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「病、それから」三土修平(明笑)さん(経済学者) あなたも諦めないで

2019.7.30 0:00

 経済学者の三土修平さん(70)は、幼少期から男性としての自分の体に違和感があった。性的少数者への理解が広がる中、心と体を一致させようと行動を始めるが、双極性障害を発症。うつ状態が大半を占めた約10年の苦しみを抜け出した後、念願の性別適合手術を受けた。現在は三土明笑として執筆とボランティア活動に打ち込む。

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三土修平(明笑)さん
    三土修平(明笑)さん

 「こんな体は嫌だ」と思ったのは5歳くらいです。「男の子だからこうしなさい」と言われるのも嫌で「ボクを女の子にしてください」と祈りました。ただ、口に出すことは長い間できませんでした。それが理解される時代ではなかったから。

 体は男性、心は女性の人は「MTF」と呼ばれます。かつ私が好きになる対象は女性です。MTFのレズビアンということです。

   ▽雲に閉ざされる心

 一般サラリーマン社会で要求される「男性」として生きるのは難しいと自覚したので、大学教師を選びました。2003年、性同一性障害特例法が成立し、世の中も変化してきたので、女性の服装に変えるなどの行動を取り始めたのですが、06年からうつ状態になり、続けられなくなりました。

 まず睡眠からでした。眠ろうとすると心臓がバクバクし脈拍が速くなる。精神科で「不安障害」と言われ、4カ月後にうつ病と診断されました。抗うつ剤を幾つも変えましたが、飲んでも気持ちが晴れない。心が雲で閉ざされている感じでした。

 08年ごろから死にたいという「希死念慮」が出るようになりました。医師を代え、飲んだ新しい抗うつ剤で心に久しぶりの晴れ間が訪れました。しかし良くなったのではなく、実はそう状態に転じていたようです。病気は「双極性障害」だったと分かりました。

   ▽「大丈夫」な感覚

 その後のうつ状態がひどい。死にたくて、死にたくて、たまらない気持ちを初めて経験しました。風呂で手首を切り、死ねずに自分で救急車を呼んだのです。ただ、体の中から突き上げてくる「死ね、死ね」という命令に対して「おまえの言う通りにした。もういいだろう」という不思議な気持ちが湧き起こって。やれることはやったという妙な納得感でした。

 入院先では、外から鍵が掛かる病室で過ごしました。良くなっていくきっかけは、麻酔をした上で頭に通電する「修正型電気けいれん療法」。何回か受けると、どんよりとした、先行きのない気持ちが取れた気がしました。自分の体を切りつけたいとの思いがなくなり、もう大丈夫という感覚になりました。

 この療法を受けた後はすぐに統一された人格が戻ってこない感じが嫌でしたが、受けたことで抑うつ前の自分に近づいたと思います。16年秋に退院。地獄の10年でした。

   ▽続く世代への言葉

 病気が落ち着いてようやく、心の性に合う生活というテーマに向き合えました。女性の服装に戻り、17年には性別適合手術を受けて、そうだ、こんなかたちで生まれてきたかったんだ、と。

 これまでの体験について書いています。書名は、ファンである岡村孝子さんの曲名から「夢をあきらめないで」。03年から個人的に使っていた「明笑」の名前で出す初めての本になります。自分へのメッセージであり性別違和を抱える後続世代に贈る言葉でもあります。

 長く活動してきた骨髄バンクの説明員のボランティアも再開しました。献血に比べると、白血病などで苦しむ人を救う骨髄バンクは知られているとは言えません。体が動く間は続けたいと思っています。

(聞き手・西出勇志、写真・牧野俊樹)

◎三土修平(明笑)=みつち・しゅうへい(あけみ)=さん 1949年東京都生まれ、東大法学部卒。経済企画庁勤務を経て神戸大大学院博士課程修了。愛媛大、東京理科大の教授を務めた。著書に「はじめてのミクロ経済学」「靖国問題の原点」など。秦野純一名で小説「しろがねの雲」も執筆した。

◎双極性障害 気分が高ぶる「そう」状態と、落ち込むうつ状態が交互に現れる精神疾患。別名「そううつ病」。うつの期間の方が長く受診にもつながりやすいため、うつ病と診断される人も多いという。気分を安定させる薬物療法が治療の中心。

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