潜伏キリシタンの存在は、信仰の崇高さを知るとともに、権力者の迫害に目を向け、信教の自由の大切さを知る教訓でもある。

 

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