(8)ペルー  人生を一変させた単独訪問 閉鎖中のマチュピチュ遺跡  偶然から広がった夢

2022年08月01日
共同通信共同通信

 精密な石組みの空中都市が眼下に広がり、一帯には、かすかに焼き畑のようなにおいが漂う。南米ペルーの世界遺産マチュピチュ。2021年12月、赤いポンチョをまとった片山慈英士(かたやま・じぇしー)(28)は、ここで遺跡の宣伝用ビデオを撮影していた。


 「あらためてすごい景色だなと感じます。人も多いですね」。感慨深げに話す片山は20年10月10日、新型コロナウイルス対策で遺跡が閉鎖された中、ペルー政府からマチュピチュ訪問を特別に許可され、唯一の観光客として、絶景を“独り占め”した。異例のできごとが報じられると世界中から取材が殺到し、一躍有名人になった。


▽史上初


 当時は世界一周旅行の途中だった。同年3月半ば、ふもとのマチュピチュ村に入って遺跡を目指したが、コロナ拡大によって厳しい移動制限がとられ、村から動けなくなった。日本政府は帰国用のチャーター便を手配したが、高額で手が出ない。

 

 「2週間ぐらいなら待とう」。だが制限は延長され続け、村での生活は200日を超えた。

 

ペルー・マチュピチュ村で足止めされていた際に滞在していた宿の長男ルシオ(右)にボクシングを教える片山慈英士。「(宿にグローブを置いていったら)会っていない間も練習していたみたいです」と笑った=2021年12月
ペルー・マチュピチュ村で足止めされていた際に滞在していた宿の長男ルシオ(右)にボクシングを教える片山慈英士。「(宿にグローブを置いていったら)会っていない間も練習していたみたいです」と笑った=2021年12月

 

 ボクシングトレーナーの片山は、村で子ども達にボクシングを教えるなどして日々を過ごした。観光客が途絶えた村で淡々と生活する異邦人の存在は、地元紙に「マチュピチュにいる最後の観光客」として取り上げられた。すると、自身のSNSには、ペルー人から応援のメッセージが次々と舞い込んだ。


 「遺跡に入れるよう村長に頼んであげる」。そんな内容も少なくなかった。村や政府には、遺跡訪問を認めてあげてほしいという声が多数寄せられた。村長のダルウィン・バカ(38)は「遺跡を見て回れるよう政府に要請した」と話す。最終的にゴーサインが出た。


 バカは「政府がたった一人の観光客に許可を出したのは史上初だ」と言う。片山の訪問は「マチュピチュが観光客を受け入れる準備があるというとても強いメッセージ」となった。遺跡は11月1日、一般に再開。観光に大きく依存する村にとっても、片山の訪問実現はこれ以上ない宣伝と希望となった。


▽一変


 「あの訪問を境に、人生が一変した」と感じる。日本に戻ると、複数のテレビ局から出演のオファーを受けた。

 

 「マチュピチュの人」として知られるようになり、念願だったボクシングジムへの就職がかない、生活の拠点を奈良から東京へ移した。有名ジムで経験を積み、将来は、大人だけではなく子どもも通えるボクシングジムを実家に近い大阪で開くのが目標だ。

 


 一連の出来事を振り返って「運だけはいい」と笑う。だが、歩んできた道で笑顔の時は決して多くはなかった。

 


 カリブ海トリニダード・トバゴの血を引く父と日本人の母の間に生まれた。周囲の大人の差別的な言動が記憶に残る。数回会っただけの父親は母親に首を絞めるなどの暴力を振るい、母子で保護シェルターに逃げ込んだこともあった。

 

 「母を守れるのは自分しかいない」。そう思って高校からボクシングを始めた。


 ストイックに練習を積み、国体やインターハイに出場。特待生として大学へ進学した。「才能ではなく練習すればするほど強くなるのがボクシング」。内気でコンプレックスの塊だったが「きつい練習を乗り越えた」という自信が生まれた。


 世界を旅行し、アフリカなど各国で子どもにボクシングを教えた。目を輝かせる姿を見て、子どもにボクシングを教えることを職業にしたいと思うようになった。

 

▽奇縁


 遺跡を再訪した片山は、村の子どもたちにTシャツやマスク、色鉛筆の贈り物を配った。滞在中の自分を支えてくれ、遺跡訪問を後押ししてくれた村人たちへの「恩返し」だった。

 

 村中心部のアルマス広場でサンタクロース姿に扮(ふん)すると、子ども達に囲まれてもみくちゃになった。「ジェシーはやさしくて面白いんだ」。ランドゥ・ハラ(12)は、目を輝かせた。

 

南米ペルーのマチュピチュ遺跡で宣伝用ビデオを撮影する片山慈英士。1年前、単独訪問をしたときと同じように腕を上げて喜びを再現した=2021年12月
南米ペルーのマチュピチュ遺跡で宣伝用ビデオを撮影する片山慈英士。1年前、単独訪問をしたときと同じように腕を上げて喜びを再現した=2021年12月

 


 ペルーを訪れるまでは「マチュピチュがあることも知らなかった」。しかし、遺跡の単独訪問を機に、事実上の観光大使である「著名な客人」に任命され、日本とペルーをつなぐ役割を担う。再訪の際はマチュピチュ村の友好都市、福島県大玉村やアメリカン航空が資金支援した。

 

 

 
 遺跡への観光客は戻り始めている。だが、コロナの影響で日本からの客足は途絶えたままだ。1月半ばには、村が洪水に襲われる災禍もあった。

 

 「日本から旅行に行ける状況になった時、多くの人がマチュピチュを訪れてほしい」。日本に帰国後、観光宣伝のほか募金や支援の呼び掛けなどの活動を続ける。

 


 自分の体験を踏まえ、ペルーでも深刻な「ドメスティックバイオレンス(DV)や貧困問題の支援にも取り組みたい」。思いも寄らなかったペルーやマチュピチュとの奇縁だが、今では「一生関わっていく」と胸に誓っている。(敬称略、文・中川千歳、写真・カルロス・グランソン)

 

 

◎取材後記「記者ノートから」

 

 ほぼ地球の裏側にあるマチュピチュ村だが、日本との縁は深い。遺跡がこれほど観光でにぎわう前の1948年、村の発展に尽力し事実上の村長に任命されたのが福島県玉井村(現大玉村)からペルーにわたった日本人移民、故野内与吉(のうち・よきち)だった。その息子故ホセ・ノウチも村長に選出された。マチュピチュ村と大玉村は友好都市だ。
 「日本との間には歴史的な親近感がある」。現マチュピチュ村長のバカは、片山が遺跡の単独訪問を許可された理由にはこのような事情が背景にあったと考えている。
 野内の娘で南部クスコに住むマリナ・ノウチ(65)は、片山の中に父と同じ「冒険心を見る」と話した。日本と村のつながりに驚く片山も、野内のように日本とマチュピチュをつなぐ役割を担いたいという。(敬称略)

 

筆者は共同通信サンパウロ支局長、写真は共同通信契約カメラマン。年齢は2022年8月1日現在。

 

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