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「ときを結ぶ」(3) 「著作権」

2019.9.16 13:10 共同通信

偉大な作家を父に持って

  「安吾を守る姿」継承 読まれ続けることが命

 「汝 一本の綱たらば足らむ 綱たるはまた巨力を要す 父」。作家坂口安吾が筆書きした「命名書」を息子の綱男(66)は大切に保管している。だが、父の姿を知らない。1955年、2歳になる前に急逝したからだ。
 敗戦直後に発表した「堕落論」で脚光を浴びた安吾は、太宰治、織田作之助らと共に無頼派と呼ばれ、戦後文壇の旗手となった。何度も全集が出版され、今も多くの読者を持つ大作家の一人だ。

遺品のつえを手に父安吾を語る綱男。「安吾 風の館」にはゴルフクラブを振る坂口安吾の等身大写真が飾られている=新潟市
遺品のつえを手に父安吾を語る綱男。「安吾 風の館」にはゴルフクラブを振る坂口安吾の等身大写真が飾られている=新潟市

 綱男は12歳の時、初めて父の小説を読む。「桜の森の満開の下」。春の盛り。徹夜で読み終えて東京都千代田区の外濠公園に行くと、くしくも桜が満開だった。その後、20歳までに全集をほぼ読了する。文学作品として読むのではなく、父親を知ろうと思い、文字を目で追った。
 ▽ドラマで騒動
 安吾の著作権継承者の母三千代が94年11月、死亡。全作品を引き受ける立場になった綱男は「著作権は手放さないが、作品はフリーで使ってもらってもいいかな」と思った。「安吾とは関わりたくない」と、暮らしてきたことが背景にあった。
 成人して間もなく、父の友人檀一雄から同人誌に執筆するよう求められたが、原稿用紙に向かうと凍りつき、何も書けなかった。「生身の父親を知っていればコンプレックスを感じなかったかもしれない。作品から入ったので、この人と対等に勝負することは一生かかってもできないと思った」。文学以外の世界に目を向け、写真家の道を歩んできた。
 しかし、著作を管理する役目から手を引こうと思っていた時、生前の母の姿が目に浮かんだ。
 68年、安吾夫妻をモデルにしてTBSが連続ドラマを放送した。安吾役は藤岡琢也、三千代役は若尾文子が務めた。「台本が生放送の当日まで完成せず、大騒ぎになった。内容を気に入らなかった母が、首を縦に振らなかったからです」
 ちくま文庫版の全集が出版された時には、画家横尾忠則装丁の表紙を描き直してもらった。
 こうした「母が安吾を守る姿」を自分も継承していくべきだと、綱男は思い直した。
 ▽母の意志
 母は、安吾の原作を忠実に映画、演劇にすることを希望していると綱男は思っていた。ところが、劇作家の野田秀樹が「贋作(にせさく) 桜の森の満開の下」を上演した際の反応を見て、それが誤りだったと知る。
 89年2月、野田が主宰する劇団「夢の遊眠社」が初演した「贋作―」を母と一緒に観劇した。暗がりの座席で舞台を見ながら、綱男は「母が怒りだすのではないか」とハラハラした。ストーリーは題名とは異なり、小説「夜長姫と耳男」を基にしている。せりふも原作を離れ、独自の世界を表現していたからだ。
 だが、舞台が終わって野田があいさつに来ると、三千代はうれしそうに歓談を始めた。「安吾のスピリットを正しく伝えてほしい、というのが母の意志だった。原作に忠実でも安吾を理解していないものは駄目なんだと、この時に学んだ」
 小説「白痴」を原作とした映画を手塚真(57)が作りたいと綱男に申し出た時は、近未来と思われる日本を舞台にしたSF的な筋書きだったが、「手塚さんの世界観で作ってくださればいい」と映画化を認めた。
 失敗もある。テレビの情報番組で安吾を取り上げた時に「薬漬け」と放送された。確かに安吾は興奮剤を使って不眠で執筆し、書き終えると大量の睡眠薬を飲む生活をしていたが、綱男は「いい作品を書きたいという欲求からやっていたことなのに、ジャンキーのように扱われてしまった」と放送を許可したことを後悔する。
 ▽若い読者

坂口安吾の遺品は綱男自身によって撮影されデジタルデータとして保存されている
坂口安吾の遺品は綱男自身によって撮影されデジタルデータとして保存されている

 死後50年に当たる2005年末、安吾の著作権が消滅した。綱男は所蔵していた遺品や原稿・蔵書など約8千点を安吾の郷里、新潟市に寄贈。旧市長公舎を利用した「安吾 風の館」も発足した。綱男は館長を務め、遺品を順次、公開している。
 風の館は安吾が生まれ育った地にあり、周辺には生誕地碑や詩碑も点在する。「館長になってから、実に興味深く安吾を勉強しています」
 毎年2月17日の命日に東京で「安吾忌」が営まれる。今年の会場は東京・浅草の「染太郎」。安吾が亡くなる直前にも訪れた、お好み焼き店だ。
 式次第はなく、飲み食いしながら安吾について語り合う。「酔った人同士がけんかになることもあるが、それも安吾忌らしいかなと思っている」
 三千代が亡くなった翌年の安吾忌を最後にしようと思ったが、参加者の顔ぶれを見て継続を決めた。若い安吾ファンが集まっていたからだ。
 「作家の命が残るか残らないかは、著作権とは関係ない。読まれるかどうかで決まる」。いまも読み継がれる安吾作品。綱男は、亡き父の持つ力のすごさを感じている。(敬称略、文・藤原聡、写真・萩原達也)

作者の死後70年に延長 

 安吾風の館、染太郎
 安吾風の館、染太郎

 小説や音楽などの著作権の保護期間は、時代とともに延長されてきた。
 戦前の旧著作権法は作者の死後30年までを保護期間と規定していた。1960年代に死後38年となり、71年の著作権法改正で死後50年となった。
 90年代には欧米の多くの国が死後70年に変更。日本では「著作を広く活用するために延長すべきではない」との意見も多く、長年変わらなかったが、2018年、死後70年に法改正された。
 没年が1970年の三島由紀夫や72年の川端康成の作品は、著作権延長の対象となる。
 映画は多くのスタッフで製作され作者の確定が難しいため、公表後70年を保護期間としている。

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