「病、それから」森本稀哲さん(元プロ野球選手) 容姿の悩みを乗り越えて 夢中の練習、心に変化

元プロ野球選手の森本稀哲さん(37)は、明るく元気な人気者という印象が強い。漫画のキャラクターに扮(ふん)し、観衆を沸かせた姿も記憶に残る。だが子どもの頃、突然髪が抜け、自分の容姿に思い悩む日々を過ごした。野球に打ち込んだ高校時代、髪が生えてきたが、自分の殻に閉じこもらないで、広い視野を持つことの大切さを強く感じている。

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小学1年の時、髪の毛が抜け、まつげも眉毛も抜け落ちてしまいました。「汎(はん)発型円形脱毛症」という病気で「治らなかったらどうしよう」という不安と恐怖で押しつぶされそうでした。
クラスメートは病気に触れずにいてくれました。先生が話をしてくれたのかな。おかげで学校が大好きでした。ただ、学校の外ではからかわれるので、いつも帽子をかぶっていました。母と幾つも病院に行きましたが、髪は生えてきません。コンプレックスの塊で、常に人目を避けて、こそこそしていました。
▽父親の言葉
自営業の父には「おまえは目も見え、耳も聞こえ、髪がないだけだろう。世界には食事も水もなくて苦しんでいる子がたくさんいるんだ」と言われましたが、幼い僕は納得できませんでした。
成長し知識も増えると「自分以外のもっと広い世界を見ろ」と言ってくれているのだと理解できるようになりました。父の言葉がなければ、自分の殻に閉じこもったままだったかもしれません。
友達に誘われて野球を始めたのは小4です。チームには同級生がたくさんいて、休日も一緒に過ごせるのがうれしかった。試合前のあいさつで帽子を脱ぐと、相手チームに笑われることがありましたが、いいプレーをすれば一目置かれます。
▽毛が生えた
帝京高校野球部では1年でレギュラーに。打ちまくれば、みんなが認めてくれます。ただ気掛かりだったのは、陰毛が生えてこないことでした。主将に選ばれ、グラウンドでは自信満々な態度でいても、シャワー室では小さくなっていました。
それが「もう髪の毛なんてどうでもいい。もっとうまくなりたい」と心に決め、夢中で練習に打ち込んだのとほぼ同時に、毛が生えてきました。
脱毛症は分かっていないことも多く、なぜ生えてきたのか分かりません。ただ、気持ちにブレーキをかけて治るのを妨げていたのは、もしかして自分自身だったんじゃないかと思いました。普通に接してくれる友人の気遣いも分からず、僕は心を閉ざして悩んでいました。野球に集中することで自分の中の何かが変わったように思うのです。
▽違いは個性
病気になりいろいろな経験をして今の自分がいます。病気になって良かったと言えます。人の痛みを分かるようになれたと思いますから。プロ野球時代もずっと頭をそっていたのは「僕が頑張れば、同じ病気の人に自信を持ってもらえるのでは」と思ったからです。
引退後、パラリンピックの選手を取材する機会があり、勝負に臨む迫力と目の輝きに圧倒されました。そこにいるのは一人のアスリート。体が不自由な人という感じは全く受けません。スポーツの素晴らしさですね。
かたくなに帽子をかぶっていた子どもの頃の自分には「髪がないのが僕なんだと、みんなに理解してもらう方が楽だよ」と言ってあげたい。人と違うことは障害ではなく個性ですから。幼い娘の髪が抜けたらと考えると心配ですが、それでも「人は見た目ではなく、心の豊かさが一番大事だよ」と前向きな言葉を掛けたいと思います。
(聞き手・関矢充人、写真・牧野俊樹)
◎森本稀哲(もりもと・ひちょり)さん 1981年東京生まれ。99年、帝京高からドラフト4位で日本ハムに入団。外野手として活躍し3度のゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞。2015年引退。現在は野球解説者などとして活動。著書に「気にしない。」(ダイヤモンド社)
◎汎発型円形脱毛症 頭髪が丸く脱毛する円形脱毛症の一種で、頭髪だけでなく眉毛、まつげや全身の体毛が抜ける重症なタイプ。原因は完全には解明されていないが、毛を生やす毛包組織を免疫が攻撃してしまう自己免疫疾患との見方が有力。
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