メニュー 閉じる メニュー
東京五輪・パラリンピック

研究と対話、金メダル導く ソフトボール・斎藤春香 【わが街 オリンピアン 青森県】

2021.6.20 15:00
2000年シドニー五輪1次リーグのカナダ戦で、延長10回に勝ち越し二塁打を放つ斎藤春香(共同)
2000年シドニー五輪1次リーグのカナダ戦で、延長10回に勝ち越し二塁打を放つ斎藤春香(共同)
 ソフトボールが五輪に採用された1996年アトランタから2008年北京までの4大会で選手、監督として輝きを放ったのが、弘前市出身の斎藤春香(49)だ。
 左の強打者として鳴らし、1番・指名打者を務めた00年シドニー大会では長打はもちろん、勝負強い打撃で日本の銀メダルに大きく貢献。青森県女性初のメダリストとなった。04年アテネ大会でも銅メダルを獲得した。
 研究を怠らない努力家だ。球場にスピードガンのない時代。相手投手のリリースから捕手のミットに球が収まるまでの時間をストップウオッチで測り、試合前半と後半の球速を比較、スタミナを探った。
 「指名打者なのでヒットを打たないと使われない。話をすればきりがないほど、戦略を練った。トップになるか、なれないかは紙一重。探究心が大事」と説く。
 監督を務めた北京大会では選手との対話を重視し、悲願の金メダルに導いた。監督には金メダルが贈られないため、斎藤の首には選手お手製のメダルがかけられた。
 代表監督退任後は故郷弘前市の職員として競技の普及に携わり、19年からは古巣・日立の監督に復帰した。「ソフトボールは人生の教本」と話す斎藤にとって、五輪は「最高の夢の舞台」だという。
青森県
 

 ただ、夢の舞台の前途は厳しい。国際的に普及度が高くない―との理由でロンドン、リオデジャネイロでは除外。東京大会は開催都市提案の追加種目となったが、24年パリでは再び落選した。

 「東京で追加種目になったのはありがたいが、公式でないことは残念。ソフトボールの魅力を伝えることが公式競技復活への第一歩。私自身も力を尽くしたい」。斎藤の努力は続く。(東奥日報社=安達一将記者、2020年1月29日配信、所属肩書は当時)