木曜日開催で知名度アップ 「サンクスギビングデーゲーム」の歴史と背景

2022年11月25日
共同通信共同通信
生沢 浩 いけざわ・ひろし
サンクスギビングデーに行われたジャイアンツ戦でTDし、チームメートと喜ぶカウボーイズのTEヘンダーショット(89)(AP=共同)
サンクスギビングデーに行われたジャイアンツ戦でTDし、チームメートと喜ぶカウボーイズのTEヘンダーショット(89)(AP=共同)

 

 今年も「サンクスギビングデーゲーム」の季節がやってきた。今でこそNFLのサーズデーナイトゲームはほぼ毎週行われるが、かつてはアメリカの祝日「サンクスギビングデー(11月の第4木曜日)」に2試合を行うのが慣例だった(現在は3試合)。

 

 サンクスギビングデーゲームというと思い出すことが二つある。一つは1998年のスティーラーズ対ライオンズの試合だ。この試合はオーバータイムにもつれ込んだが、その際のコイントスである騒動が起きた。

 ビジターのスティーラーズにコールの権利があり、RBジェローム・ベティスが行った。当時はレフェリーがコインをフリップして、そのコインが宙に浮いている間に「ヘッド(表)」か「テール(裏)」をコールする方法だった。

 レフェリーは「スティーラーズがヘッド、ライオンズがテール」と言いながらコインを宙に飛ばす。グラウンドに落ちたコインは「テール」が上向きだったので、レフェリーはライオンズ側に選択権を与えた。

 これに猛抗議したのがベティスだ。自分は「テールを選択した」と主張したのだ。この際の映像が残っていて今でも見ることができるが、ベティスは「テール」と言っているように聞こえる。

 しかし、抗議が聞き入れられることはなくライオンズがレシーブを選択してそのまま勝利した。ここからスティーラーズは連敗が続き、1992年に就任したビル・カウアーHC(当時)は初の負け越しシーズンを経験することとなった。

 ちなみに初のHCに就任して以来、6年連続で負け越しがなかったのは当時のNFL記録だった。

 

 「そんな昔のことを」と言うなかれ。これがきっかけでコイントスではヘッドかテールかのコールをしてからレフェリーがフリップするようになったのだ。

 サンクスギビングデーゲームで思い出すもう一つ、というよりもう一人は故ラマー・ハント氏だ。チーフスの創始者である。かつて2試合だったサンクスギビングデーゲームが3試合制になったのは彼の功績なのだ。

 

 サンクスギビングデーゲームは元々、毎年ライオンズとカウボーイズが主催権を持って試合を行ってきた(これは現在も同じ)。

 サンクスギビングデーゲームは1930年に誕生したライオンズが34年に開催したのが始まりだとされる。他チームが休んでいる祝日に試合を行うことで注目され、知名度を上げるのが目的だった。

 

 1960年に創設されたカウボーイズもこれにならい、66年からサンクスギビングデーをホームで開催することになった。

 日曜日の試合からわずか中3日で試合を行うのは選手にとっては過酷な条件だったので、やりたがるチームはなかった。

 他のプロスポーツもほとんど開催されていないなかで、ライオンズとカウボーイズが行う試合は、全米で放送されて注目され知名度は一気に上がっていった(今ではサンクスギビングデーでも通常開催するプロスポーツが多い)。

 

 ネット配信やケーブルテレビの発達でどこにいてもNFLのすべての試合が見られる現在からは想像しにくいが、1990年代後半ごろまでNFLの試合が全米放送される機会はマンデーナイトゲームかサンクスギビングデーゲームくらいしかなかった。

 マーケット拡大の観点から、サンクスギビングデー開催試合は実は「美味しい」ビジネスだったのだ。

 

 この流れをAFCにももたらしたいと考えたのがハント氏だった。当初は2試合をカウボーイズとライオンズ以外のチームにも割り当てるローテーションが提案されたようだが、これはこの2チームが既得権を手放そうとせずに頓挫。ハント氏の要望は長くNFLに無視されてきた。

 風向きが変わったのはNFLネットワークの誕生がきっかけだ。既存のテレビ局だけでなく、NFLが自らメディアを運営して試合を放送することになったのだ。

 そのコンテンツを増やすためにサンクスギビングデーゲームを3試合制にする案が再び日の目を見て実現したということだ。

 

 サンクスギビングデーゲームの「3試合目」が初めて行われたのは2011年。もちろん、チーフスに開催権が与えられた。

 これはNFLがハント氏の長年の貢献に応えたものだろう。ただし、常にチーフスの試合会場に足を運んだハント氏の姿はこの日のアローヘッドスタジアムにはなかった。

 患っていたがんが悪化して入院を余儀なくされたためだ。そして、それからほどなくしてハント氏は息を引き取ることになる。

 

 これまでテレビでの解説やコラムなどで紹介したことのあるエピソードだが、やはりこの季節になるとこの二つを思い出してしまう。

 

 
 

生沢 浩( いけざわ・ひろし)プロフィル
1965年生まれ。上智大卒。英字新聞ジャパンタイムズの運動部長を経て現在は日本社会人アメリカンフットボール協会の事業部広報兼強化部国際戦略担当。大学時代のアメリカンフットボール経験を生かし、フットボールライターとしても活動。NHKーBSや日テレG+でNFL解説者を務める。大学時代のポジションはRB。日本人で初めて「Pro Football Writers of America」の会員となる。