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東京五輪・パラリンピック

「平成の三四郎」無欲の涙 柔道「金」の古賀稔彦 【わが街 オリンピアン 佐賀県】

2021.6.10 15:00
1992年バルセロナ五輪柔道男子71㌔級で大けがを乗り越え優勝した古賀稔彦(左)は、後輩の吉田秀彦に抱きついて号泣(共同)
1992年バルセロナ五輪柔道男子71㌔級で大けがを乗り越え優勝した古賀稔彦(左)は、後輩の吉田秀彦に抱きついて号泣(共同)
 体の大きな相手を一本背負いで豪快に投げ飛ばし、「平成の三四郎」の名で人気を博した。1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級で金メダルに輝いた古賀稔彦(52)。過酷な状況でも平常心を保つ強靱(きょうじん)な精神の持ち主は、柔道と出合うまでは人前で赤面して話せない気弱な少年だった。
 佐賀県みやき町出身。小学校入学後、二つ上の兄元博さんと一緒に地元の道場に通い始めた。初めての試合で負けた。悔し涙に驚いた。「こんな感情が自分にあるのか」。強くなりたい一心で柔道にのめり込んだ。
 中学生になると親元を離れ、東京の柔道私塾「講道学舎」へ。柔道漬けの毎日だった。真冬も畳の上で正座して講話を聞く。少しでも動くと厳しい“指導”が飛んでくる。「今では考えられないスパルタ。その映像が当時はテレビでも普通に使われていましたね」
 2度目の五輪だったバルセロナは絶対的エースとして、24歳の若さで日本選手団の主将に抜てきされた。しかし開幕直前、アクシデントに見舞われる。講道学舎の後輩、吉田秀彦と練習中に左膝靱帯(じんたい)を負傷、痛み止めの注射を打って挑んだ。
 試合前日、田村亮子(現姓谷)と選手村のテレビで吉田の金メダルを見届け「明日は俺が金を取る」と明るく宣言した。吉田は「古賀さんが優勝しないと僕の金メダルは半分」と気にしていた。
佐賀県
 

 一本にこだわる古賀の決勝は死闘の末の判定勝ち。「畳の上で無欲になっていた」と振り返る。泣いて喜ぶ吉田と抱き合って涙を流した。

 現在は川崎市内で町道場を開き、一般社団法人「古賀塾」の代表理事。被災地や海外で柔道を通じた社会貢献活動にも取り組みながら、子どもたちには「優しい人に、応援してもらえる人になりなさい」と教えている。(佐賀新聞社=山口貴由記者、2019年12月11日配信、所属肩書は当時)