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【2704】小鼓 純米大吟醸 無濾過生原酒 丹波杜氏(こつづみ)【兵庫】

2017.1.18 17:57
兵庫県丹波市 西山酒造場
兵庫県丹波市 西山酒造場

【K立ち飲み店にて 全12回の⑫完】

 久しぶりにK、Tと飲むことになった。いつもはP居酒屋で飲むところだが、P居酒屋はわたくしが前日に使ったばかり。ということで趣向を変え、K立ち飲み店に行くことにした。この店は約100種類の酒を常備しており、定額で飲み放題。半年くらい行っていなかったので、品揃えが変わっていることを期待して、3人で出向いた。

 まず、わたくしにとっての初蔵酒「金宝芙蓉 純米原酒 よよいの酔」を飲み、2番目からは既飲蔵酒。「竹葉 特別純米 火入 ロックで飲む日本酒 I ♡ Rock」「幸手 純米原酒 ひやおろし」「小鼓 讃鼓 純米大吟醸 無濾過生原酒 山田錦」「富久錦 てはじめ 純米 8%のアルコール ライスワイン」「玉風味 純米 初しぼり 無濾過生原酒」「土田 山廃 純米吟醸」「本洲一 無濾過 本醸造」「平安四神 ブルー 吟醸」「古都 しぼりたて」「越後雪紅梅 吟醸 初聲」と飲み進め、最後12番目にいただいたのは「小鼓 純米大吟醸 無濾過生原酒 丹波杜氏」だった。「小鼓」は、この日2種類目だ。さて、いただいてみる。

 酒蛙「甘辛い」

 T 「フレッシュでさわやかだけど、すこし抑えが効いている」

 酒蛙「旨みたっぷり。酸も出ている」

 T 「ナイスバディ。ふくよか。40歳代のナイスな女性って感じ」

 酒蛙「甘みが出ているが、辛みと酸味と苦みがアクセントになっている。落ち着いた大人の酒って感じ。いいなあ。旨いなあ」

 ラベルの表示は「使用原料米 米(国産)、米麹(国産米)、精米歩合50%」にとどまり、使用米の品種名が非開示なのは残念だ。しかし、ネットでは「兵庫北錦」を使用している、という情報がある。「兵庫北錦」は兵庫県立中央農業技術センター酒米試験地が1974年、母「なだひかり」と父「五百万石」を交配。育成と選抜を繰り返し品種を固定。1986年に命名、1987年に種苗法登録された酒造好適米。

 瓶の裏ラベルに「しぼりたる 酒の香りも 松の内 小鼓子」という句が載っている。酒蔵の新年の雰囲気が伝わってくる句だ。この「小鼓子」について以前当連載で、「丹波資料室」というサイトに掲載されている記事を転載し紹介したことがある。今回も以下に再転載する。

「西山小鼓子は本名を謙三と言い明治42年、市島町中竹田に生まれました。父は西山酒造の経営者でもあり高浜虚子の主宰する『ホトトギス』の重鎮でもあった俳人の西山泊雲で、謙三が中学3年の時に、この泊雲の薦めで『ホトトギス』に投句し、以来俳句の道へと入りました。

 謙三の俳号『小鼓子』の由来にもなっている西山酒造の銘酒『小鼓』は、そもそも西山酒造が破産の憂き目に遭った時、もともと西山酒造にあった銘酒『國の礎』を高浜虚子が『小鼓』と名づけ、平福百穂の揮亳レッテルで『ホトトギス』発行所を通じて全国的に売り出して、家運を挽回したと言う逸話の酒です。

 謙三は三菱地所会社に10年間勤務の後、昭和19年、泊雲亡き後家業を継ぎ、傍ら作句活動も続けその間、竹田村村長なども努めました。昭和20年11月7日、泊雲の墓参のため丹波を訪れた高浜虚子・年尾・星野立子らを迎えて追悼句会を開き、その席で虚子の詠んだ『丹波路も 草紅葉して 時雨かな』の句にちなみ『草紅葉句会』を創立して、月刊誌『草紅葉』を発行しました。

 俳号の『小鼓子』はこの時、虚子が命名したものだそうです。そして昭和24年には、ホトトギスの同人となり『草紅葉』の会員も丹波だけでなく但馬や丹後にも広がり、盛会となりました。

 また小鼓子は県立丹波文化会館OB大学俳句講座の講師を会館創立以来勤められるなど丹波の俳句文化の発展に貢献されて来ましたが、平成12年11月18日に、91歳で亡くなりました」

 ところで、「小鼓」のラベルは、いつも芸術性が高く非常にユニーク。見るだけでも楽しい、すばらしいデザインだ。蔵のホームページは、ラベルデザインの作者について、以下のように紹介している。

「西山酒造場の一つの個性となっている、存在感あふれるデザイン。それは無■庵(■は、さんずいに方)・綿貫宏介氏が表現する、夢幻の世界。

芸術家 無■庵 綿貫宏介 1925年生まれ。知る人ぞ知る独特の作風で、日本を代表する美術作家の一人。戦後初の留学生としてリスボンへ遊学。ポルトガル及びスペインに15年滞在し、ヨーロッパ、アフリカ、南アメリカを訪ねる。その際、美術の才能に目覚め、南ヨーロッパの美術界に名を馳せる。

リスボン国立モダンアートミュージアム等、ヨーロッパやアフリカの博物館に合計41点の作品が収蔵されているほか、約20点の書画集を発表している。ポルトガル及びスペインにて伝説的な美術家として知られるようになると、日本へ帰国。神戸及び有馬温泉にある小さなアトリエにて素晴らしい作品を作り続けている。

綿貫氏は独自の生活様式と美意識を持ち、『無■庵』を名乗る。彼にとって、絵や陶器、ガラス等は自身の完成と世界観を表現する手段となる。禅的日本思想等の東洋思想に影響を受けた彼の作品は、詫び寂び、渋み、閑等の美しさが滲み出ている。文字や言葉の生まれた起源を探求し、古代中国の漢詩にも精通しており、無■庵の世界には、魅力的で遊び心に溢れる言葉や文字に溢れている」