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能登が育てた鉄腕アトム 競泳銀4個の山中毅 【わが街 オリンピアン 石川県】

2021.5.13 15:00 共同通信
北國新聞社提供、1964年東京五輪の競泳男子400㍍自由形予選で力泳する山中毅=東京・国立代々木競技場
北國新聞社提供、1964年東京五輪の競泳男子400㍍自由形予選で力泳する山中毅=東京・国立代々木競技場
 父は漁師、母は海女。幼少期から石川県輪島の日本海が遊び場だった。小学生の頃には、寄港したソ連の潜水艦の底をくぐって乗組員を驚かせたという。そんな伝説も抜群の泳力があったからに他ならず、次々と世界記録を塗り替えた故山中毅には「海の鉄腕アトム」の異名がついた。
 輪島高3年で出場した1956年メルボルン五輪競泳男子400メートル、1500メートル自由形で銀メダルを獲得した。ラジオ中継が快挙の瞬間を伝えると、雨降る輪島の夜空に2発の花火が打ち上げられ、民家からは期せずして「万歳」の声が上がった。世界で戦う姿は日本が高度経済成長へ向かう時期とも重なり、時代が生んだヒーローとなった。
 生まれ故郷の輪島市は、輪島塗や朝市で知られる能登半島北部の町。かつて石川県は「競泳王国」と呼ばれ、その立役者が山中ら輪島出身の3選手だった。60年ローマ五輪では山中が400メートル自由形とリレーで銀、大崎剛彦(故人)が200メートル平泳ぎで銀、メドレーリレーで銅に輝き、井筒賢造(同)が200メートルバタフライで8位。山中は64年東京大会を含め3度五輪に出場し、計4個の銀メダルを獲得した。
石川県
 

 輪島市に珍しいプールがある。海岸の岩場をダイナマイトで壊し、海水を流し込んで造った通称「塩水プール」。山中のメルボルン五輪での活躍を受け、「第2の山中」誕生の思いを込めて整備された。2017年2月に78歳で亡くなった今、プールは「王国」の残り香を漂わせる貴重な遺産だ。

 晩年、山中は言った。「銀4個なんて、金1個にも値しない。金でなければ歴史に残らない」。練習の“鬼”と言われた男はどこまでも自分に厳しかった。(北國新聞社=杉山圭一郎記者、2019年8月21日配信、所属肩書は当時)