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「五輪時想」  鎮魂の五輪

2021.7.27 12:00 共同通信
開会式で黙とうをささげる人(中央下)=23日夜、国立競技場
開会式で黙とうをささげる人(中央下)=23日夜、国立競技場
 開会式は船出だ。東京五輪が17日間の航海に乗り出した。コロナ禍で開催是非が問われ、主要関係者のさまざまな問題言動もあって大会は傷だらけのままこぎ出た。
 しかし各国選手の喜びあふれた入場行進を見ると、中止にならなくて良かったと心から思った。最終聖火走者で救われた。大坂なおみが起用された。多様性など現代社会が必要とするメッセージが世界へ発信された。
 長い式典で見落とせない一瞬があった。コロナの犠牲者に加え、1972年ミュンヘン五輪でパレスチナ・テロリストの襲撃を受けて亡くなったイスラエル選手団をしのび黙とうをささげた。「私たちは忘れない」と。
 アンキー・スピッツァーさんらミュンヘンの犠牲者の妻たちは長年、国際オリンピック委員会(IOC)に開会式での公式な追悼を求めてきた。死者の名誉を歴史に残し、2度と惨劇を繰り返さない教訓に。その願いが実った。アラブ諸国に気兼ねし、五輪に政治を持ち込むな、とIOCは門前払いしてきたが…。平和の祭典だからこそ、礎になって亡くなった人を忘れてはならない。
 五輪は戦争と平和のはざまで続いた。その歴史を思うとき、前回64年東京五輪を彩った1人の顔が浮かぶ。最終聖火ランナーの坂井義則さんだ。7年前に亡くなったが、生前、新宿の居酒屋で親しく接してもらった。人選理由は誕生日だ。45年8月6日、広島県で生まれた。「アトミックボーイ(原爆の子)」は外国選手団にも知られた。戦禍から復興、平和国家への再生という願いが、この人に込められていた。
 2度目の東京を迎えられずに逝った坂井さんの口癖は「理想の五輪は64年の東京」。テレビ局に勤め、“血塗られた”ミュンヘン大会の取材体験もあった。五輪と平和を背負った生涯だった。
 開会式のあった国立競技場は78年前の秋、学徒出陣式が開かれた地に立つ。戦争と平和を象徴する舞台は、鎮魂とコロナを超えて参加する喜びのステージだった。パンデミック(世界的大流行)下の五輪は、唯一の被爆国で8月6日を会期内に迎える初めての大会でもある。世界がこの日を心に刻むなら、傷ついた五輪にも価値がある。(共同通信編集委員 小沢剛)