動物園で救われた命  ナチスの迫害生き抜く ポーランド・イスラエル

2019年04月05日
共同通信共同通信

 小さな子どもを連れた家族らが訪れ、あちこちから笑い声が上がる。ポーランドの首都ワルシャワにある動物園。緑の中、ゆったりした雰囲気の園内で動物を見たり、ベンチに腰を掛けておしゃべりしたり楽しそうに過ごす。市民の憩いの場だ。
 入り口から150メートルほど進んだ辺りに木々に囲まれた2階建ての白い建物がある。第2次大戦中、ワルシャワがナチス・ドイツに占領された当時の園長ヤン・ジャビンスキと妻アントニーナらが暮らしていた家だ。
 補修され、現在は一般公開されている。中に入ると、1階にピアノがある。地下に続く階段を下りると、いくつかの部屋に分かれている。ここでヤンとアントニーナは、友人のユダヤ人らをナチスからかくまっていた。
 現在イスラエルで暮らすモシェ・ティロシュ(81)もそんなユダヤ人の1人。4畳半ほど、高さ約2メートルの地下の一室で当時5歳だったティロシュは身を隠していた。
 ▽地下室

第2次大戦中、地下室にユダヤ人がかくまわれていた家で、父ヤンの写真を手に思い出を語るテレサ。動物園内にある家は2015年から一般公開されている(7月、ワルシャワ)
第2次大戦中、地下室にユダヤ人がかくまわれていた家で、父ヤンの写真を手に思い出を語るテレサ。動物園内にある家は2015年から一般公開されている(7月、ワルシャワ)

1939年9月、ナチスがポーランドに侵攻、第2次大戦に発展した。40年、ワルシャワの一画にゲットー(ユダヤ人隔離居住区)が設けられ、ナチスは多い時で45万人ものユダヤ人を閉じ込めた。迫害は強まり、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)につながる。
 ティロシュと両親、妹、弟もゲットーで生活していた。多くの人が亡くなった。「食べ物がなくて、チフスなどの病気が流行していた」。ティロシュは語る。
 ある日ゲットーから逃げることを決めた。全員が生き延びるチャンスを大きくするため、赤ちゃんだった弟は、ユダヤ人とばれないようなポーランド風の「偽の名前」を書いた紙を添え、孤児院に引き取られることを期待してゲットーの外の路上に置き去りにした。ティロシュと2歳下の妹、両親は脱出。民家などに身を隠した後、ヤンとアントニーナの元に向かうことになった。
 42年。冬が始まるころだった。ティロシュらが身を潜める荷馬車が動物園に向かう。途中、ナチスの検問所に近づいた。
 酔っぱらいが乗っていると思わせるために、御者の隣に座った知人のポーランド人が、自身と馬に地元の酒をかけた。検問所のドイツ人が言った。「ポーランド人か、行け」。難所を乗り切った。声を上げないよう「妹の口を手で押さえていた。時間がとても長く感じた」と、ティロシュは振り返った。
 動物園に着き、扉が開いた。「来てくれてとてもうれしい」。アントニーナが出迎え、冷えた手を温めてくれた。「生き延びることができる」。ティロシュは思った。
 ▽ピアノ
 アントニーナらは、隠し事はないと思わせるために、窓やドアはあえて開けっ放しにしていた。ナチスが見回りで家に来ることもあった。アントニーナは、危険を知らせる合図になっていたオッフェンバックの曲をピアノで弾く。「足音が聞こえるととても怖かった」。地下室にいたティロシュらは息を殺してナチスが去るのを待った。
 当時は大戦で多くの動物が殺されたりナチスに連れ去られたりして、空のおりも少なくなかった。関係者によると、ヤンとアントニーナは40年から44年にかけて、地下室やおりに計200人ともされるユダヤ人らをかくまった。期間は数時間から数年間までさまざまだったという。
 命がけでユダヤ人を救ったヤンとアントニーナは70年代に相次いで他界。娘のテレサ(74)によると、当時のことを「正しいことをした」と話していたという。
 エルサレムのホロコースト記念館「ヤド・バシェム」の資料によると、ヤンはこのように証言している。「人為的に作られたものを除いてユダヤ人を嫌う理由を見つけることができなかった」
 ▽天使
 動物園に数週間潜んだ後、ティロシュらは、ばらばらになって逃げた。大戦を生き抜いた両親は孤児院などから子ども3人を捜し出した。ティロシュは空腹でやせ細っていた。弟は、医師が「どうすることもできない」と言う状態だったが回復した。その後父は亡くなったが、残った家族は57年にイスラエルに渡る。

地中海に面したイスラエル北部アッコの港でたたずむティロシュ(左手前)。動物園内でかくまわれたワルシャワ時代を振り返った(7月)
地中海に面したイスラエル北部アッコの港でたたずむティロシュ(左手前)。動物園内でかくまわれたワルシャワ時代を振り返った(7月)

 現在は、北部カルミエルの緑の多い閑静な住宅街で暮らす。近所を散歩し、木漏れ日の差すベンチに腰掛ける毎日だ。
 「自分には子ども時代がなかった」。ティロシュはワルシャワ時代を振り返ると、今も気持ちが高ぶる。
 結婚し3人の子どもと8人の孫に恵まれた。自宅の壁に飾られた孫の写真をこぼれるような笑顔で幸せそうに見つめる。
 アントニーナらへの感謝の気持ちを忘れることはない。当時は、危険を顧みず多くのユダヤ人を助けてくれたことには気付かなかった。5歳の時に「天使」と思ったアントニーナ。もし彼女に再会できたら。「家に招待したい」。瞳が潤んだ。(敬称略、文・岡田隆司、写真・中野智明)

取材後記

正義の人 

 エルサレムのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)記念館「ヤド・バシェム」は、危険を顧みずユダヤ人を救った人々を「諸国民の中の正義の人」としてたたえている。
 ワルシャワ動物園の園長だったヤン・ジャビンスキと妻アントニーナや、第2次大戦中に日本通過の査証(ビザ)を発給し多くのユダヤ人の命を救った外交官、杉原千畝(すぎはら・ちうね)も、この正義の人だ。
 私自身には、幼い子どもがいる。もし同じ状況に置かれたら、どんな行動を取れるだろう。家族も危険に巻き込まれるかもしれない中、人を助けることができるだろうか。改めて正義の人の勇気を思った。(敬称略、岡田隆司)

 

SDGsの第16目標 平和と公正をすべての人に ポーランド・イスラエル