メニュー 閉じる メニュー
東京五輪・パラリンピック

「鳥人」生む小さな県 高橋卓巳ら棒高跳び王国 【わが街 オリンピアン 香川県】

2021.6.12 15:00
1984年ロサンゼルス五輪陸上男子棒高跳び予選で5㍍30をクリアし、決勝に進出した高橋卓巳(共同)
1984年ロサンゼルス五輪陸上男子棒高跳び予選で5㍍30をクリアし、決勝に進出した高橋卓巳(共同)
 1984年ロサンゼルス、2000年シドニー、16年リオデジャネイロ。陸上男子棒高跳びでトップ選手を輩出し「ポール王国」と呼ばれる香川県からは、16年おきに大舞台を踏むオリンピアンが誕生している。
 ロス五輪に出場した高橋卓巳(63)は1980年モスクワ五輪の「幻の代表」。当時24歳。春から小豆島の高校で教員生活を開始し、モスクワが最初で最後の五輪になるはずだった。日本のボイコットについて「仕方がないとの思いが一番強かったかな。引退も考えたが、自分を超えたいと一年一年、競技を続けた」と振り返る。
 80年秋の国体で5メートル43を跳び、県人で初めて日本記録を樹立。校長の後押しもあり、84年まで毎年日本記録を更新し、夢舞台をつかんだ。
 「より高く」―。高橋の思いはシドニーの横山学(45)、リオの荻田大樹(31)=ミズノ=に受け継がれていく。
 高橋と荻田は観音寺市、横山は三豊市生まれ。県西部にあり「全国に通用する陸上選手を」と棒高跳びの強化が始まった地だ。3人は地元の中学から棒高跳びを始め、高校の恩師も同じ。共通点は多いが、それ以上に不思議な接点がある。
香川県
 

 「ロス五輪が僕の全ての始まり」と横山。10歳の時、自宅のテレビで初めて五輪の棒高跳びを観戦。外国人選手が跳ぶ姿に「あの舞台に立ちたい」と強く意識した。

 荻田もそうだ。中学時代、学校を訪れた横山からアドバイスを受け、競技の楽しさを知った。東京五輪を目指す荻田は今、何度も帰省している。「自分を育ててくれた場所で最後の勝負がしたい」との思いからだ。次代を担う高校生らと一緒に汗を流す。
 日本一小さな県が築いた「鳥人」の系譜はこれからも続いていく。(四国新聞社=中西賢一郎記者、2019年12月18日配信、所属肩書は当時)