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高さを生かし「金」奪還 バレー女子の前田悦智子 【わが街 オリンピアン 千葉県】

2021.5.9 15:00 共同通信
1977年に開催されたバレーボール女子ワールドカップの日本―ハンガリー戦でスパイクを放つ前田悦智子=東京・国立代々木競技場
1977年に開催されたバレーボール女子ワールドカップの日本―ハンガリー戦でスパイクを放つ前田悦智子=東京・国立代々木競技場
 日本女子バレーボールの黄金期に前田悦智子(67)=現姓田村=は主力選手として活躍。1976年モントリオール五輪では、64年東京大会以来の金メダルを獲得した。引退、結婚を機に千葉県館山市へ35年前に移り住み、現在は館山スポーツ大使などを務め、スポーツの普及活動に取り組んでいる。
 東京育ちの前田は「“東洋の魔女”に憧れてバレーをやろうと思った」が、通っていた中学にバレー部がなく、陸上部に入り走り高跳びで全国3位。進んだ女子高のバレー部は9人制だったが、陸上で培った抜群のジャンプ力が高く評価され、当時下部リーグ所属の三洋電機にスカウトされた。
 モントリオール大会の2年前に22歳で日本代表入り。175センチの身長は当時の代表チームでは平均だったが「到達点が高く、滞空時間が長かったから相手のブロックの上からスパイクが打てた」。“大砲”白井貴子(67)とのダブルエースで五輪へ挑んだ。
 理論派として知られた故山田重雄監督の戦術は「世界一厳しかった」という練習を通してチーム全体に浸透。「コートのみんなが同じリズムで動けていた」。五輪でも日本のお家芸の緻密なバレーを展開し、宿敵ソ連との決勝にも快勝した。
千葉県
 

 「優勝した瞬間、コートに観客がなだれ込んで来たのには驚いた。表彰台で金メダルを掛けてもらった時は、あすから練習しなくていいんだと思った」と振り返る。

 2020年東京五輪の聖火リレーが館山市の近くを通ると聞き「引退した時はもう走りたくないと思っていたけれど、聖火ランナーはやってみたい。今から練習すれば、何とかなるかな」。五輪への思いは今も変わらない。(千葉日報社=田中誠記者、2019年7月31日配信、所属肩書は当時)