「病、それから」上野直人さん(米腫瘍内科医)「どう生きたい」を問う病

全米トップのがん医療機関と評されるテキサス大MDアンダーソンがんセンターの教授上野直人さん(54)は昨年夏、血液がんの治療のため骨髄移植を受けた。がんは2度目。薬物療法を専門とする腫瘍内科医として、そして患者として、がんと向き合い続けた経験から、改めて実感したことがある。人はこの病気で「自分はどう生きたいか、何が大事か」を問われるということだ。

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初めてがんになったのは43歳です。ある日気付いた太もものしこりが「悪性線維性組織球腫」という珍しいがんでした。ショックでしたが、幸い手術で元気になり、年1回の検査の時以外は、ほとんど考えないようになっていました。
▽悩んで決意
一方で、原因不明の血液検査の異常値が長く続いていて、4年ほど前からは貧血も加わりました。詳しい検査で「骨髄異形成症候群」と診断がつきました。血液細胞へと成長する骨髄の幹細胞が侵される病気です。
主治医は「薬と輸血でゆっくり経過を見てはどうか」と言いました。穏当ですがその選択は、研究と診療、教育に携わり、米国や日本を忙しく飛び回る自分らしい生活を諦めることが前提になります。どうしようか。そうこうするうち、検査数値も徐々に悪化していきました。
悩んだ末、移植を受ける決心をしました。がん化した骨髄の幹細胞を薬で徹底的に壊した後、健康な人から提供された幹細胞に入れ替える治療法です。成功すれば本当に良くなるけれど、場合によっては合併症で死亡する危険もある。
▽思いを再発見
僕には、研究を通じて治りにくいがんを減らし、患者さんの苦しみを軽減したい、という強い思いがあります。リスクがあっても、思いを実現できる可能性がある治療法を選びたかった。自分はそういう生き方をしたいんだ、ということが改めて分かりました。
移植はうまくいき、ほとんどの血液細胞は回復しました。主治医が「順調過ぎる」と言うくらい。治療の3カ月後には学会で講演し、今年3月には診療も再開しました。
医者の目で自分を見れば確かに順調です。でも患者の僕としては正直なところ、もっと元気でもいいんじゃないかと思うし、文句を言いたいことだって実はあります。でも、何だかんだ言っても生きている。これには感謝です。
▽話せるうちに
最初にがんになったとき、自分の定年や老後をぼんやりイメージする気分になれなくなりました。今度のがんでは死ということが、より現実味をもって迫ってきた。
友人らに向け(ソーシャルメディアの)フェイスブックで、日々の治療について発信しました。つらい記憶も時間がたつと美化されるから、記録しておきたいと。思いを文字にすることで、少し落ち着いて客観的になることができたし、自分を癒やす効果もあったかもしれません。
腫瘍内科医として、たくさんの死を見届けてきて、死んだらもう話せないんだということは身にしみています。だから患者さんに言いたいんです。自分はどういう治療を受けたいか、残りの人生をどう生きたいのかをよく考え、自分なりに納得できる道を医療者と話し合ってほしい。がんは、それが可能な病気です。
僕自身も自分の病気にうろたえたり、怒ったりしていて、患者としてはまだまだ未熟です。でも、最期の瞬間まで自分らしく生き切る患者でありたい。同時に、そうした患者をしっかり支える医者でありたいと思います。
(聞き手・吉本明美、写真・牧野俊樹)
◎上野直人(うえの・なおと)さん 1964年生まれ、滋賀県出身。和歌山県立医大卒。90年渡米。96年米テキサス大MDアンダーソンがんセンター腫瘍内科医。2009年から教授。がんのチーム医療の日本での普及啓発に力を入れる。著書に「一流患者と三流患者」など。
◎骨髄異形成症候群 赤血球や白血球などの血液細胞のもとになる骨髄の造血幹細胞が侵され、正常な血液細胞がつくれなくなる血液がんの一種。貧血や疲労感、感染症にかかりやすいといった症状が出る。