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50年後の「名誉回復」 五輪で差別に抗議、豪選手 オーストラリア

2019.4.5 21:54 共同通信

 米国歌が流れる中、表彰台に立った1位と3位の黒人選手はうつむいて星条旗から顔を背け、黒い手袋をはめた拳を突き上げた。1968年メキシコ五輪陸上競技男子200メートル表彰式。後に「ブラックパワー・サリュート」と称され、米国の白人支配に対する無言の、だが、あまりに雄弁な抗議として五輪史上に残る政治的アピールとなった。
 2位の白人選手、オーストラリアのピーター・ノーマンも胸に「人権五輪プロジェクト」(OPHR)のバッジを着け、抗議に同調。その行動は白豪主義の自国で波紋を呼び、2006年に64歳で死去するまで「忘れられたランナー」として扱われることになる。
 そして50年後の今年6月、オーストラリア・オリンピック委員会(AOC)はメルボルンの国立スポーツ博物館で初めてノーマンの功績を表彰した。「生きている時に認めてほしかった」。遺族は遅すぎる「名誉回復」に複雑な思いをのぞかせる。
 ▽共感

 映画「SALUTE」の監督マット・ノーマン。映画ポスターはメキシコ五輪男子200メートル表彰式の場面で(左から)伯父のピーター・ノーマン、トミー・スミス、ジョン・カルロス=9月、オーストラリア・ビクトリア州(共同)
 映画「SALUTE」の監督マット・ノーマン。映画ポスターはメキシコ五輪男子200メートル表彰式の場面で(左から)伯父のピーター・ノーマン、トミー・スミス、ジョン・カルロス=9月、オーストラリア・ビクトリア州(共同)

 ピーターのおいで映画監督のマット・ノーマン(46)は伯父が国内で知られていないことに驚き、記録に残すことを思い立つ。02年に製作を開始、ピーターや米国とオーストラリアの関係者に取材し、08年にドキュメンタリー映画「SALUTE」(サリュート=敬礼)を完成させた。「上映前にピーターが亡くなったのは想定外。彼が評価される姿を見たかったのに」と残念がる。映画のDVDは教材として各地の中高等学校に置かれている。
 米国で黒人の人種差別反対運動が燃え盛っていた68年4月、公民権運動の父、キング牧師が暗殺された。スポーツ界における人種差別に反対するOPHRを主導したハリー・エドワーズは「メキシコ五輪ボイコット」を黒人選手に呼び掛けた。しかし、選手たちは五輪で黒人の実力を示す道を選んだ。
 10月16日の200メートル決勝。トミー・スミスが世界新記録で優勝、ジョン・カルロスが3位に入った。両選手の行動は国際オリンピック委員会(IOC)会長ブランデージを激怒させる。2人は選手村から追放されたが、表彰台の映像は世界に流れ、ボイコット以上の効果を上げた。
 ノーマンはスミスとカルロスから表彰式で非暴力の抗議を行うことを告げられ共感した。カルロスが手袋を忘れたため、2人で片方ずつを着用するよう提案したのはノーマンだった。
 ▽疑惑
 ノーマンの人権意識は世界的な慈善団体「救世軍」に賛同する家庭に育ったことが影響する。「人間は平等に生まれ、機会は均等にあるべきだ」と話し、先住民族アボリジニや移民を不当に扱う白豪主義に反対していた。
 母テルマ(97)と先妻ルース(74)はラジオで競技結果を知った。「表彰式には驚いたけど、彼は今も家族の誇りよ」と2人は異口同音に言う。
 メキシコ五輪でノーマンはオーストラリア選手団団長から注意を受け、「好ましからざる行為」はその後に影を落とす。
 72年ミュンヘン五輪出場を目指し、200メートルの参加標準記録を13回も突破しながら、最終選考会の3位を理由に代表に選ばれなかった。AOCは男子の短距離種目に史上初めて誰も派遣しないと発表。「ミュンヘンでもノーマンが面倒な事件を起こすことを懸念したからだ」と臆測を呼んだ。
 「伯父は間違いなく、オーストラリア最高のスプリンターだった。1回の試合結果でなぜ、落選を決めたのか」。マットは今も納得できない。
 ▽戦士
 ノーマンはミュンヘン五輪選考会を最後に引退。足の故障やアルコール依存症に苦しみ、失意のまま人生を終えた。
 スミスとカルロスはメキシコ五輪後もノーマンと親交があった。テルマは「3人は仲が良くて、本当の兄弟のようだったわ」と懐かしむ。
 2006年10月9日に行われたノーマンの葬儀では、米国から駆け付けた2人の盟友がひつぎを担いだ。カルロスは「孤独なオーストラリア戦士」と弔辞を述べ、米国陸上競技連盟はこの日を「ピーター・ノーマン・デー」にすると発表した。

 故ピーター・ノーマンの受賞を喜ぶ遺族。記念のトロフィーを手に笑顔の母テルマ(中央)、先妻ルース(右端)、長女ジャニータ(左端)=9月、オーストラリア・ビクトリア州(共同)
 故ピーター・ノーマンの受賞を喜ぶ遺族。記念のトロフィーを手に笑顔の母テルマ(中央)、先妻ルース(右端)、長女ジャニータ(左端)=9月、オーストラリア・ビクトリア州(共同)

 12年になって、オーストラリア連邦議会はノーマンに対し不当な扱いがあったと認めて謝罪した。だがAOCはそれまでの対応は妥当だったとする見解を変えなかった。
 今年の表彰の際も、AOCはノーマンがメキシコで出した200メートルの20秒06が今もオーストラリア記録として残るなど、大きな実績があったことを授賞理由に挙げたが、失われた彼の名誉については触れなかった。
 ノーマンの長女ジャニータ(51)は表彰式で感謝のスピーチをしたが、釈然としない。「アスリートとして父が認められたのは名誉なことよ。でも、なぜ今になって? 政治的な思惑が働いたのかしら」(文・原田寛、写真・金森マユ、敬称略)

取材後記

五輪の「宣伝効果」 

 ブラックパワー・サリュートで、世界中が五輪の「宣伝効果」に気付いた。4年後のミュンヘンでも類似の騒動が懸念されたが、さらに想像を超える惨事が起きる。パレスチナ・ゲリラがイスラエル選手団宿舎を襲撃、イスラエルに拘束されている仲間の釈放を要求し、最後は銃撃戦で選手団の人質全員が死亡した。
 「平和の祭典」をうたう五輪がテロの標的に。以降の大会は警備が重要なテーマになる。世界最大のイベントであるが故に、無防備なスポーツが政治利用されることは必然だったかもしれない。1980年モスクワと84年ロサンゼルスで東西陣営がボイコット合戦。「政治とスポーツは別」は幻想になった。(原田寛)

 

SDGsの第10目標 人や国の不平等をなくそうオーストラリア

 

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