(11)日本、中国、台湾 無国籍の差別乗り越え 「存在と権利守りたい」 日中国交正常化が契機

陳天璽(チェン・ティェンシ)(51)は1971年8月、中国出身の両親の6番目の子として横浜・中華街で生を受けた。両親は喫茶店と菓子店を営んでいたが、間もなく一家は国際政治の変革の波に翻弄(ほんろう)される。翌年9月の日中国交正常化が契機だった。
中国から上野動物園にパンダが贈られることになり、国内は「日中友好ムード」に沸く。その裏側で中国、台湾からの移住者が多い中華街で戸惑いが広がった。国交正常化に伴い、日本は台湾と国交断絶。中国と日本のどちらの国籍を選ぶか、決断を迫られる。天璽の父、福坡(フーポー)(100)も振り子のように心が揺れた。
▽戦火を逃れ
中国・牡丹江生まれ。少年時代に満州事変が起きた。「戦争という濁流にのみ込まれた」と振り返る。第2次世界大戦後も共産党と国民党が内戦状態に。敗れた国民党は台湾に臨時政府を置く。
自身も戦火を逃れて台湾へ。「着の身着のままで転々とし、3年かけて、たどり着いた」。同じように中国から台湾に渡った女性と結婚。その後、旧満州で学んだ日本語を生かそうと、日本に留学する。34歳だった。
天璽が生まれる前まで、中華街の7畳半のアパートで一家7人が身を寄せ合って暮らす。妻は近所の人に「乞食(こじき)」と呼ばれたが、片言の日本語しか分からず「ありがとう」と返事をした。凄惨(せいさん)な日中戦争の記憶、国民党と共産党とのイデオロギーの違い、いわれのない差別。さまざまな思いが交錯した末の結論は、どの国籍も選択しないこと。「無国籍も一つの国籍だ」と腹をくくった。

▽マイノリティー
家族全員が無国籍になったが、在留資格を持っている。日常生活に変化はなかった。菓子店から業態を変えた中華料理店も徐々に軌道に乗り始める。でも時折、さざ波が立った。天璽は横浜の有名私立小学校を受験した。両親と一緒の面接後「天璽ちゃんは外で待っていて」と面接官に言われた。両親への質問は長時間に及ぶ。「なぜ無国籍なのか」。前例がないと入学を断られた。
結局、小中学校は台湾系の教育で知られる横浜中華学院に進学する。公立高校卒業後、筑波大に入学し転機が訪れた。大学3年の時、米国に留学。他の学生から「どこから来たの?」と頻繁に聞かれ、言葉に窮した。迷った末の答えは「日本から来た中国人」。寮で仲良くなった女性が在日韓国人と知り、親近感を抱いた。黒人の学生とも友達に。マイノリティーや多文化共生にひかれていった。

就職は憧れていた国連を希望したが、国籍取得が条件と言われ不採用に。「がくぜんとした」。帰国後、フィリピンで華僑の会合があり、両親に同行した。帰りに立ち寄った台北の空港で天璽だけが入国を拒否される。両親は、かつて台湾に住んでおり、身分証を持っていた。「私だけ入国審査係官に、ちりやほこりのように煙たがれた」。やり切れない思いで一人、羽田空港に戻った。
「個人と国の間に複雑にからまっている糸を解きほどきたい」。理不尽な体験をばねに、無国籍の問題を研究テーマにする。無国籍のままだとフィールド調査の渡航の際に入国拒否の恐れがある。そのため法務局に日本国籍の取得を相談した。
しかし留学していたことが障害に。「日本に5年以上住んでないと駄目。日本人と結婚した方が近道だよ」と担当者に言われる。「結婚の選択まで国は決めるのか」と怒りがこみ上げたが、2003年に国籍を取得。でも胸中は複雑だった。父は冷静だったが、日本軍への嫌悪感が消えない母は口をきいてくれなくなった。
▽父の言葉
現在、早稲田大教授として中国語と移民研究を担当する。教壇に立つ傍ら、NPO法人「無国籍ネットワーク」で有志や学生と一緒にコロナ禍で差別され、困窮する無国籍の人を支えている。援助物資の配布、子どもの勉強サポート、法律相談と活動は多岐にわたる。
天璽は言う。「国連は無国籍者をゼロにしようとしている。でも大切なのは、存在を知ってもらうこと。その上で彼らの権利を守りたい」
小学校1年生の時の体験が活動の原点になっている。図書室の本棚で分厚い写真集をたまたま目にした。銃を突きつけられ、生き埋めにされている。軍服や国旗から日中戦争の写真だと幼心にも分かった。
衝撃を受けた。授業を抜け出し、泣きじゃくりながら家路につく。「どうして私は敵国の日本にいるの?」と父に尋ねると、しばらくして不安を和らげるように諭された。「国と国の関係よりも、人と人の関係はもっと深い。おまえも国を超える人になってほしい」
天璽の名は「天から授かった大切なもの」との意味が込められている。カトリックの洗礼を受け、ララという愛称で呼ばれている。「私は中華街で生まれたララ。国籍も国境も関係ない、ただのララです」(敬称略、文・志田勉、写真・鷺沢伊織)
◎取材後記「記者ノートから」
無国籍者は無国籍者の地位に関する条約で「いずれの国家によっても、その法の運用において国民と認められていない者」と規定している。だが実態はあまり、知られていない。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、世界の無国籍者は少なくとも420万人(2020年)。法務省調査で在留資格を持つ日本の無国籍者は約600人いる。しかし無国籍であることに気づかずに日本で生活し、結婚しようした際などに無国籍が判明するケースがある。陳天璽は「実際の数はもっと多い」と言う。
無国籍者は紛争や国家の独立など政情不安以外にも、さまざまな事情から生じる。陳は「国籍という制度がある以上、そこから、こぼれ落ちる人はなくならない」と指摘する。(敬称略)
筆者は共同通信編集委員、写真は共同通信写真映像記者。年齢は2022年9月1日現在
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