第6部「共鳴」(7) 隣り合わせの痛み 親子の関係超え対話

現代美術家の渡辺篤(わたなべあつし)(39)が部屋から出たのは2011年2月11日。そのちょうど1カ月後、東日本大震災が起きた。しばらくしてインターネットで、ある記事が目に留まった。
遠く離れた被災地では、傷ついた住民の存在に気付くことで、ひきこもり生活に終止符を打ち、福祉などの仕事に就いた人がいると伝えていた。
渡辺は自分自身の経験を重ねた。疲弊した母親の姿を目の当たりにし、ひきこもりの生活を終えていた。他者の苦しみに触れて初めて、自分の痛みを別の角度から見ることができたからだ。
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「わたしの傷/あなたの傷」(17年)は、渡辺と母親の合作だ。近過ぎて互いに見えにくい親子の関係性に光を当てる。
30分ほどに編集された映像で2人はテーブルを挟んで向き合い、モルタルで作った実家の小さな模型をハンマーでたたき壊す。一緒に修復作業をしながら対話を重ねる。
渡辺「僕がひきこもりだった時、扉の向こうでお母さんが何を感じていたかとか、何を見たか、何をして何をできなかったか、ということを聞きたいと思っています」
母「あの時、何が起きているのか全く分からなかった。本人に言わせると自分が悩んでいることを分かってほしかったと言うけれど、(中略)最初は、その悩みの深さというのが全く分からなかった」
母親はさらに、長年夫との関係をうまく築けなかった「妻」、親族の間で孤立していた「嫁」として抱えてきた苦しみを告白する。親子の関係を超えた個と個のやりとりは、扉の内と外で2人の痛みが隣り合わせにあったことを浮き彫りにする。
「私たちは自分のつらさばかりに目が行きがちで、他者の本当のつらさに耳を傾けることは難しい」と渡辺。それを「被害者性の奪い合い」といい、人がとらわれた状態から解放されるために、誰もが弱音を吐き出せることの大切さを表現する。
渡辺は時に耳をふさぎ、目を背けたくなるような個々の叫びを受け止め、全面的に肯定していく。今も孤独にいる人にメッセージを届けるかのように。(敬称略)
