メニュー 閉じる メニュー

観光の波に揺れる伝統 浮島に暮らす先住民 ペルー

2019.4.5 22:02 共同通信

「カミサラキ(お元気ですか)」。40歳前後の島の代表の男性が、先住民の言葉アイマラ語であいさつした。南米のペルー南部とボリビア北部にまたがるティティカカ湖。ペルー側の拠点都市プノの沖合約6キロ地点に集中するウロス諸島と呼ばれる人工の浮島の一つに約20人の観光客が訪れていた。標高約3800メートルと太陽に近いせいか、青空からの日差しが針のように肌に突き刺さる。
 島はトトラと呼ばれるアシのような植物を重ね合わせて造られている。野球のグラウンドほどの広さに8家族32人が住み、八つのいかりで固定されている。「朝起きたらボリビアまで流されていたということがないようにね」。男性は冗談を交えながら、よどみなく説明を続けた。
 ▽食傷気味
 ウロス諸島は約100の浮島から成る。約1500家族、約5千人が暮らし、小学校や診療所、教会も備える。歴史はスペイン人の南米大陸到達のころまでさかのぼり、島民は、かつては漁業で生計を立てていた。近年は水質汚染や水位低下が原因で魚が沖合でしか取れなくなり、プノ州観光当局によると島民の9割以上が観光に従事するようになった。

 ペルー南部ティティカカ湖に浮かぶウロス諸島。植物トトラを重ね合わせ、1年以上かけて作られた浮島は半世紀近くもつという=8月(共同)
 ペルー南部ティティカカ湖に浮かぶウロス諸島。植物トトラを重ね合わせ、1年以上かけて作られた浮島は半世紀近くもつという=8月(共同)

 ソーラーパネルを備えた家を見学し、民芸品を買った後、観光客らは名物のマス料理を食べるため、トトラ製のボートでレストランのある別の島へ。子どもたちが童謡「チューリップ」を日本も含めた各国の言葉で歌い、送り出した。
 文明から隔絶された生活を送る先住民の姿を想像して訪れた旅行者の中には、商業化された対応の連続に食傷気味になる者もいる。島民にとっても、持ち回りで観光客を短時間受け入れ、土産物を売るだけのやり方では大きな収入は得られない。
 通り一遍の形ではなく、旅行者が滞在しながら伝統文化や生活を体験でき、島民の収入増にもつながる観光を目指しているのがクリスティナ・スアニャ(50)だ。夫ビクトル(52)と2人の子どもと共に、浮島カンタティで10のロッジを備えた民宿を経営する。
 ▽偶然の客
 始まりは偶然だった。2005年、クリスティナが当時住んでいた浮島に新婚旅行中のオランダ人の夫婦が「泊めてほしい」とやって来た。「当時は誰も旅行者を泊めることなど考えもしなかった」。民芸品を買ってもらえるかもしれない、という軽い気持ちで夫婦を引き受けた。
 清潔な水などの最低限のサービスもなく、2週間の滞在中は申し訳ない思いでいっぱいだった。しかし夫婦は「民宿を始めるべきだ。今後10~20年のうちに観光客が大勢やってくるようになる」と勧めた。
 2年後、夫婦の友人が滞在希望を伝えてきた。突貫作業で客用の小さな家を建設した。友人らは満足して帰り、その紹介で他の旅行者がやって来て、という具合に客は増えていった。外国人の滞在を快く思わない住民もいたため、09年に現在の島に家族で移り、本格的に民宿を始めた。
 あるとき宿泊客からオムレツを朝食に頼まれた。何のことか分からず「時間がかかるので朝ご飯には間に合わない」とごまかすと、客が不思議な顔をして「卵があれば作って見せますよ」。ようやくオムレツを理解できた。観光を基本から学ぶことの大切さを痛感し、州当局の訓練プログラムを受講した。
 クリスティナは「旅行者と会話し、私たちの歴史を語ることができる。忘れていた文化や習慣を分かち合い、取り戻すきっかけにもなる」と手作りの観光の大切さを力説する。観光客を連れてくる仲介業者に手数料を支払う必要もない。昨年の宿泊者数は約千人。クリスティナの成功を見て、現在は約20の浮島で島民が民宿を経営している。

 浮島カンタティで家族と民宿を経営するクリスティナ・スアニャ。シャワー・トイレ付きのロッジやレストランに加え、トトラ製のパラソルやブランコも備える=8月、ペルー・ウロス諸島(共同)
 浮島カンタティで家族と民宿を経営するクリスティナ・スアニャ。シャワー・トイレ付きのロッジやレストランに加え、トトラ製のパラソルやブランコも備える=8月、ペルー・ウロス諸島(共同)

 ▽家族の絆
 それでもほとんど観光客が立ち寄らない沖合の浮島で、いまだに孤立した生活を送る人たちもいる。
 5家族25人前後が住むこの島には、水道も電気もない。冬場は氷点下まで冷え込むが暖房はない。大人たちは朝4時に起きて漁に出る。3~4時間で収穫は2キロ程度。午後は網を掃除し、翌日のために再び仕掛けに行く。夜7時には寝る生活だ。
 厳しい暮らしだがジョン・スアニャ(18)に、ここを去る気はない。「大学を出て教師になり、島の学校で教えたい」と夢を語る。「都会暮らしは両親がいないから嫌だ。結婚して子どもができても、両親と一緒にこの浮島で暮らしたい」と繰り返す。
 押し寄せる観光の波と折り合いをつけ、より良い暮らしを模索する人たち。不便でも昔ながらの生活を続け、家族の絆を大切にする人たち。自分たちの文化を守る気持ちは変わらない。(敬称略、文・小西大輔、写真・カルロス・ガルシア・グランソン)

取材後記

簡単に出ぬ答え 

 地元の歴史研究家フアン・パラオ(77)によると、もともとペルー南部プノのティティカカ湖周辺に定住していた先住民ウロスは、スペイン人の侵略を逃れて1630年ごろから浮島に住み、ほぼ孤立した生活を送ってきた。観光が始まったのは1960年代で、86年に湖が増水し、島の多くがプノに近い浅瀬に移ってからはますます盛んになった。
 伝統文化や習慣が失われつつあるのは否定できないが、パラオは「観光で収入が増え、死亡率も減った」と言う。かつてほぼ裸で生活していた子どもたちが、今は色鮮やかな民族衣装に身を包む。善しあしの答えは簡単には出ない。(敬称略、小西大輔)

 

SDGSの第8目標 生きがいも経済成長もペルー・ティティカカ湖

 

最新記事

関連記事 一覧へ