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努力重ね、生涯完走 マラソン銀の君原健二 【わが街 オリンピアン 福岡県】

2021.4.12 14:00 共同通信
1968年メキシコ五輪男子マラソンで、2位でゴールする君原健二(共同)
1968年メキシコ五輪男子マラソンで、2位でゴールする君原健二(共同)
 マラソン男子で五輪3大会連続出場の君原健二(78)は現在の北九州市で生まれ育ち、今も暮らしている。勉強が苦手で、中学2年から始めた陸上にも情熱が湧かない自称「劣等生」は故郷で黙々と走り続け、五輪メダリストに上り詰めた。
 高校卒業後、地元の八幡製鉄に入社して力を付ける。他の選手より1周多く走るなど日々目標を立て、達成するたびに喜びを感じた。「紙を何百枚と重ねると本の厚さになるように、努力はわずかでも無駄にならないことを体で知った」
 1964年東京大会は苦い思い出が残る。マラソン代表はレース1週間前に選手村を離れ、神奈川・逗子で合宿に入った。時間を持て余した君原は練習後、電車で東京に通い体操などを観戦。出場記念のスカーフを持って陸上代表選手のサインを集めて回った。調整に専念した円谷幸吉が銅メダル、君原は8位だった。
 「五輪選手としてあるまじき行為」と振り返る君原は、後にテレビの鑑定番組で100万円の値が付いたスカーフを「恥の宝」と言う。
 大会後には代表の重圧に耐えかね、一時競技を離れたが、高橋進コーチの説得を受けて復帰。66年ボストン・マラソンで優勝し、68年メキシコ大会は腹痛に襲われながら銀メダル。4年後のミュンヘン大会でも5位入賞を果たした。
福岡県
 

 50年前の優勝者として招待された2016年のボストンでは4時間53分14秒でフルマラソン通算74回目の完走。途中棄権は一度もない。次の目標という20年大会の聖火ランナーに向け、ジョギングを欠かさない。「依頼が来たら応えられるように、練習は続けないといけない」と2度目の東京五輪を待ち望む。(共同通信=鍋田実希、2019年5月29日配信、所属肩書は当時)