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希望への最後の旅路   難民の苦難を胸に刻む イタリア

2018.8.25 14:50 共同通信

 未明の海を照らして、難民を満載した漁船が炎上していた。火災から逃れようと次々と海へ飛び込む難民たち。「海いっぱいに、生死不明の人々の頭が浮かんでいた」。救助に当たった漁師のサルバトーレ・ロンバルド(54)が振り返る。 2013年10月3日、イタリア南端のランペドゥーザ島。難民船は島を目前にしてエンジンが故障し、救助を呼ぼうと布に着けた火が燃料に燃え移った。アフリカ各国から欧州を目指した難民500人余りのうち368人が死亡。同島で最悪の海難事故となった。

 ▽生きているぞ

イタリア・ランペドゥーザ島の海岸に立つモニュメント「欧州の門」。海路で島に向かう途中、遭難し命を落としたアフリカや中東からの難民たちを記憶にとどめようと建立された
イタリア・ランペドゥーザ島の海岸に立つモニュメント「欧州の門」。海路で島に向かう途中、遭難し命を落としたアフリカや中東からの難民たちを記憶にとどめようと建立された

 

 ランペドゥーザは、チュニジアから100キロ余りの地中海に浮かぶ人口6千人弱の島だ。アフリカから最も近い「欧州」として、戦火や飢餓を逃れ、海を渡る難民たちの希望の地となってきた。だが、粗末な漁船に大勢で乗り込むため、遭難が絶えない。欧州連合(EU)の統計では、16年にイタリアを目指した約18万5千人の難民のうち約4600人が海で落命した。 最悪の事故の日、医師ピエトロ・バルトロ(62)は続々と運ばれる遺体の検視に当たっていた。ある若い女性の脈を確かめたとき、はっとする。「生きているぞ」 島の診療所に運び込んだ女性に、直ちに蘇生措置がとられた。肺の海水を吸い出し、心臓マッサージを続ける。弱々しかった脈拍が、規則正しく打ち始めたとき、診療所内にスタッフの歓声が上がった。同時に誰もが泣いていた。 女性はヘリコプターでシチリア島の大病院へ。「ケブラ」という名は後で知った。

 ▽半身不随で

 「海難事故ばかりが注目されるが、難民にとり海を渡るのは旅路の最後の関門にすぎない。私たちの想像を絶する最悪の試練は、船に乗り込む前にあるんだ」

 バルトロが診療所で語り始めた。所長として四半世紀にわたり難民たちの治療や遺体検視を担ってきた。その数約25万人。診察で聞いた一人一人の個人史を胸に刻むため、データをパソコンに保存している。 ソマリア女性のファドゥマは、首都モガディシオの自宅で夫を殺された。武装した男たちが押し入ってきたとき、夫は必死で命乞いをした。だが、男たちはファドゥマと子ども4人の目の前で、夫の首を切り落とした。 ファドゥマは出産で脳卒中を起こし、半身不随だった。「働くことは無理だった。体を売ることさえ」とバルトロは言う。だが、子どもを養うために、どんな低賃金の仕事でもいいとサハラ砂漠を越え、地中海を渡って島にたどり着いた。 「何という勇気だろう。世界は難民を『数』でしか見ない。でも、子どものためなら命も危険にさらす。私たちと同じ夢を持った人々なんだよ」 あるシリア難民の話も胸を突く。3歳の男児と9カ月の乳児を連れた若い夫婦が難民船の遭難で、海に投げ出される。泳げるのは夫だけで、乳児を抱えた妻と息子を左右の腕で支え、波間を漂った。だが、海が荒れ始め、4人全員が溺れる危機にさらされる。 夫は息子とつないでいた手を放した。妻と乳児を救うためのとっさの選択だった。息子の小さな体は、ゆっくりと沈んでいったという。3人は生き残った。話を聞いて、バルトロは号泣した。

イタリア・ランペドゥーザ島の診療所で取材に応じるバルトロ所長。1990年代から四半世紀以上にわたり、難民らの苦難を見てきた。診療などで聞いた難民の話をまとめた著作「塩の涙」が2017年に刊行された
イタリア・ランペドゥーザ島の診療所で取材に応じるバルトロ所長。1990年代から四半世紀以上にわたり、難民らの苦難を見てきた。診療などで聞いた難民の話をまとめた著作「塩の涙」が2017年に刊行された

 

 ▽ケブラとの再会

 ランペドゥーザの人々は、海を渡ってくる難民を抵抗なく受け入れているようにみえる。なぜなのだろう。バルトロは柔らかに笑った。 「ランペドゥーザは漁師の島だ。私の父もそうだった。漁師というのは、海からやって来るものは何であれ、拒まない」 バルトロによれば、地中海の対岸リビアでは、同じ難民でも黒人は人間扱いされない。さらに下に見られるのが女性だ。 女性たちの中には、リビアでレイプされ、妊娠させられた例が数知れない。難民船の中で出産し、母子がへその緒でつながったまま息絶えていたこともある。 「でもね。この島にたどり着いて精神に異常を来すのは、男性だけだ」とバルトロは言う。男たちは到着すると、つらい旅が終わったと思い込む。だが、欧州での再出発までさらに長い過程があると知ると、心が折れてしまう者がいる。「ここへ至るまで、男とは比較にならない苦難を経てきた女たちは、そんなことにはへこたれない」 16年10月3日、バルトロは島に現れた女性に目を見張った。ちょうど3年前、最悪の海難事故で瀕死(ひんし)の重体だったケブラが、救命の礼を言いに戻ってきたのだ。 ケブラはスウェーデンで結婚し、2人目の子どもを妊娠していた。「素晴らしく美しい女性になっていた。仕事を辞めたいと思ったことが何度もあるが、こうした経験があるから続けられる」とバルトロが笑みを浮かべた。(文・軍司泰史、写真・澤田博之、敬称略)

<取材後記>

絶景の地で

 ランペドゥーザ島は、船が宙に浮いて見えるほど透明度の高いビーチで知られ、6千人弱の人口が夏には観光客で2万5千人にもなる。世界に名だたる絶景の地だ。 難民船が到着すると、難民たちは直ちに収容センターに運ばれ、旅行者の視野にその姿は入らない。楽園と難民の島という二つの面。「この二つは決して交わることがない。まるで欧州の隠喩だ」。島を舞台に記録映画「海は燃えている」(2016年ベルリン国際映画祭金熊賞)を製作したジャンフランコ・ロージ監督は評した。闇を見まい、見せまいとする仕組みは「豊かな国の隠喩」と言い換えてもいい。 バルトロ医師は「文明社会の真ん中で、難民の悲劇が起きていることを知ってほしい。われわれは、この事実に恥じ入るべきだ」と語った。

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