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「病、それから」竹原慎二さん(元プロボクサー) 確率でなく、自分信じた

2019.10.1 0:00

 ボクシングの元世界ミドル級チャンピオン、竹原慎二さん(47)は6月、ぼうこうがんの手術から丸5年の節目を迎えた。「最悪あと1年」とも告げられた進行がん。絶望のどん底からどう立ち直り、乗り越えたのか。

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竹原慎二さん
竹原慎二さん

 

 2013年、激しい頻尿に見舞われました。医者に行きましたが、ぼうこう炎か何かだろうと。薬を飲んでも治らず、大みそかの忘年会の日、大量の血尿が出て、これはやばいと思いました。

 ▽諦めかけた

 翌14年の2月、ぼうこうがんと診断されました。初期かと思いきや、検査の度に悪いことが見つかる。医師の一人からは「何もしなければ最悪あと1年」と言われ、がくぜんとしました。ジムを一緒にやっている畑山隆則(ボクシング元世界王者)の勧めもあり、東大病院で手術を受けることになったのですが、入院直前にリンパ節への転移も分かり、0から4まであるがんのステージ(病期)は4になりました。

 ネットを見ると、リンパ節転移があるぼうこうがんの5年生存率は25%と。もう絶対に駄目だと諦めかけたのも事実です。

 その気持ちを変えてくれたのが家族でした。特に女房の支えは大きかった。めちゃくちゃだった食生活を根本から見直し、気持ちを強く持たせてくれました。女房がいなかったら頑張れなかったでしょうね。

 闘病で何が大切かというと前向きになることだと思います。ボクシングの現役時代もそうでした。

 僕はネガティブな人間なので、試合前は絶対勝てない、と否定的に考えるのですが、だから必死に練習して、リングに上がる時は負けるはずはないと信じて闘いました。

 世界王座に挑戦したとき、自分がタイトルを奪う確率は数パーセントもなかったと思います。テレビも生放送でなく深夜の録画中継。誰もが竹原のKO負けを予想していました。でも判定で勝ったのです。世界チャンピオンになったのだから、がんにも負けない。そう思うようになりました。

 ▽心から笑う

 治療は、抗がん剤から始め、6月にぼうこうを全摘する手術を受けることになりました。医師は高圧的でなく親身で、話も納得できました。

 全摘の場合、ぼうこうの代わりが必要です。方法は二つ。腹にパウチと呼ばれる袋を付け、そこに尿を出すか、自分の小腸を切り取って体内に「新ぼうこう」をつくるか。考えた末、新ぼうこうの方を選びました。東大病院でも2例目の最先端ロボット手術で、11時間かかりました。当時は保険適用でなく、250万円が必要でした。術後の痛みは半端ではありません。もう一度やれ、と言われたら断るでしょう。

 病理検査の結果、転移のあったリンパ節から、がんがなくなっていました。病気になって初めて、心から笑いました。

 ▽おめでとう

 入院中に10の目標を立てました。「ホノルルマラソンを5時間以内で完走」は既に実現。「ゴルフのシングルプレーヤー」は相当難しいですね。

 新ぼうこうは尿意を感じないので、夜も2~3時間おきにトイレに行く不便さはありますが、慣れて順調です。術後の定期検査は毎回ドキドキでしたが、3年を過ぎた頃から落ち着きました。今年6月、ゴルフのコンペから帰宅したら、女房から「おめでとう。今日で5年だよ」と言われました。ああそうだったと。

 がんを経験し、自分は百八十度変わりました。これからの人生、どうせやるなら楽しく、と決めています。がんを通じて仲間もできました。「元気をもらった」なんて言われるとうれしいですね。

(聞き手・津江章二、写真・牧野俊樹)

◎竹原慎二さん 1972年広島県生まれ。プロボクサーを目指し16歳で上京、89年デビュー。全日本ミドル級新人王に輝いた後、日本、東洋太平洋王座を奪取。95年、日本人初の世界ミドル級王者に。引退後はタレント、ジム会長として活動。趣味はゴルフ。

◎ぼうこうがん 腎臓でつくられた尿を一時的にためておき、排出する働きを担うぼうこうにできるがん。国内では年に約2万人が新たに診断される。男女比は3対1で男性に多く、60歳ごろから増加する。早期に発見されれば生存率は高い。

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